2009-12-31

マザー・テレサ Mother Teresa

昨晩、BS朝日で観たいと気になっていた映画「マザー・テレサ」が放映されていて、途中何度もコマーシャルで中断されたり、看護婦さんの検温と問診が入るなど、入院生活なのだからなかなか落ち着いて観られる環境ではないのだけれど、観ることが出来た。

オリビア・ハッセーがマザー・テレサの半生を演じた映画「マザー・テレサ」はその足跡をなぞらえた程度で深く掘り下げられたものではなかったけれど、マザー・テレサの人と成りはよく描かれていたと思う。

マザー・テレサ。僕の世代では子供の頃から聴き馴染んでいた人なのに、詳しい功績には疎く、それでいて気になる人だったから、この映画を観たくもあった。

一世代上で、「ロミオとジュリエット」でぴちぴち肌で魅了したオリビア・ハッセーが演じた事も関心を引いた要因でもあるけれど。

映画はパレスチナ・ベイルートにおけるマザー・テレサの戦災救済の活動などは描かれないけれども、イギリス統治下のインド独立の混迷を内紛と描きつつも、修道女の身を棄てて、カルカッタの街中に救護活動に飛び出すマザー・テレサを描くところから始まる。

「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」と建設する「死にゆく人の家」の件はマザー・テレサの人と成りを現す逸話だろう。

ウィキペディアに書かれている語録を読むと、男女平等に対し、男女それぞれの特有の愛が家庭を作り、子供を育てるのじゃないかと語る姿勢や「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」と日本初来日の際に語られた語録が目を引く。

「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」

映画は「与えるよりも与えられよ」「愛するよりも愛されよ」と受ける側の想いを語る言葉が繰り返され、終わる。

「この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。

銃や砲弾が世界を支配してはならない。大切なのは愛である」

2009-12-30

ピア・カウンセリング Peer counseling

今日、入院後初めてシャワーを使わせてもらいました。

看護婦さんは手を差し伸べる事もなく、ただシャワー室の場所を教えてくれるだけだったけど、シャワー上がりにおそらく待っていてくれたんだろう、廊下で偶然出くわしたかのように、「さっぱりしましたか?」と聴き、僕の着替えた寝間着を片づけはじめ、部屋に戻る僕にはお構いなしだった。

構い過ぎず、見放し過ぎずのこの距離感は、精神カウンセリングとして知られる「ピア・カウンセリング」なんだろうなぁと思いました。

悩む人の気持ちに入り込む事なく、その人の今の状態をさらけ出させて、気持ちを裸にさせた上で、自分がしてあげなければならないことを手伝い、本人がしなければならないことを気がつかせる。

人を活かす事って、「ピア・カウンセリング」が大切なんだと思う。

言葉の嘘はばれにくいけど、リアクションの嘘はすぐにばれるでしょう?

判りあえる仲間とは「ピア・カウンセリング」出来る仲間なんじゃないかな。 「ピア・カウンセリング」は相手の心を裸にし、泣かせた分だけ、聞き役も泣くと聴きます。

そんな仲間づくりが出来れば悔いはないと思うのだけど、百八つの鐘が、…。

2009-12-29

年の瀬 The end of the year

病院も年の瀬を迎え、今朝は朝の6時を過ぎても看護婦さんが起こしに来る気配がない。

6時30分過ぎ、白んだ外も明るさが増し、よく眠れたせいもあって、起に来るまで寝ていようと思っていたけど、止め、起き上がった。

今日は一週間続いた24時間の点滴から解放される日でもあり、その嬉しさもあったのかも知れない。

ブラインドのカーテンを開け、まだ周辺ショップのネオンが灯る街を見ていると、当直の看護係長さんが入って来られ、いつもの日課が始まった。

「寝れましたか?」

ゆったりした会話も年の瀬と思ってしまいそうなそんな朝。

「今日の昼にお願いしていた一階のATMに行くの手伝ってください。」

部屋からの外出も許可されない身には一週間ぶりの病院内の景色も懐かしいもの。

そういえば、昨日看護婦さんに車椅子に乗せられ、マスク着用で洗髪に連れて行って貰った時も病院内の景色が妙に懐かしかった。

朝の短めの点滴が終わった時、一階に看護婦さん付き添いで行く時、入院時、手続きを急ぐあまりにろくに見ていなかった病院内の景色を部屋に備えられた病院内の概略図に重ね合わせ、位置を確認する自分が愛おしくなる。

看護婦さんも気を使ってくれたのか、ATMに着くと「後は一人で帰れますよね。」と束の間の自由を与えてくれた。

給与が振り込まれているのを確認し、そこから家賃を振り込み、他への支払い分を引き出して、部屋に戻る道すがら、足の筋力の衰えを痛感し、点滴の支柱車を頼りにしている自分をまた知る。

昼飯が終わり、やっと24時間の点滴から解放された時、手ぶらでトイレに入れる喜び、手ぶらで顔を洗える喜びはひとしおで知らず知らずのうちに点滴車を杖代わりに頼る自分から早く立ち直ろうと意味もなく部屋をうろついたりする。

昼3時、他への支払いを頼まれてくれた従妹が来てくれ、近況を普通を装いながらも親身に聴いてくる。

昨日、主治医から今後の油断は許されない治療過程の説明を一緒に聴いてくれた従妹だから、僕も身の置き所があり、頑張る気にもなれる。

夜となり、点滴がなくなった代わりに飲む薬の数が増え、副作用の覚悟を持たなくならなくなった。

しかし、手足が自由であり、点滴管を気にせずに眠れる事が何より嬉しい。

明日の朝はもっともっと年の瀬を感じると思う。

2009-12-28

情熱大陸 Zeal continent

昨日の昼は職場仲間が見舞いに来てくれ、部屋から外出禁止の僕を励ましてくれた。

夜、テレビ番組の「情熱大陸」で岡林信康の特集をするというので、従妹にあらかじめ用意して買ってあったテレビカードをセットして、ベットの頭上に添えられた液晶画面を見やすい位置にあわせ、横になる。

消灯時間から「情熱大陸」放送まで時間があり、あちこちチャンネルを回すと、松田優作の20回忌の番組や映画「武士の一分」が流れており、少し見入ってしまう。

「情熱大陸」が始まり、岡林信康の生きてきた道のりが辿られ、今の岡林が映し出されるとき、岡林と関わり持った仲間たちが集い楽しむ姿が映し出されていた。

「自由への長い旅」にこだわり続けた岡林は今の自分の自由を「大地に繋がった凧」と語る。

若い頃はその繋がりが煩わしく凧が繋がった糸を切ればもっと自由になれそうな気がしていたけど、今は繋がった糸の中でどれだけ自由になれるかに惹かれる。

過去の縁が今の自分を活かしてくれている。

そんな岡林のメッセージを聴くと、生きるということはどれだけの人に出逢ったかではなく、どれだけの人と再会できたか何だろうと想う。

2009-12-27

緊急警報 Critical alert

24時間の点滴システムをつけ、毎夜眠る日も幾晩が過ぎ、身体中にまわった毒素の証である黄疸も目に見えて綺麗に取れ、赤みがかった肌の色が戻りつつあるこの頃。

夜も明け、白じんだ朝5時、突然24時間の点滴システムから緊急警報の音が鳴り始めた。

寝ぼけ眼でまだ目が覚めない僕のベットの横、宿直の看護婦さんが部屋の明かりも寝ている僕を気遣い、懐中電灯片手にエラー音の解決策に手を尽くしていた。

それから2時間程度の後、寝起きの僕はトイレに用を足し、洗面を済ませ、ベット横に戻り、点滴システムに電源コードをつなぎ直すとまたエラー音が鳴り始めた。ナースコールを鳴らし、看護婦さんを呼び出し、事情を離すと、動き回った時に、血が針先から逆流して、その血が固まりかけると点滴が流れなくなるからエラー音が鳴るとのこと。

どんなに精密な機械であってもエラー回避を自動で行うには限度あり、人の手を介さなければ精密な働きはなさなくなる。

膨大な資金が最新鋭技術につぎ込まれ、それを管理保守する人件費が抑制に向かうなら、精密機器に守られ、活かされる現代は管理保守のいない荒れ地になるだけだろう。

人が作るもの、人を活かさなければ、無駄になる。

当たり前の理屈が忘れられている。

外では朝早く降り積もった雪をダンプカーで除雪する工夫たちが働いている。朝の交通ラッシュに間に合うように。

2009-12-26

クリスマス Christmas


クリスマス特別メニュー

消化器系の疾患にかかると食事制限はつきもののようで、入院した当初に一緒になったおじいちゃんたちはおそらく糖尿病治療なのだろう、食事量を制限されたり、回数をコントロールされたり、検査のために絶食を行わされたりして、看護婦さんに、入院している我々の楽しみは食べることなんだよ、と泣きついたりする。

食の贅沢病といわれる病気はある者はインシュリンで血糖値を管理しないとならず、ある者は臓器摘出、ある者は視覚障害になる者もおり、上下肢を失う者もいる。

豊かな暮らしの報酬として、医療福祉は膨れ上がる。

年の瀬、幸いなるかな、加熱食で塩分少なめの食事療法の僕はそんな苦労もなく、過ごせている。

昨夜はクリスマスの特別メニューの夕食でした。

辛みの薄いカレーピラフとフライドチキン、コーンソティほんの少しとハムとブ ロッコリーのソティ。

食べられる事の幸福をしみじみ感じるクリスマスでした。

2009-12-25

マリオネット Marionette

朝6時、おはようございます、採血に来ました、とドラキュラ嬢、ならぬ看護婦さんのモーニングコールで目覚める。

昨日から24時間の点滴が始まり、寝返りをうつにも点滴の管が気にかかり、眠りも浅くなりがちなのか、寝起きも悪い。

24時間の点滴は身体の免疫力を肝機能の治療のために弱めるために行われ、更に昼には栄養補給の点滴が空いている片腕に繋がれ、我が身は日中、マリオネット状態。点滴の管は別な静脈ならば片腕にそれぞれ刺してもかまわないらしいけれど、片腕に固定の点滴用の針が刺さっているのもなんかシュール。

肝臓によい食べ物は口からしか取る事が出来ないらしく、主治医からも、今は食べることが仕事だからね、と励まされている。

個室内だけの生活を余儀なくされて、食べては寝る暮らしも年明けまで続くそうで、

看護婦さんの計ってくれる体重計も未踏の60kgを難なく越え、肝炎完治のアカツキには、おいしいレバーを食わせておくれと、渡る世間のドラキュラたちが待ち構えているのかなと思うと、束の間のこのマリオネットの幸福が愛おしくなってくる。

浅き夢みし、酔いもせず。

2009-12-23

完全看護 Floor nursing

入院3日目、なんとか病院生活もなれてきました。

昨日は入院以来の検査の結果と今後の治療法について主治医から説明がありました。

病名はB型肝炎とのことで、入院期間は一、二月かかるとのこと。

B型肝炎はそのウィルスを持つ人は子どもの時に母親からもらったりして、大抵は成人になると悪さをしなくなるキャリアになるそうなのだけど、大人になってから急性を発症する場合があり、肝機能が抑え込み、キャリア化するケースもあれば、重症、激症化する場合もあり、今後の治療法は最悪を考えての治療になるという。、

弱った肝機能を高める薬治療に外部からの雑菌に対する免疫力をわざと弱まらせ、肝機能に肝炎を抑え込まさせるという治療という。

病室も個室に移され、面会も人数制限されるとのことで、外部からの雑菌から守るために、出される食事も作られたものも更に加熱を加えられる。

行動も制限され、個室の中ですべて用がたせ、実質監禁状態、入浴も禁じられて、看護婦さんが身体を拭いてくれて、検査などで出る時も看護婦さんに車椅子で送り迎えという至れり尽くせりの完全看護。

どの位、この生活が続くのか判らないけど、入院期間は一、二月というから気長にやるっきゃない。

幸い、清掃担当のおばちゃんがジャスマックホテルの温泉にいた顔なじみさんで心細さも少し薄れる。。

ネットブックパソコンを欲しいとこるだけど、とりあえすウィンドウズモバイルのPHSから近況報告まで。

ここまで書くのに五時間かかった。(笑)

2009-12-19

安静ですが Though it is a rest

出勤は絶対駄目と言われ、自宅で安静に過ごす一日。

肝機能低下で疲れているのか、寝起き、朝飯食べた後、パソコンの前の叔母に押しつけられたマッサージチェアに横になると、よく眠れて、昼となる。

疲れも取れたのか、入院前に片づけといた方がよさそうな録画番組のDVD化なぞやっていると、なんかすぐに疲れ、居眠りモードになる。

今まで気を張っていたのだろうかと思うほど、居眠りの回数は多く、眠りながらもDVD化をするという不思議な行動。

幸い、喉つまり、胸焼け、吐き気はそれなりにあるものの、食欲はあり、母が昼飯を食べるかとの問いかけに、有無も言わさず、食べると答える。

固形の物は喉に詰まったり、胃にもたれたりしやすいから、そうめんを作ってくれ、腹を満たした後、帳簿整理に取りかかる。

昨晩は入院したら出来ないと思い、年賀状印刷をしていたけど、帳簿整理もやはり年の瀬を感じさせる。

昼に食べたそうめんの汁がまだ胃に残った感じで、胃が膨れ上がる感触があり、夕食を少し遅らせ、帳簿整理の続きをする。

外はこの時期の札幌にしては遅い積雪となり、入院中の家の周りの雪かきを従弟に頼もうかと母と話し合う。

ネット検索で、「肝臓病 入院 日数」を調べると肝機能の回復はある程度の日数が必要のようで、高齢の母ひとり残し、入院するのも気になることが多くある。

安静第一の病気ながら、少しずつ、身の辺の整理をしているところ。

2009-12-18

ドクター・ストップ Doctor's order to stop

喉つまり、吐き気、胃もたれなどの不快感がいっこうに治らず、先日、風呂に入った時に、身体中に黄だんらしきものが表れており、これはやばいかもと家の近所の病院にかかってみる。

CTやら、胃カメラやら、心電図、血液検査まで一通り受け、その結果を聴きに今日、来院してみると、「仕事が出来る身体ではない。設備の整った大きな病院に入院を頼んでみるから、少し入院するように」との診断結果。

肝臓と膵臓の機能が低下していると聴かされたけど、この頃、尿の色が濃くなっているのも気になっていたので、消化吸収でかなりやばい状態なのかなと思う。

最悪の事態も頭に浮かぶけど、生まれて初めての入院生活がどんなんなんだろうという気持ちもあり、とりあえずは言われた通り、大人しくしていよう思ってみる。

仕事先やら、忘年会の約束をした友だちやらへの連絡などしなきゃならないことも案外あるようで、無理した罰と受け止めて、まずは日記の書いてみる。

2009-12-15

洟垂れ The runny nose drip

週末からの喉つまり、胸焼け、吐き気が今日の職場の昼飯時にはひどくなり、昼飯を食べるのも押し込むような感じで、飲み込んでいたけれど、最後の頃には吐き気の方がひどく感じられ、やばいかなと云うところまで来たので、早退を願い出て、帰宅した。

帰宅後、家の近くにある耳鼻咽喉科で、食道炎の検査もしてくれるらしいところに出向き、検査を受けてみる。

インフルエンザの予防ワクチンの張り紙が至るところに張っている待合室、鼻炎らしきお兄ちゃんを待つ男の子がやけにかまってくれと僕の傍に絵本を持ってくる時、呼び出され、診察室に入る。

病状を話すと、まずレントゲンを撮り、吸入器による麻酔を吸い込まされて、内視鏡で、鼻の穴から喉の奥深くまでのぞき見る。

特に異常は見つからず、鼻水が喉に垂れることはないかと聞かれ、アレルギー性の慢性鼻炎もあり、このところ、鼻水に血が混じることもしばしばあったので、それが原因かとも思いもする。

レントゲンの結果はやはり加齢により、背骨が前に出て来ているけれども、異常と云うほどでもなく、気をつけるように云われ、症状が続くようならば、内科の診察を受けるように云われる。

何が原因か特定するにはいろんな要因がありすぎるから、このように部位検査を重ねていくしかないんだろうなと思いつつ、内視鏡でのミクロの探検で大病の兆しがないと云われて、まずは一安心。

このところのストレスや疲労が多分原因なのだろうと、早退した今晩はまずは疲れを取ることに専念しようかと思ったり。

吸入器による麻酔の最中に診察受けていたサラリーマンが訴える耳鳴り、めまいの症状にストレス社会の今を感じる。

2009-12-14

肉食上司 Eating meat superior

「肉食上司」なる言葉が今、囁かれているらしい。

検索してみると「自民党的政治のパンツを剥ぐ:侮蔑が切り裂く上司・部下」では「畏怖するか抱き合うか侮蔑するかの選択肢しかない人間がいる」と書かれている。

部下の失敗を食い物にしてのし上がろうとするこの輩たちは、人をかばうことに興味を示さずに、人のあらを探すみたいだ。

その部下に「肉食人種」がいると事は複雑になり、直属上司を無視して、権力者に擦り寄り、直属上司をおとしめようと画策する。

か弱き草食部下ならば、「会社はホモ社会と割り切りマゾ的対象にする」として、我が身を捧げてみる劇薬もあるそうな。

更にネット検索していけば、「肉食国家」と「草食国家」なるものまで登場し、「草食国家」を玩ぶ「肉食国家」論が展開される。

天上天下唯我独尊。我が身可愛さに我が身を守る処世術は「肉食」「草食」のいたぶり合いになるらしい。

この世はサド・マゾで成り立っているのかも知れないとふと思う。

2009-12-13

お腹が The stomach

日頃積み重なったストレスによる肩凝りからなのか喉の通りが悪く、更には昨日のお休みの日に久々母の手料理を食べ、料加減が苦手な母に出された料理の品数の多さが祟ったのか、今日は一日、胃もたれ気味だった。

身体のためにと思い食べた軽めの昼食も喉つまりを少し感じていたのだけれども、夕食に食べた豚汁定食はそれ程の量でもないのに、お腹がパンパンになり、胸焼けがするほどだった。

明日は職場全体の大忘年会。幹事なので、食べる暇はないのだけれど、宴会最中に具合が悪くなるのも嫌なので、今夜はひどい肩凝りを和らげるために湿布を貼って寝てみて、明日は軽い食事で一日乗り切ってみようっと。

ちなみに昨日、母が食べさせてくれた夕食は肉厚のカレイ一枚に、そば山盛り、プチトマトに、コロッケ、そして、ご飯。コロッケ以外は無理して食べたけど、「料をことわる(知る)」事が料理というのに、それが判らぬ母の愛。

平日の仕事を始めてから、そんな母の愛が身体に悪いと思い、外食生活しているけれど、たまに付き合うとこんな事に。

老いた母の恩にも背けず、だからといって、腹ぼてにはなりたくもない。外で食べてもストレス発散も逆にストレスになってくる。

とこんな事を書いているとこんな時間に。悪循環のスパイラル。なんとかしなきゃ、ねぇ。

2009-12-11

戦場でワルツを Vals im Bashir

オバマ米大統領が12月10日、ノルウェーのオスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説で「時に武力は必要だ」と発言したという。

「武力」を命じる者は「多少の犠牲」は致し方ないという。

イスラエル人のアリ・フォルマン監督のアニメ作品「戦場でワルツを」を観た。

26匹の犬に追いかけられる悪夢から始まるこの映画は生きるために失った記憶を生き続けるために取り戻す物語。

監督自身まだ青年だった1982年に起こった「サブラ・シャティーラの虐殺」は対レバノン戦の時、その地に暮らすパレスチナ人をイスラエル兵が殺した忌まわしき想い出。

監督自身の記憶はその前後は鮮明に残っているのに、当日の記憶はない。それを思い出すべく、監督は当時、戦場で出逢った仲間を訪ねる旅を始める。

本人が写った本物の写真数枚の中に一枚、合成で作った架空の写真を混ぜると、10人中8人が架空の想い出を思い出し、残る二人も記憶があやふやだがとその架空の想い出を認めるという。

戦場での抜け落ちた記憶はPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。繰り返し映し出されるのは、何とか生き延び、水辺から陸に上がる兵士たちの映像。

戦争とは人が人を殺される前に如何に殺すかということ。

殺された者たちは人の胸ほどの高さに積み上げられ、殺した者は精神バランスを維持するために記憶を失うか、狂気に走るかするだけ。

銃撃戦の最中、鳴り止まぬ敵の銃声に脅え、いらだち、隣の奴の機関銃を奪い取って、ワルツを踊るかのごとく機関銃を乱射する若者。

狂気の地獄に、正義は牙をむき、捕らえた敵の肉体を切り刻み、解体する事で正義を達成させる。

「時に武力は必要だ」その結果がここにある。

2009-12-06

歓喜の歌 Ode to Joy

社会は厳しい物だとしたり顔でいう人が、ほれ見てご覧といわんばかりに、昨日の天候は凄まじかった。

いつもならば雪が溶けずに地表に残る根雪の時期であるのに、まだ地表が見えているからか、昨日の朝の冷え込みはきつく、防寒の仕度をして出かけたのだけど、帰り際の夜には気温も上がり、激しい雨。それが夜半には風を伴い、積雪がまだ覆われていない無防備な家の窓ガラスを激しく雨風が叩きつける。

荒れ狂う天候は寒気と暖気のせめぎ合いなのだろうけど、たかが人間たちの為す術はない。

暴風雨に寝付けぬ夜が明け、疲れ切った身体に救いは穏やかになった朝日の当たる街並み。

遠藤賢司「歓喜の歌」を思い出し、YouTubeで検索してみる。

厳しい社会なんて大嫌いだ。

全ての生物は僕らを噛み砕かんと
復讐の眼を光らせ心中をせまる
天地は僕らを同化せんものと
大気は僕らをおしつつまんとす

優しきものほど怒りは大きいもの
その怒りがひとつの優しさも
消し去った時にはもう終わり
さあ今こそ歌おう歓喜の歌を

遠藤賢司「歓喜の歌」
[アルバム『歓喜の歌』(1973年作品収録)

2009-12-05

そこ退けそこ退け Repel there.

数日前、地下街で3歳くらいの男の子と並んで歩く親らしきカップルを見かけた。

3歳くらいの男の子が何か喚いている。

「おんぶしろよ」「何言ってんのよ、疲れてるんだよ、おんぶしろって」

このガキ、「おんぶお化け」だなとふと思う。

昔、妖怪ブームの時に「おんぶお化け」の他、様々な妖怪が紹介されたけど、人のことなどお構いなしの妖怪たちは気味悪くも端で見ているとその我が儘ぶりに苦笑した物だ。

ここ数年、街を歩いていると、いい年をした小父さん、小母さんがすれ違う時でも避けようとはせずに真っ直ぐ突進してくる闘牛型が増えてきた。

相手が避けるのが当たり前と思っている。

もし、僕が刃物を持っていたらどうなるんだろう。「想定外」「シンジラレナイ!」危機意識を煽るマスコミ報道もこの妖怪たちには所詮絵空事にしか見えないんだろうな。

だから、妖怪なんだろうけど。

2009-12-04

自信過剰 Overconfidence

どうもこの頃、寝坊気味で、目が覚め、時計を見、慌てて起きて、朝飯も食わずに出勤というパターンを繰り返している。

疲れてるのかなとも思うけど、格別、疲労感があるわけでもなく、何でだろうと思っていた。

昨晩、冷え込みがきつくなってきたので、比較的暖かなこの冬、ようやく掛け布団に毛布を足して、寝たところ、今朝は休みなのに、寝起きが良かった。

例年、11月半ばにもなると身支度も寝具も冬用になっているのに、今年はいつになく暖かだったせいか、12月になっても秋の装いで通していたのだけれども、昼と夜の気温差は確実に出て来ており、一番冷え込む明け方を気付かずに、秋の装いのままでいたから、寝起きが悪くなっていたのかなと思う。

映画「不都合な真実」で、ぬるま湯につかったカエルのぬるま湯に一気に熱湯を注がれるとカエルは本能的にそのぬるま湯から逃げ出るけれども、徐々に熱湯を注がれるとカエルは湯あたりを起こすというアニメーションが紹介されていたけれども、このところの緩い寒暖の差もそれなんだろうなぁと思ったりする。

加齢による老いを甘く見る自信過剰もおそらくこれに近いんじゃないんだろうか。

少子化高齢化の時代、感覚麻痺したところで、みんながみんな麻痺していれば、それはまともと受け止められだろうし、映画「不都合な真実」のゆでガエルのように湯あたり起こして、さぁ大変になるのが落ちなのだろう。

暑さ寒さに敏感になるのはある意味考える動物にとって大切なんだろうなぁと思うわけですよ。