2010-12-31

馬鹿は死んでも直らない Foolishness is not repaired even if dying.

昨今のCDレンタルバリエーション豊富になり、60年代歌謡曲までレンタル出来るようになっている。

CD3枚にDVD付で一枚の値段と云うことで、「植木等伝説」を借り、年末の街を闊歩した。(笑)

バカにバカ足しゃ バカばかり
バカからバカ引きゃ うすらバカ
掛けたり割ったりしてみても
アホウと間抜けがチョイと顔を出す

これだけ「バカ」と繰り返されると「あぁ、バカなんだ」と思ってしまう。

自慢じゃないが 俺もバカ
遠慮するなよ 君もバカ
利口ぶっても いばっても
とどのつまりはチョイとボロを出す

明確な「バカ」宣言で、気どって歩くおじちゃん、おばちゃんも、人などお構いなしの兄ちゃん、姉ちゃんもみんな同じとほくそ笑む。

「バカ」じゃないと思うバカより、「バカ」だなぁと思うバカの方が救いがあるという植木等流説法は、108つの煩悩を消すにはちょうどいい。

去年は病室で「マザー・テレサ」の映画を観て、感動していたけど、マザー・テレサの説く「与えるよりも与えられよ」「愛するよりも愛されよ」も自分の「バカ」さ加減を知りましょうという教えなのかも。

馬鹿は知らなきゃ死ぬまでただの馬鹿」

よい年を迎えられそうだ。(笑)

2010-12-30

プチ・ブル Petty bourgeois

25年前の学生時代アルバイトに来ていた連中と毎年欠かさず年忘れの飲み会をやっている。

今年も先日、集まり飲んだのだけど、40代になった面々はプチ・ブルの小市民になっていた。

コンビニ経営する奴は、ノルマを課せられた販売の対抗手段がどんどんなくなり、本部のいいなりにならざる得ない苦労を語り、最低賃金が毎年上げられていく状況を「ボディブロー」にたとえ、何でこんな若造の時給を遣り繰りしなきゃならないのかとこぼしていた。

大手メーカーに勤めた奴は、子どもが大きくなり、手狭なマンションからほど近くのところで売りに出された土地を買い、家を建てると話しており、少し大きな子どものいる奴と、子どもの学業と引っ越し時期の配慮を語り合っていた。

それぞれがそれぞれの状況に負われる中、ほどほどのプチ・ブルの地位を得た時、どんなに先行きが見えなくとも、今の社会に不安があろうとも、今の暮らしを考えざるを得ない。

そんな中、集まり、年に一度の顔を見合わせ、一息つき、晦日を迎える。

2010-12-29

黒く濁る村 Moss

今朝から氷むき出しの歩きにくい街並みも湿った雪が降りしきり、積雪でようやく歩きやすくなった感じの年の瀬年越し準備も着々と終え、毎年恒例の札幌市内の映画館のスタンプラリーで僕としては初完走になる今月5本目の映画『黒く濁る村』を観てきた。

シネマ情報サイトでも注目度合いが高く、「シルミド/SILMIDO」のカン・ウソク監督が韓国のウェブ・コミックを映画化したものとして、本国では大ヒットしたらしい作品。

サスペンス仕立てで語られる物語は、ベトナム戦争帰りで村人から慕われた「神」のような父の死を知らされた、父と行き来がなかった息子は、父と共に村を作った村長からその死因を聴かされることなく、邪険にされることに不審を抱き、その真相を知るべく村に残る。

オープニングの「神」のような父と「悪魔」のような警官であった村長の関係が描かれるところから、この監督が得意とする権力の暴力がしつこく描き出され、「神」と「悪魔」が手を結び出来た村で起こった父の死から、社会の闇を解き明かす。

160分の長尺ながら、入り組んだ人間関係を解き明かしていく描き方は飽きさせず、一途に動く息子がまどろっこしいけど、面白く観ることが出来た。

韓国社会の闇を描きながらも、娯楽色を失わない作りはさすがだけれど、「シルミド/SILMIDO」も社会派なのか、娯楽映画なのか戸惑ったのと同じく、映画『黒く濁る村』も社会派とも、娯楽映画ともつかない漠然さが残った。

今の時代、社会告発というイディオロギーを振りかざすのはもはや古いのかも知れない。

息子が自分が告発し、左遷させた検事に協力を求めるしたたかさはその証なのだろう。

「善」と「悪」が混沌とした時代だからこそ、出て来た映画なのかも。勧善懲悪の古い頭を切り換え、見えてくるものは何だろう。

2010-12-26

仕事納め The last work of this year

世間様より一足早い仕事納めが終わりました。

30年勤めていて、昨年は忘年会でリタイアし、そのまま入院。病院で「今頃」と想いを馳せていただけに、今年は何か格別な思いが僕にあったのか、にぎわうお客の中に入り込み、矢継ぎ早に聴かれるお客の問いに答えることで、「ここにいる」と実感していました。

普段は若手に接客を任せ、状況見て回ることに徹しているけど、仕事納めの今日は普段以上に混み合うことから、接客に努め、現場を離れて久しいギャップも30年のキャリアなのか、すんなり対応出来、何か心地よかった。

一年前の入院時の寂しさは、やはり長年勤めた場所の仕事納めに顔を出せない悔しさだったろうし、少し斜に構えながらも勤める職場は、やはり自分の居場所なのだと思いもしました。

仕事人間にはなりたくはないけど、自分の職場で守るべきものは守っていたい、そんな思いがあるから、それぞれの職場で、一年の〆である仕事納めがあるんじゃないのかな?

それはサラリー云々でも、帰属意識でもない、長年培った自分の居場所だからだと思う。

仕事納めを果たした満足は自分の健康への満足でもあるだろうし。

自分の居場所としての仕事納めをしてますか?

2010-12-25

変な冬 Strange winter

昨年はこの時期、入院生活だったので、よく判らないけど、今年の冬は何だかおかしい。

天気予報気圧配置図が道東が大荒れになる春先の気圧配置で、寒さも長続きしない。長続きしないのはいいけれども、寒暖差が激しく、降り積もった雪に、雨が降り、気温も上がって、シャーベット状の水たまりが出来たかと思うと、翌朝はそれがカチカチに氷り、歩道がでこぼこしたスケートリンクとなって歩くのも一苦労する有様。

先日、新雪が降り積もった日は、帰宅途中の夜道で雪を漕ぎ、走り回るネズミを見たし、気温が上がった雨の日には、家のトイレで痩せこけたハエを見た。どちらも真冬にお目にかかることのない生き物で、それだけ今年の冬は暖かいと云うことなのだろう。

外出で歩くのも、例年なら雪の降り始めは、雨交じりになり、道路に水たまりも出来るけれども、12月の半ばになれば、寒さも安定して、積雪が根雪に変わってくるので、秋口に穿いている靴を使い廻せるけど、今年は、水たまりとスケートリンクが交互に現れるので、靴に水が染み込んだり、歩くのに一苦労するため、仕方なく冬靴を買い足した。

クリスマス寒波の大荒れは札幌では幸いひどくなっていないけど、これから冬本番、ヨーロッパのような寒波が来るのか、今の状態が続く暖冬になるのか、気がかりだけど、せめてもの備えとして、肌着で暖かめのものをこれまた買い足した。

暖冬の証と云われたブラック・アイスバーンの発生から20数年、僕たちはどんな冬を迎えることになるのだろう?

2010-12-24

その後のNHKに捧げる歌 Song dedicated to NHK Afterwards

ひどい荒れ模様にもならずの冬至の翌日で、キリストさんの産まれた日の前日。戌年も歩けばとかで、高校の同級生に久々の再会で、立ち話をしていて、NHKの話になり、忘れかけていた「NHKに捧げる歌」のその後を思い出した。(笑)

先週の月曜日付けで「受信料払え」と送られてきた封書を片手に、翌々日の水曜日に区役所に行き、所定の手続きを取り、「市民税非課税の障がい者に対する受信料の免除申請」を区役所前のポスト投函したのに、「受信料払え」と送られてきた封書に書かれていた通り、今週火曜日に、「放送受信料振込用紙」が送られてきた。

これって、どう考えても「オレオレ詐欺」と違うン?

先週月曜に送られた封書は「放送受信料振込用紙」を送るからそのつもりでいろよという脅しであって、その後、「免除申請」したって、「放送受信料振込用紙」送るからなということでしょう?

「免除申請」の手続きはその後に、手続き取るのだろうけど、気の弱い訳判らない人ならば、振込手続きしちゃうジャン。

そうなると事務手続きで、「放送受信料振込用紙」を送った送料や振込入金の返金なんかで、それこそ封書に印字されている「あなたが大切スポンサー」のお金を余計な経費で無駄にしているんじゃないんスカ?

なんで公共の仕事をするところは金銭感覚がずさんなんだろうと思ってしまうのよね。

地デジ化だって、なんか管理主義と思わざる得ないし、エコポイントだって、何故大画面だが「エコ」なのと思う。

そうそう、この間、銭湯で聴いた若い奴の話で、50インチでみると、キャスターの鼻毛が見えるって、キャスターの鼻毛を見るたために、50インチを買うのってアホでしょう。(笑)その時、3Dなら、鼻毛が揺れるのが見えるのかなと思ってしまったけど。。

アナログデジタル化の進む日本、国民総白痴は近いかも。

「NHKに捧げる歌 死闘篇」にならぬ事を願い、メリー・クリスマス

2010-12-23

ばかもの Foolish People

21世紀の初めの10年も後数日で終わろうとしている。初めの10年の最後の祝日も季節はずれの冬の雨が降り、びしょびしょになった雪解けの街で、映画「ばかもの」を観た。

原作は芥川賞作家の絲山秋子の「ばかもの」。10年前、学生だった男と年上の女の10年の物語は、その時折々の事件を映しながらも、時の流れと共に、経験値を積んでいく男と女の物語が描かれる。

若さゆえの愛が別れを向かえ、月日のうちに、男はアルコールにはまり、女は身体が不自由となり、再会する。ばかもの同士の貪るようなからみ合いは年を経て、大人の恋になっていた。

そんな互いを愛おしむ映画に優しさを感じる。

この10年、従兄弟を二人、アルコール依存症で亡くしているから、尚なのかな。

ばかもの達の生き様に、莫迦でいいジャンと思いながらも、要領下手の方が人生面白いんだぜと思いもする。

「負けるが勝ち」を「負けは負けジャン」というのは愚か者で、負ければ負けた奴の痛みが理解出来るから、人生勝ちなんだってさ。

映画で映し出された「9.11ニューヨーク」「10.27新潟県中越地震」「12.26スマトラ島大津波」生き抜いた人たちも「負けるが勝ち」のばかものなんだからさ。

2010-12-21

サルトル、マルクス並べても Even if you arrange "Sartre" and "Marx"

日本の首領(ドン)ふたり、小沢一郎元代表と菅直人総理の会談が物別れに終わったとか。

その光景に思い浮かぶは三上寛の「夢は夜ひらく

サルトルマルクス並べても明日の天気はわからねえ
やくざ映画の看板に夢は夜ひらく

片や派閥時代の生き霊で、片や草の根時代の生き霊が、眼飛ばしあっての政治劇はやはり時代遅れのやくざ映画だろう。

頭でっかちの理論武装に、明日の天気の備えなどあるはずもなく、自民から民主に世の中変わったとて、生き霊は生き霊だろう。

退職金のはわか成金の団塊の世代はこんな茶番は経験値であるから、貰った金を細々老後に使おうと、世の中の景気回復など素知らぬ顔だろうし、経験値乏しい40代以降が泣こうがわめこうが、生き霊たちは自分の命拾いを考え続けるだろう。

サルトルマルクス並べても明日の天気はわからねえ
やくざ映画の看板に夢は夜ひらく

「死んで貰います」の捨て台詞くらい吐きたいものだね。

2010-12-19

さよならだけが人生ならば If only the goodbye is a life

「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。」

暗いニュースに追い打ちをかけるコメントの嵐。廻りで聴く話は、解雇、リストラ希望退職

笑うに笑えない『海江田経財相、年収1500万円「金持ちじゃない」』なんて云うニュースも飛び出す終末世相の昨今。

読んでいる重松清の「みんなのなやみ」にはリストカットするとすっきるする女の子の悩み相談なんて出て来るから、今はまさしく、井伏鱒二ばりに「さよならだけが人生だ」なのだろう。

「死ね死ねコール」が大好きな日本人、「お国のために」「会社のために」「みんなのために」死んでくれないと言い続けて、切腹、特攻、企業戦士、虐待、いじめのパラノイア

少子高齢、借金大国なのに、これだからやになっちゃう。

そんな時、寺山修司の「さよならだけが人生ならば」を知った。

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなる地の果てに咲いている 野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。

思えば、ちょうど一年前、初の入院で、絶対安静、緊急入院、面会謝絶と一式全て体験し、生きている事を実感した。

面会謝絶の個室部屋から見た街並みや入院三週間後、やっと許されたシャワーに入る時、看護婦さんが「好きなだけゴシゴシ洗ってもいいからね」という言葉に泣いた事。それらを今、思い出す。

傍にいて応援してくれる人がいるから人は頑張れる。

「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。」

2010-12-16

NHKに捧げる歌 解決篇 Chapter of song solution dedicated to NHK

【この度、自治体に免除事由の確認を行ったところ、現在は全額免除の事由に該当されませんでした。】というNHKの言いがかりを解決すべく、圧雪状態で真冬日の昨日、区役所に行って来て、判明したこと。

まずは福祉課に行き、再申請の手続きをとる時、NHKからの手紙を見せて、「何故?」と問うと、「さぁ」と云うような顔をされ、いつものように所得証明を貰ってくるように云われ、証明書発行の窓口に行くと、記録のある所得証明を調べ、長いこと遺族年金でのみの暮らしをしている母の所得証明が出せないことを教えてくれて、今年の始めにB型肝炎の医療費助成の申請で、世帯全部の所得証明を貰ったことを話すと、「それは昨年度だから」と云われたけれど、こちらはその後、B型肝炎の医療費助成の制度が変わり、再申請をこの夏にしていると話すと、ここでもまた「さぁ」と云うような顔をされた。

区役所はこの夏に行った時から各窓口の配置が変わり、何をするのか空きスペースが増えていたけど、その部署移動で、書類の整理がと思ったけれど、今はオンラインシステムのはず、所得証明の発行履歴を把握していないお役所って、かなり恐ろしいと思うけど、この問い合わせの時に、窓口が納税管理している部署に問い合わせをしたところ、母にこれから毎年、所得確認の知らせを送るということで、じゃ、今まで何度も所得証明の手続きしてきた時の証明書発行は何だったのと、行政マンのその場限りの対応に腹が立つ。

そもそも、NHKの知りたがっていることは市税の納付義務が発生しているかどうかなのに、行政サイドは四角四面に所得証明で対応するからおかしくなるんじゃないのかと思う。

税金を納めるのと、所得の現状は結果と原因の違いがあるのに、行政サイドはそれに対応していないんじゃないの?

だから、所得証明の確認が取れなきゃ、短絡的に【この度、自治体に免除事由の確認を行ったところ、現在は全額免除の事由に該当されませんでした。】という事態が発生するのだろう。

一箇所のずさんな処理がいろいろなところで税金の無駄遣いを発生される、いい見本じゃないのかな。と今回のイチャモン騒ぎはまずは幕となった。

2010-12-15

NHKに捧げる歌 Song dedicated to NHK

特殊法人の生き残り策なのか、単なるミスなのか、「誰もが笑って暮らせる社会」を望んだ「龍馬伝」を一日に三回もチャンネルを変えて放送して、制作費を浮かす経費削減を行うNHKから、「NHK放送受信料についてのご案内」が送られてきた。

僕自身、身体障害者手帳を持っており、世帯構成員全員の市町村民税特別区民税含む)が非課税であるので、「日本放送協会放送受信料免除基準」というものに該当するので、全額免除の適用を受けているのだけれど、送られてきた書類によると、【この度、自治体に免除事由の確認を行ったところ、現在は全額免除の事由に該当されませんでした。】ということで、12月20日頃、振込用紙を送付すると書かれていた。

ねぇ、ねぇ。NHKさんか、自治体かは知らないけど、勝手に人の所得調査をして、市民税非課税で、障害程度もB型肝炎発症で重くなっているのに、【全額免除の事由に該当されません】はないんじゃない。ちゃんと仕事してよ。国民の税金で働いているんだからさ。

天下の国家保護下にある放送局だから知らないわけはないと思うけど、B型肝炎の医療助成の申請でも市民税非課税はチェックされるわけで、患者さん自身に市民税非課税である証明書を取りに行かせて、初めて医療助成が受けられるというものなのに、なんでNHKだと、いとも簡単に市民税非課税の確認を行えるの?

なんか法治国家日本もこうなってくるとなんか恐ろしくなってくる。

NHKのサイトを見ていくと、11月5日に行われた札幌高裁の放送受信料の支払督促申立て判決に勢いづいたのか、「2010/12/01 放送受信契約の未契約世帯に対する民事訴訟の実施予告について」なんていう情報もある。

やるのは勝手だけど、きちんと調べてからやってよね。なんか死にものぐるいで金集めしているようで見苦しく感じられる。

さてと、イチャモンつけられた落とし前に、区役所で免除申請をまたやらなくちゃ。送られてきた書類には【お手数ですが】と書かれているけど、人の痛みを知らない役人根性ぽくって、気持ち悪い。

2010-12-13

ノルウェイの森 Norwegian Wood

「あの頃の僕はどこにいったんだろう」

ひと言で言えば、そんな映画。

ベトナム人トラン・アン・ユン監督がベトナム戦争反対と学生運動が盛んだった1969年の日本を舞台にした村上春樹の原作を映画化した作品。

村上春樹の原作は読んではいないし、作品も触れたことはないけれど、映画化されたものは「風の歌を聴け」とか「パン屋襲撃」を観てはいる。

読まず嫌いかも知れないけど、なんか食指がわかなく、それでいて映画化されると観に行ってしまう。そんな作家。

今回も映像感覚が独特なトラン・アン・ユン監督が日本の都会派文学をどう映画化したのか観たくて、観に行った。

揺れる玉すだれ、むきだしの配管なと1969年と云われればそうかもと思ってしまう日本はやはりどことなく映画で知るフランス領下のベトナムを思い起こすし、深い森の緑は東南アジアイメージしてしまう。そして、湿地や降りしきる雨はともかく東南アジアではお目にかかれないはずの雪もアジアっぽく感じられる。

何度も出て来る松山ケンイチ白ブリーフ姿もエキゾチックを感じさせ、ふたりの女の子の間を浮遊する政治に無関心のノンポリの主人公は無国籍雰囲気さえ感じられる。

そういえば、出演者の衣装、ヘアスタイルもアジアぽかったなぁ。

原作の持ち味を活かしているという感想もあれば、はしょりすぎているという感想もネットで聴くけれども、原作知らずの僕としては、最初に書いた「あの頃の僕はどこにいったんだろう」がストーンと来る。

映画の中でも一度弾き語り流れるビートルズの「ノルウェイの森」を調べてみると、対訳は誤訳だとする話があり、「ノルウェイの森」は「ノルウェイの木材で作られた部屋」だと云うことで、逆ナンされた男の子が女の子と一晩過ごし、目覚めたらその子はいなく、「ノルウェイの木材で作られた部屋」にひとりいる、そんな歌らしい。

そんな初々しい青春譜を原作の題材の当時、戦火の中にいたトラン・アン・ユンはシニカルになぞっているように思う。

人殺しは誰のため 泥棒は誰のため
強姦は誰のため 大学は誰のため
喜びは誰のため 反戦運動は誰のため
ピンク映画は誰のため スカイジャックは誰のため
入試に勝つのは誰のため ダイナマイトは誰のため

当時、寺山修司が「書を捨てよ町に出よう」で歌われた歌をベトナム人トラン・アン・ユンは問い返しているのかも知れない。

1969年、20歳。2010年、61歳。

2010-12-12

11年前 11 years ago

天気予報は大荒れとのことで、夜中はずっと風の音がうるさく寝付かれなかったけれど、朝、カーテンを開け、外を見ると思ったほど雪は積もっていない。

ちょうど11年前、同じく日曜日だった今日、雪がしんしんと降り、朝早い仕事だった僕は雪かきもそこそこに仕事に出かけた。

僕が出かけた後、父は家の出入り口の横に積み上げ雪を綺麗にするために雪かきをしに出かけ、やり終え、居間に戻ると「疲れた」と一言云い、ストーブの傍に横になったまま、亡くなった。

若い頃は粋がっていた父は、敗戦後、満足な食べ物もないまま、働きづめで、身体を壊したものの、高度経済成長期とともに栄養を取れるようになり、健康を回復したものの、今度は糖尿となり、若い頃の余病が出て来たのか、狭心症の薬を飲むようになっていた。

働きづめの父もいいように使われていた仕事を辞めた後はきつい仕事を点々とし、定年となった時、隠居生活をする事とし、余生を愉しむことを決めた数年後のことだった。

死因は心筋梗塞で、寝込まず、看病されることないあっけない死だった。

更年期で体調を崩していた養母は父のあっけない死を受け止めるだけで精一杯だったと聴く。

それから11年。似たような一日が始まった。

11年前もそうだったのだろう。12月の二週目は職場全体の忘年会の日。

今のような景気の厳しさはまだなかった頃の華やいだ年忘れの日は父の急死で記憶が消されている。

そんなことを思い出しながら、一日を職場で過ごし、当時の上司の訃報を聴いた。

いい想い出のない上司の想い出の一つに父の訃報もある。

訃報を聴いた時の何とも云えない寂しさは年々薄れつつはあるけど、忘れはしない。

そして、今年の年忘れ。職場の人数減少で忘年会も縮小傾向になりつつも、今年一年の労をねぎらう催しは「仲間意識」をかき立てる。

友川かずきさんの「生きてるって言ってみろ」を聴きたくなった。

2010-12-10

うまれる born

テレビで取り上げられているとの話を聴き、観たくなった映画「うまれる」。またツボにはまった。(笑)

子供達の胎内記憶の話から映画は始まり、この映画のテーマとも云うべき、鮫島浩二医師の「わたしがあなたを選びました」という子供達が親を選んで生まれてくるとする逸話が紹介される。

このプロローグの後、親に愛されなかった夫婦が子どもを授かり、臨月を迎える話を主軸に、治らない障がいを持ち、何年生きられるか判らない我が子を産んだ夫婦、産まれる日にお腹の中で死んだ我が子を思う夫婦、不妊治療を重ねながらも子どもを授かれなかった夫婦のそれぞれの思いを綴ったこの映画は「うまれる」という人生の始まりの重みをスクリーンに映し出す。

僕も実母に胎内記憶を呼び起こさせるような、お腹の中にいた時、凄くお腹を蹴りつけた話を聴かされ、お腹の中で動き回って、へその緒が首に絡まり、逆子となり、産まれる時に難産となり、鉗子という器具を使って、引っ張り出したがために、首筋がかぎ裂きになって、窒息状態で産まれたと聴かされた記憶があり、それが元で「脳性麻痺」の後遺症になったと聴く。

何で僕は母のお腹の中で暴れたんだろうと思い、未婚の母として産む決心をした母のストレス一緒に感じたからなんだろうと思っている。

親に愛されなかった夫婦は、「私は子供を作る気はなかった」「私が母と同じようにこの子をいじめるようになったらどうしよう」とトラウマになった自分達の悩みを克服し、迎える助産所での出産シーンは感動ものだった。

妊娠の実感もなく、産まれてくる我が子への実感もない夫が出産に立ち会う時、無我夢中で妻の無事を祈る姿は「父」の始まりなのだろう。

産まれる子供達はそんな大人たちを見聞きし、生きようと産声を上げる。

ブラジル大好きな歌「新しい生命」が思い浮かぶ。

ひとりの子供が産まれる
もしも幸せのために
生まれたというなら
残念ながら そんな人生は嘘っぱちさ。
だって笑いながら
生まれた人間なんて見た事無いよ

人は生まれるべくして生まれ
微笑みのかわりに 涙をながす
人生は言う、
生きるということは
幸せになるために
苦しまなければならないことだと

ブラジル/ギリェルミ・ジ・ブリート「新しい生命」/対訳 : 田中勝則

うまれてよかったと云える人生の先輩として、この「新しい生命」たちの産声を耳にする。

2010-12-09

きもい disgusting

アルバイトの男子学生が、街で学校の同級の女子とばったりすれ違いざま、「きもい」と云われたと憤慨していたけど、この頃、家の近所のコンビニ店員が、お客が店に来るたびに、いつもの「いらっしゃいませ」の後に、コンビニの名前をいい、「ようこそ」というようになり、ただでさえ、舌足らずで鼻声のその店員の喋りようがなーんか「きもい」と思ってしまう。

ていうか、そんなことを云わせているコンビニ・チェーンの営業管理職の発想が「きもい」のだろう。

そう云えば、うちの職場も接客業種なのに、警備面ばかり意識を強め、大昔、交差点などで交通整理の警官が使っていた「お立ち台」を使おうかという話があるそうで、バブル期の「ジュリアナ東京」じゃないちゅうの、とオヤジ管理職の発想に「きもい」と感じるこの頃。

そういえば、昨日書いた「B型肝炎キャリア」の記事を関係省庁の方が見に来た足跡があり、気になるなら気になるような施策を立てるなと、これまた「きもい」と思ってしまう。

今の世の中、流行りは「きもい」なのかも知れないね。

平成コギャル達の「きもい」は当たっているのかも。

2010-12-08

B型肝炎キャリア Hepatitis B career

昨日、B型肝炎訴訟の公判が札幌裁判所で行われ、発症していないキャリア者の処遇を巡って、原告と国側が平行線のままで、裁判長が歩み寄りを求める発言をしたというニュース報道されている。

B型肝炎の感染として、予防接種の針の使い回しによるものというのが、この国のB型肝炎患者の多くを占めているのはよく知られていることで、B型肝炎の発症経過として、潜伏期が20年、30年はざらであることも知られた話である。

そして、B型肝炎の感染がよく知られた後も、国は健康診断にて血液検査によるウイルスチェックをするように勧めながらも、なかなか実践されない検査態勢の是正を求めるでもなく、今なお、B型肝炎の感染者数の実態すら把握しておらず、発症していないキャリア者の数は10人に一人ともいわれている。

更に予算がつかないのか、無料肝炎ウイルス検査も来年の春から有料になるというらしいし、国は国民のB型肝炎被害の実態状況を把握したくないとしか思えないのだけれど。

国にとって国民とはいったいなんなのでしょうかね?

2010-12-06

レオニー Leonie

イサム・ノグチの母の物語である。

制作に協力した札幌映画サークルの友だちから観たら感想を聴かせてと言われ、観に行き、僕のツボにはまったのか、何度となく涙が流れた。

映画を観ていて、レオニー・ギルモアと似た生き方をした実母を思い起こしていた。

先入観で、異国の地で未婚の母として生きた女性の物語と思い込んでいたけれども、そんなテーマ主義はあっさり棄てて、松井久子監督は、ひとりの女の生き様を綴るように見せてくれた。

好きな男を断ち切れず、息子と一緒に押しかけたけれど、男には妻がいた。結果、未婚の母になったレオニーは女手一つで息子を育て、更に私生児として娘を産む。

けして進歩的な女性でもなく、男と所帯を持つことを夢見た保守的な女性が、ひとり生きなければならない状況に立たされた。そんな形でレオニー・ギルモアを松井久子は捉えているように思え、だからこそ、イサム・ノグチの母の物語にもなり得ている。

日本の封建社会を描いた箇所では、原田美枝子演じる日本の女子教育先駆者と評価される津田梅子が、社会に合わせた変革しか出来ないことを語る場面くらいなのだけれど、それで十二分に日本流の国際化のおかしさは描かれていると思う。

アメリカで日本人との子供を持った差別にあい、日本に来て、異人の妾と蔑まれ、再びアメリカに帰り、日本帰りと見られ続けたであろうレオニーの外的な差別、苦難は深くは掘り下げられなかったけれど、女の生き方として提示されたこの映画は何か不変なものを描いているように思われる。

母の訃報を聴いたレオニーが日本の浜辺で海に飛びこみ泳ぐ場面、僕は実母が父親も判らない身重な身体で実家に帰り、迎え入れてくれた祖父の死を聴いた時もおそらくこんなショックだったろうと思い返していた。

人は老いて人を知る。レオニーが母を失った時、母を知ったように、イサム・ノグチもまた、第二次世界大戦の苦難を経て、母レオニーを知っていったのだろう。

知った時、大切な人は傍には居ないのだけど。

2010-12-05

恋は恋でも Even love

昨今、経費節減が巷にあふれ、家の近所の生協も閉店時間が1時間早まり、夜の10時閉店となり、寄り道して帰ると、急いで買い物をしなければならないことがままあったりする。

経費節減は何もスーパーのみではなく、札幌の老舗デパートの大手二社が業務提携という話も聴くし、勤め先でも年度替わりの予算作成で、店舗縮小を決めたと小耳に挟んだり、かつての小金がうねるジャパン・マネーの衰退ぶりが否が応でも感じられるようになってきた。

好調を示しているネット業界とて、純利益となるとかなり厳しく、人件費に経費をかけられない分、お金が硬直化している現状は、日本の長者産業といわれるユニクロでも売り上げダウンというニュースを聞くと、日本の先行きが不安になってくる。

そんな憂鬱を晴らすべく、経済復興期の日本を代表する笠置シヅ子の歌を聴きたくなった。

「恋は恋でも金もってこい」

「モダン金色夜叉」で歌われる辛辣な歌詞は「国が好きならお金を出せ」とでも歌っているようなシニカルさが心地よい。「好きよ好き好き」「他国は野蛮」なら猿でもマネるのだから。

「モダン金色夜叉」は残念ながらYouTubeに笠置シヅ子の歌はなかったので、代わりにスカッと爽やかな応援歌で後に吉田拓郎もカバーをした「ホームランブギ」を載せておく。

こんな応援歌がまた流れる日が来ることを願って。

2010-12-03

震源地 Epicenter

今日は朝から激しい雨と風の一日。大人しく家にいて、やり残しの整理をしていた。

昨日の地震についてのニューステレビでしており、札幌ではこのところ、身体に感じない地震を含め、ひと月の間に40数回観測されており、昨日の地震も清田区北広島市では観測震度以上の被害が報告されていて、月寒背斜といわれる活断層の活動によるものらしく、今後も予断を許さないみたいで、今日もおんぼろ我が家でも数回微動の揺れがあった。

この地域には札幌ドームがあり、今回の震源地Googleマップの緯度経度検索で調べると、羊ヶ丘展望台のすぐそばのようで、札幌ドームにも近い。

こんな間近の活断層の活動だから気になるのだけれど、寒冷時期の避難準備呼びかけるテレビを観ていると、ただただ活動が収まってくれることを願うのみ。

激しい雨と風の音が殊更身に染みる。


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2010-12-02

また地震 Moreover, the earthquake.

今日、12月2日、朝の6時46分頃、また地震があった。

震源地は先週と同じく石狩地方中部 ( 北緯43.0度、東経141.4度)で震源の

深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は少し強く4.5らしい。

揺れ方も先週よりも強く、大きいものが二回あり、その後、小さな揺れが少し続いた。

寝床についたまま、揺れているのを静観していたけれども、一度目は複雑な揺れで、二度目は横揺れだった。

揺れが収まり、起きあがり、仕事部屋に行くと、DVDなど山積みにした机廻りが、山が崩れ、散乱した状態になっていて、やっぱり片付けなきゃなぁと思いもしたけど、その程度の被害だった。

崩れた山を元に戻し、元に戻せない山を別なところに山積みして、ただでさえ整理のつかない仕事部屋を見回していると、また軽い揺れ。

大災害が起こらないことをただ祈るのみ。

哀れ、我等、か弱き者。