2007-05-29

侏儒の言葉 ShuJu no Kotoba

芥川龍之介 侏儒の言葉より

あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。

我我は神を罵殺する無数の理由を発見している。が、不幸にも日本人は罵殺するのに価いするほど、全能の神を信じていない。

人生

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。

人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎(と)に角(かく)一部を成している。

強弱

強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一撃に敵を打ち倒すことには何の痛痒(つうよう)も感じない代りに、知(し)らず識(し)らず友人を傷つけることには児女に似た恐怖を感ずるものである。

弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る処に架空の敵ばかり発見するものである。

世間智

消火は放火ほど容易ではない。

自殺

自殺に対するモンテェエヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしないのではない。自殺することの出来ないのである。

死にたければいつでも死ねるからね。
ではためしにやって見給え。

2007-05-28

キネマ倶楽部 Cinema club

wikipedia : キネマ倶楽部

文化を国益と理解出来ない日本の貧しい文化事情のシンボルのような話だけど、この日本映画史を網羅する「日本映画傑作全集」シリーズ、恵比寿のTSUTAYAに揃っているそうな。

上映環境が整った東京になにも品揃えの良いレンタルビデオがある必要もないような気もするけれども、やはり羨ましい。

ビデオテープだと、ネットレンタルはコスト高だろうし。

ブラジルでは国家補助で文化活動が推し進められており、コンサートなども無料のものがあるらしいし、歴史的復刻などへの助成金も整っているとか。

親馬鹿映画『フランシスコの2人の息子』の異様に盛り上がるコンサート風景も文化を国益と考える国ならではなのだろう。

戦前日本映画がちゃんとデジタルリマスターでDVD復刻される期待など望むべくもなく、オークションで探し回るしか、地方都市に住む者としては観られる術もないのだろう。

かの溝口健二作品すら、世界トップクラスのオランダのデジタルリマスター技術にジャパン・マネー頼り、デジタル分野の若手育成など顧みない。

国の文化史を誇りに出来ない国の貧しさ。

河瀬直美さん『殯(もがり)の森』自費制作カンヌ国際映画祭グランプリ受賞の『世界が認めてくれる』がせめてもの救いだろうね。

  • OhmyNews : キネマ倶楽部

2007-05-27

温暖化と間引き論 Global warming and thinning out theory

安倍首相が発表した地球温暖化対策「美しい星へのいざない」の記事を読み、こないだ新聞で読んだ「温暖化と森林伐採」を何故か思い出した。

京都議定書で適切な森林の二酸化炭素減少を図るために、議定書発効以降に計画的に作られた森林の伐採は禁じるけれども、それ以前に作られた森林は効率的な二酸化炭素減少を図るために間引きしても良いという、「人間の知恵」が自然を作るようなお話。偉いもんだよ、人間は。

戦争責任者の問題 伊丹万作

「だまされていた」という責任論は「みんなだまされていた」に落ち着き、責任のなすりつけに終始して、「だまされまい」とする自己防衛を失う。

映画『江分利満氏の優雅な生活』で語られる仲間が戦争で死んでいくより、軍需景気で一儲け出来、嬉しがる親父を見て育ち、「何か違う」というわだかまりをはき出せずにサラリーマン生活を送る主人公と同じく楽観論者の「美しい○○」論は自分が美しくなるためのシェープアップ、間引き論に思えてくる。

環境問題に真実はなし。

公害体験を活かせないこれもバブルボケなのだろう。これも。

寒すぎるリラ冷えにストーブつけるこの頃。
自然の間引きは始まったのかな?

神様、ヘルプ。

  • OhmyNews : 温暖化と間引き論

2007-05-26

介護休暇という恩恵 Care leave

今年も職場での待遇交渉を終え、相変わらずの厳しい内容。

うちは組合色を排しているから、あくまでも形式的な「要望」に対し、回答プラスこんな事は要望していないマイナス回答を貰うパターンがここ数年の流れなのだけれど、心苦しいマイナス回答のお詫びの代わりに付け加えられる待遇改善策が認識不足の知識として、案外役に立つ。

今年は介護休暇の緩和策が出され、要介護の親ひとりの介護につき1回限り、通算93日まで1回のみの取得だったものが、平成17年の4月より国の制度が複数回に分けられるように緩和されたけれども、複数回に分けられる条件は制度では介護者の回復が条件なのだけれど、うちの職場の場合は退院でも複数回に分けられるように使い勝手よくしたとの事。

介護を必要とする人の「回復」が条件という国の制度は「絵に描いた餅」なのに対し、うちの職場の「退院」はまぁ、確かに現実味はあるにはある。

けれども、職種形態が正社員、常勤パート、パートタイムという細かく分けられた職場では常勤パートに位置するうちらの立場はこのような緩和策は正社員に準じた扱いとされるのだろうけれど、一方でパートタイムの常勤パート格上げは見送られてもおり、その待遇面で労務を担当する正社員が雇用側にも労働側にもなりうる会社システムは結局、正社員の待遇を守るためのパートタイム改善にもなりかねないような気をいつも感じる。

正社員との差別禁止した改正パートタイム労働法とて、その対象になる「人」がどれだけいるのか、疑問視されるのもおそらくここら辺なのだろう。

黒人を救い出し、よそに売りつけるなどの奇妙にねじくれた博愛主義を並べ上げるボルヘス『恥辱の世界史』にならぬよう、生き血の通った制度が望まれるところ。

  • OhmyNews : 介護休暇という恩恵

2007-05-24

噫(ああ) 懐かしの活動大写真 Dear activity photograph

1980年に戦火を免れた戦前の日活の映画フィルムが倉庫から大量に発見されたかなにかで、当時、参加していた札幌映画サークルにも上映会の企画の話が持ち込まれ、「噫(ああ)懐かしの活動大写真」と銘打って戦前の日活映画の黄金期の作品を12本上映した。

あいにく、手元にその時の資料がなく、明確な上映作品名はうろ覚えだけど、戦争が始まると満州の満映に行った内田吐夢のプロレタリア映画『土』の断片や、伊丹十三の父で、戦時中、ナチスドイツと提携した映画『新しい土』を撮り、戦後、病床の中、映画人の戦争責任を問いかけ続けた伊丹万作の監督作品『赤西蠣太』、その才能が期待されながらも、赤紙招集で帰らぬ人となった山中貞雄の粋な時代劇『丹下左膳余話百万両の壺』と『河内山宗俊』、戦争勃発間際とは思えない痛快な歌謡時代劇『鴛鴦(おしどり)歌合戦』などなど、今見ても新鮮な映画群の数々にお目にかかる事が出来た。

その時、これもまた日本のプロレタリア時代劇の先駆者として知られる伊藤大輔監督の唯一ほぼ完全な形で見られる無声映画『御誂次郎吉格子』の上映も検討され、どうせ上映するならば、当時の様子を再現したい、配給会社に元活動写真の弁士をやっていた人がいた、その人に頼んでみてはどうだろう、と話が進み、無声映画『御誂次郎吉格子』の再現上映が行われる事となった。

元弁士の方もすでに社会人としての現役を退いて、のんびりと過ごされていた中、この企画に快く参加下さり、にっかつ映画より弁士のリハーサルのために数ヶ月前からフィルムを特別に貸し出しして頂き、それぞれの仕事後、毎夜、フィルムを回し、音楽選曲から、弁士用の台本作り、音合わせと顔合わせは続けられた。

参加した僕もすっかり映画のシーンすべてが頭に入った状態になりつつも、活動写真の弁士をされていた方との酒の席での映画青春期の話に心躍らせ、当日を迎えた。

過酷な戦争が始まる以前、人々が集まり集い、拍手喝采した映画、まだまだ庶民の中には画面に映る字幕も読みこなせる数も少なかった時代、弁士は代わりに読み聞かせ、情景を過不足なく伝える第三の芸術だった。

昨年、ケーブルテレビで放映された『御誂次郎吉格子』をビデオに撮り、観たところ、毎夜集まり、練習したうちらの上映の音の記録である事に感激、当時の想い出が蘇った。

これをなんとか残し、広めたい。映画自体は70年以上も前で確実にパブリック・ドメインであるはずで、著作と引っかかりそうな日活のオープニングのロゴを外し、ここ数日、フリーの映像編集ソフトを駆使して、YouTubeに6分割でアップしてみた。

近代日本の黎明期、反骨精神で作られた映画と出逢った我が青春の時。その記録を世界に発信出来る今の便利を十二分に活用したい。

  • OhmyNews : 噫(ああ) 懐かしの活動大写真
  • 伊藤大輔

2007-05-23

御誂次郎吉格子 Oatsurae Jirokichi goshi

YouTubeに、パブリック・ドメインだろうと、伊藤大輔監督作品『御誂次郎吉格子』アップしてみました。

「日本の無声映画で、1980年に札幌で上映、映画の説明付ける弁士の語りがついている公共資産です。」という事を書いたつもりですが、あっているでしょうか?

Japanese Silent Movies. It was screened in Sapporo in 1980. It was reproduced by the person who explained the movie. Public Domain Movie.

まずはよき日本の反骨精神、お楽しみ下さい。

2007-05-22

イトムカ鉱山 Itomuca mine

YouTubeに伊藤大輔監督作品『御誂次郎吉格子』の札幌で弁士をされていた方の語りをつけたものをアップしようとしたところ、時間が長すぎ、うまく公開されない。

分割したくないけど、分割なんだろうなぁ。

そんな事をしている時に、オーマイニュースに幼い時に育ったイトムカ鉱山のレポートが友人記者により書かれていて、とても懐かしい。


ohmynews : イトムカは乾電池の捨て場所ではない

僕の始めてのお使いの場所です。(笑)

2007-05-20

すべての人の心に花を The flower to all person's minds

バカに死ななきゃ直らない。

親の屍を

子供の前で自分が撃たれても、「こんなグロいモノを見ちゃいけないよ」 と言うのかニャ?

その返信
  • 人の尊厳を知りなさい。親の遺体を裸にし、洗ってやるのが子の勤めです。
  • 先立つ子の遺骨を親に拾わせない「親不孝」もある。
  • もしかして「死に化粧」を知らないのかな?

語り継がれるべき事が語られない不幸。

喜納昌吉「すべての人の心に花を」

YouTube - 花(すべての人の心に花を)/ 喜納昌吉&チャンプルーズ

2007-05-19

愛よりも青い海 Seas that are bluer than love

今、整理しているレーザーディスクのDVD化で「バブル期」のお宝報告。

シンガポールの歌のお兄ちゃん、ディック・リー
もう歌をやめたのかなと思いきや、YouTubeでも数年前のライブがアップされていた。

そして、これまたYouTubeでも見られない上々颱風
久々見直し、やはり泣ける。
やはり日本人は金回りがよくないと優しくなれないのかな。。。
BGM引用のクリップだけど。

YouTube : surfing PAPUA 愛よりも青い海

2007-05-18

倒れた人を観たいですか? want to see the falling person?

昨晩、夕飯時のニュースで、愛知の立てこもりを報じており、現場からの実況生中継がされていたけれど、なんでここまで緊迫感をそれぞれの茶の間まで持ち込まなければならないのか、よく判らなかった。

しかも、長久手交番の木本明史巡査部長が倒れているところを映像は上空遠目ではあったけれど、わざわざスタジオにいるアナウンサーふたりがモニターをのぞき込み、何度も「あぁ、倒れてるのが見えますねぇ」と親切に?解説してくれている。

そんなに倒れた人を見せたいのか、倒れた人を見せる事がニュースなのか、理解に苦しむ。

数年前、川で溺れ、流されている人だったかを映像で流し、不快な思いをさせられた記憶もあり、この頃のニュースの映像依存は行き過ぎと思うのだが、どうだろうか?

思い起こせば、1997年の伊豆半島東方沖群発地震の実況で中継するアナウンサーにスタジオのキャスターが「もっとはっきり見えるところへ」と催促し、現場のアナウンサーが悲鳴にも似た声を発していた事があったけれど、一番、基本的人権に無関心なのはマスメディアのように思えてしかたない。

倒れた人を観せたいですか?
死んだ人を観せたいですか?
悲鳴あげている人へ観せたいですか?

  • ohmynews : 倒れた人を見たいですか?

2007-05-17

Public Domain

レンタルで借りてきたルイス・ブニュエル監督 サルバドール・ダリ脚本の『アンダルシアの犬』を観て、ルイス・ブニュエルをYouTubeで検索すると『アンダルシアの犬』はショートしかなかったけれども、次の『黄金時代』は丸ごとアップされている。

YouTube - L'AGE D'OR 1930

容量制限がかかっているから、画質はかなり落ち、DVD並の画質を望むならば、BitCometというフリーのソフトでtorrentファイルを落とせばいいと思う。

『黄金時代』ならばここから落とせる

『糧なき土地』もここにあった

ただ観るだけでいいならば、YouTubeでもpublic domainで検索すれば、かなりの数、ヒットする。

本当にpublic domainかどうかはわかんないけど。(笑)

Playlist: public domain films

public domainでも『メトロポリス』なんか削除されているけど、『吸血鬼ノスフェラトゥ』なんかはある。

字幕の共有なんかもあり、著作権重視ばかりをアピールする日本は文化の共有に関心持つべきとも思う。「自己責任」は文化の共有があってこそ成り立つのだろうし。

#連ドラアップは中国とタイ張っている。(笑)

2007-05-16

Janis

ベトナム戦争反対に揺れ動いた1960年代末期のアメリカン・ロック・ミュージックはその頂点に立つ『ウッドストック』、『モンタレー・ポップ』など今や、ほとんどDVD化され、見られるのだが、ここに来て、ようやく、伝説のロック・クィーン、ジャニス・ジョプリンドキュメント映画『Janis』がUniversal Picturesから日本国内盤として発売になるらしい。

人一番、神経の細やかな女の子は1943年1月19日、テキサス州ポート・アーサーに生まれ、幼少の頃から絵を描くのが好きで、頭の良い子だったが、テキサスの保守的な土地柄に馴染めず、友達の少ない孤独な少女時代を送り、高校を卒業とともに田舎町を飛び出し、ニュー・ヨークやロサンゼルスなどを転々とし、クラブで歌い始める。

そんな彼女は、"ブルースの女帝"と呼ばれた ベッシー・スミスや黒人フォーク/ブルース歌手、レッドベリーに心酔し、ブルースの世界にのめり込み、サン・フランシスコにて、ヒッピー・ムーヴメントの中でソウルフルな歌声で人気を博す。

「Move Over」、日本ではセンスない「ジャニスの祈り」というタイトルで知られるこの歌こそ、ジャニスだ。

もう終わったと云うね。ベイビー
そうよ終わりよ
だったら何をぐずぐずしているの
さあ、とっと消えてちょうだい
あたしは男が欲しいのよ
それはあんたも判ってるじゃない

愛を貪り、求め続けた女は「有名になって、私を蔑んだ奴らを見返してやる」と帰郷し、完全無視の仕打ちにあう。

「ベンツが欲しい」は得られない愛の見返りを金で貪る女のうめき。

生きながらブルースに葬られ

「サマータイム」にラリるジャニスにまた逢えるのが愛おしい。

2007-05-15

牛乳列車 Tren Lechero

YouTube - TREN LECHERO / FELIX PEREZ CARDOZO

夏は気温が40℃にも上がり、その時の地表温度は60℃にもなり、線路も飴のように曲がる亜熱帯の土地、パラグアイ。

首都アスンシオンから南部の中心の町エンカルナシオンまで350キロの距離を一日がかりで走ったという蒸気機関車は「命の糧」を運ぶ汽車でもあったのだろう。

パラグアイの村から街へ牛乳を運ぶ汽車を模したアルパの名曲。

2007-05-14

フェミニーナ Feminina

10数年前、クラブミュージックでブレイクした曲。

かあさん、教えて
女性になるって、なんの事?
それは髪型でも、気取った仕草でも
思わせぶりな視線でもないのよ
なにからなにまで、少女になるという事なの
じゃあ、かあさん
終わりは一体どんなふうなの?
終わりは、もう一度始める時にやってくるのよ
同じ場所で、ひとつ角を曲がるように

人生の糸を紡ぐのは何のため
後で切り離してしまうため
糸の切れた凧のように、世界に身を投じ
二度と再び、戻らぬために

2007-05-13

すべてが変わる Todo Cambia

YouTube - Cambia.... Todo Cambia...

ラテンアメリカ民主化の歌パート2

表面が変わる
内面が変わる
考え方が変わる
この世のすべてが変わる
年とともに気候が変わる
牧童は草地を変わる
こうしてすべてが変わるのだから
わたしが変わるのも不思議ではない

いちばん素晴らしいダイアモンドも
手から手へと移るうちに輝きが変わる
小鳥は巣を変わる
愛人は心を変える
旅びとは行き先を変える
それが損になっても
こうしてすべてが変わるのだから
わたしが変わるのも不思議ではない

変わる すべてが変わる
変わる すべてが変わる
変わる すべてが変わる
変わる すべてが変わる

太陽は進路を変える
夜が支配するとき
草は変わり 春は
緑の衣をつける
けだものの毛は変わり
老人の髪は変わる
こうしてすべてが変わるのだから
わたしが変わるのも不思議ではない

でも、わたしの愛は変わらない
どんなに遠くへ行こうとも
思い出も、くるしみも変わらない
わたしの民(たみ)、わたしの人びと
きのう変わったものは
明日、変わるはずだ
わたしが、この遠い土地で変わるよう

変わる すべてが変わる
変わる すべてが変わる
変わる すべてが変わる
変わる すべてが変わる

でも わたしの愛は変わらない

2007-05-12

集団的無意識 Inconsciente Colectivo

YouTube - Debajo de mi camion

コロンビアのアコーディオン音楽パジェナート
その人気兄弟デュオ、ピノミオ・デ・オロのビデオクリップ

笑えるけど、それぞれが自己保身しあっているシニカルコメディだよ。

この世はモラルで成り立っていると思うから、言い争いも生まれる。

ラテンアメリカの歌「集団的無意識」Inconsciente Colectivo

花が生まれる
まいにち太陽が出る
ときどき、私はあの声を聴く
パンのような声、歌好きな声
こころの軒先に
蝉たちと一緒に
でも、やはりトランスというものがあって
お前は持っている最高のものを吸い取り
お前を引っ張り、どんどんお前に要求し
遂にお前は嫌になる

YouTube - Charly Garcia - Inconsciente Colectivo

国民投票法案、特別委で可決

  • OhmyNews : 集団的無意識 Inconsciente Colectivo

2007-05-11

ランバータ(泣きながら) Lambada

久々、音楽世界旅行。

ブラジル・アマゾン流域のリズムで踊り狂い、1990年前後に世界的な流行になったカオマの「ランバータ」

YouTube - Kaoma - Lambada

その原曲はボリビアのフォルクローレ、カルカスのヒット曲「泣きながら」

YouTube - Llorando se Fue

後半日本語で歌われると「ランバータ」が演歌になるから面白い。

ガルシア=マルケスの小説「大佐に手紙は来ない」のBGMに「ランバータ」もいいかも。

男と女が股間すりあわせて踊るダンスミュージックは「孤独のダンス」

踊り方はこちらにて

2007-05-09

リュミエールと仲間たち Lumiere et Compagnie

リュミエール兄弟

映画誕生100年のお祝いに1995年に作られたオムニバス映画。

世界の巨匠達40人が世界初の映画撮影用カメラ“シネマトグラフ”を使い、制限時間は52秒以内、同時録音は不可、テイクは3回までという規制の中、映画は撮られ、同時に「何故映画を撮るのか」「映画は死ぬか?」と監督達に問う。

“シネマトグラフ”で撮られた映画は便利さをのぞけば100年前と何も変わらない人々の営みを映し出し、40人それぞれのこだわりが「絵」の面白さとして映し出される。

目玉焼きを作るフライパンに女からの電話を被せるアッパス・キアロスタミ。
廃墟のベルリンにブルーノ・ガンツををたたずませるヴィム・ヴェンダース。
今のヒロシマ原爆ドーム前で遊ぶ子供達に原爆投下を報じるアメリカのラジオを流すヒュー・ハドソン。
映画には不可能がある。原爆投下を映画で記録として撮せるかと問う吉田喜重。
赤子に声を発する事を求めるスパイク・リー。
妊婦の破水を飲む男を描くアーサー・ペン。
時の迷子となったユリシーズを映すテオ・アンゲロプロス。

「人が死ぬ時、映画は死ぬ」

様々な現代模様は戦争と平和という「100年の孤独」を語り、寂しき地球人を映し出す。

リュミエール兄弟が動く人々を捉えた感動の機器は未だに人々を映し出せる。

映画を死なせないために、映画を撮り続ける人々の記録は生きた証でもあるのだろう。

それを受け継ぐ今の便利さであって欲しい。

2007-05-06

ロングウェイ・ホーム A Long Way Home

ロングウェイ・ホーム

娼婦の母と無職の父から生まれた3人兄弟は、無宿暮らしの末に置き去りにされる。幼い子供らはそれぞれ養父母に引き取られ、引き裂かれ、自らの意志を示せるようになる18歳まで兄弟の行方を調べる事すら禁じられる。

映画『ロングウェイ・ホーム』は、1981年9月6日にABCネットワークで放映され、全米で45%という驚異の視聴率を記録したテレビドラマを、劇場公開用に再編集されたもので、アメリカで実際にあった3人兄弟の再会劇を描いたヒューマンドラマである。当時、映画『普通の人々』でスクリーン・デビューし、多感な青年役を好演し、オスカーを得たティモシー・ハットンが長男役を演じ、話題になった作品でもある。

封切り時に劇場で思いきり涙した映画であったが、DVD化されていないため、中古ビデオ屋を探し回った末にようやく入手。 二度目の"再会”にまた涙した。

警察に保護され、児童擁護センターに収容された子供らは、里子として引き取られる際、兄弟別々に引き取られる。それは引き取る里親のやむおえない事情であるにせよ、幼い子らには、生きる権利が優先され、自分の兄弟と暮らす権利を与えられない過酷なものとなる。

その長男が、兄弟の再会を夢見、18歳を迎えても、弟、妹がまだ未成年である事など、それぞれの家庭状況に配慮し、児童擁護センターのカウンセラーを介する事が義務づけられ、養子縁組された兄弟に直接逢う権利も子供らには認められない。

子供の権利とはなんなのか。その立場の心理的状況に立ち、法制化したアメリカ合衆国の法律ですら、当人達を過酷な運命に生きる羽目にしてしまう。

このドラマは、幼い弟妹をかばい、盗みをしてまで食料を持ち帰った長男が、弟妹との奪われた「家族」を取り戻すまでの物語だ。

「子供だった俺を思いきり叱りつけた」
「俺も子供だったよ」

再会を果たした時、養父母との折り合い悪く苦労した弟は、兄に幼かった時の恨みつらみをぶつける。兄は必死に生き、必死にかばった日々を思い返す。

幼かった妹は自分の本名すら覚えておらず、長男の伝言役を果たす児童擁護センターのカウンセラーが差し出したメッセージの着信を拒む。

ねばり強い兄とそれに答えようとするカウンセラーの努力が「ロングウェイ・ホーム」を結実させる。

熊本市・慈恵病院の赤ちゃんポスト設置など、命の尊さを巡る問題が浮かび上がり、議論される日本で、果たしてどのくらい置き去りにされた子供の将来は語られているのだろうか?

法律では癒せない、心の傷を癒せる環境「ロングウェイ・ホーム」。生身の人間にはそれが必要なのだろう。

  • ohmynews : 『ロングウェイ・ホーム』に想う

2007-05-05

ハーメルンの笛吹き男 The Legend of the Pied Piper

人間、子離れがない分、ハーメルンの笛吹き男に狙われやすい。

子供はかばわなければ何をするか判らない、守ってあげるのが子供の幸せ。

昔の大人は子供などかまっている暇はなかった。
親がなくとも子は育つ。

古典文学にも子供の記述は残っていないそうで、「万葉集」なんかは子供そっちのけの大人の恋歌ばかり。

かまわれないほどに子供達は子供達のルールを作り、子供達の社会を構築していき、それが次の大人の社会を生み出した。

寝ろってばよう
寝ろってば寝ないのか
この餓鬼め

近代になり、大人たちは資本主義の労働競争に巻き込まれ、泣いて寝ない子を叱りつける子守唄がいくつも現れた。

子供は今のような家庭主義ではなく、地域で育てるもの。
それが父を頭とする家庭主義となり、一夫一婦制が広まった時、子供は母のものになる。

女は子供を育てる責務を負い、何人も子供を産んだ頃は過保護にもならなかったけれど、戦後の都市化社会、農村社会のような子供を産める環境はなくなり、ひとりふたりのわが子を溺愛する母親たちが現れる。

そんな母達の「たくましく育って欲しい」が進学戦争を生み出し、子供は母達のペットとなり、「亭主、元気で留守がいい」の家庭崩壊を生み出していく。

野性を知らない子供達の生き甲斐は「ゲーム機」。

「あなたのお子さんのために」と言い寄るハーメルンの笛吹き男に母達は子を託し、リアルセックス出来ない餓鬼達を作り出す。

一対一の人間関係が生み出した残酷なおとぎ話。

2007-05-04

親戚来訪 The relative comes.

ゴールデンウィーク後半、田舎の親戚家族が札幌に遊びに来て、うちを宿代わりに泊まりに来た。

風邪を引き、ぎっくり腰の痛みが再発した母も家族に一緒について来た叔母の来訪で気が晴れたのか、調子がいくらか楽になったよう。

朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや

人付き合いが何よりの薬なのかも。

2007-05-03

自由の幻想 Le Fantôme de la liberté

自由の幻想

願いが叶い、本日は晴天なり。
パソコンに向かい、こんな事を書いているのがなんと不健康な事か。(笑)

思うに憲法なんぞ意識しないで過ごした我らの世代は「法に守られた自由なんか自由じゃない!」のルイス・ブニュエル『自由の幻想』Le Fantôme de la libertéを思い返すべきでしょう。

観光写真を卑猥といい、いやらしい思い出に浸る夫婦。
フラメンコを奏でるカップルをうるさがり、SMに興じるカップル。
トイレと食堂が逆転した晩餐会。
目の前にいる娘の捜索願を警察に依頼する夫婦。
無差別テロの犯人に死刑求刑する事で目的達し、釈放する裁判所。

モラルが逆転すれば、アウシュビッツもヒロシマ、ナガサキも正義。

「腐敗した支配者から与えられた自由なんかクソクラエだ。
自由とは自分で選んだものでなければならない。」

「自分が嫌でなければ何をやってもよい」

生きてるうちが花。色即是空。
自分を殺して、世界平和を訴えるスケベにはなりたくないなぁ。(笑)

YouTube - Le Fantôme de la liberté - Trailer

2007-05-02

あした天気になれ!Become the weather tomorrow.

ゴールデンウィーク、前半の好天も月が変わり、穏やかな五月晴れを期待していたけれど、風は強く、木の葉は舞い、気温の低いあいにくの天気が続いている。

例年ならば、片づけているはずのストーブも朝晩の冷え込みのため、まだ稼働させており、冷気よけのために窓に垂らしたビニールも未だ剥がせずにいる。

憲法記念日を間近に控え、新聞ニュースも「改憲」論議に関心向けるべく、様々な角度から「憲法」を語り始めている。

一番素直に読めたのが、「軍備」なしで「国家」が維持出来るのかという「憲法」制定時の議論とその後、「還暦」を迎える今日まで、「軍備」なしで繁栄してきた我が国の足跡。

敗戦時、食料なく、貧困にあえぎ、体力なく伝染病が蔓延した時、「憲法」に書かれた「文化的暮らし」を夢見て、生存権を叫び続けた我らが父母たち。

「時代にあわない」時は水爆実験、朝鮮動乱、ベトナム戦争と遠い異境のアジアの海で地軸揺るがす爆撃を繰り広げた世界の警察、アメリカ合衆国の挑発の時代に幾度もあっただろう。

国防論議も、在日米軍再編に協力的、非協力的で決まる「地方交付金」法案も論議されているらしく、「押し付け憲法」の裏側を見る思いもする。

日本全国におよそ8000カ所あると言われる65歳以上の高齢者が半数を超える集落「限界集落」、人間の暮らせる郷土は無防備集落となり、太平洋沿いの大都市のみが「日本」であるかのような「まつりごと」が営まれる。

日本の七割は雪国。東京に住む出稼ぎ流民たちの忘却の中に、この国の現実がある。

「トンネルを越えるとそこは雪国だった」

穏やかな五月晴れを望み、あした天気になぁーれ!

  • ohmynews : あした天気になれ!

2007-05-01

善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen

上映時間との折り合いがようやく合い、映画『善き人のためのソナタ』を観てきました。

1984年、壁崩壊前の東ベルリン。
国に忠誠を誓う男が国家保安省(シュタージ)の局員として、劇作家の部屋の盗聴を四六時中、監視続ける。

劇作家は言論弾圧が進む監視国家の実態を明らかにすべく、西側のマスコミに記事投稿を企てる。

人が集団化し、組織化されていくと、妨げとなる個人の自由は邪魔になる。

「愛国」とは国への忠誠なのか、それとも国への警告なのか、国家保安省局員の苦悩は国を愛するが故に、ますます深まっていく。

組織を重視する国家論を突き詰めていけば、その国の君主すら国家のための広告塔でしかなくなる。

それは1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」の基幹職だけからなる経営基盤優先は専門職、一般職、営業職の非正社員推進するという理論にも繋がるはずで、「労務コスト削減」は「正社員不要論」にもなるのじゃないかという新聞コラムの指摘を思い出す。

社会主義は国家資本主義と云われただけに、権力の集約化が壁崩壊を早めたとも云われている。

企業資本主義の西側諸国は「グローバルマネー」獲得という限りないものを敵とした事で、監視社会となり、国民の部品化、環境破壊と突き進んでいる。

告発すべきところのない不幸。

企業資本主義は国家資本主義より悲惨な末路を迎えるのだろうか?

告発すべきところの自覚の問題だろう。

ボルヘス『砂の本』「疲れた男のユートピア」より

「政府はどうなりました?」
「言伝えによれば、次第に廃れました。政府は、選挙を公示し、宣戦し、税金を徴収し、財産を没収し、逮捕を命令し、検閲を課そうとねらいましたが、地球上の誰ひとり、従おうとしなかった。新聞は記事や写真を発表するのをやめてしまいましたし、政治家たちは、清廉な職業を見つけなければならなくなりました。ある者は立派な喜劇役者になったし、ある者は、見事なイカサマ医者になりました。もっとも、現実は、こんな要約よりは、確かにずっと複雑だったでしょうがね。」

YouTube - Tráiler español de "La vida de los otros"