2011-01-31

エリックを探して Looking for Eric

サッカーアジア・カップで日本代表の勝利に酔いしれている昨今、ケン・ローチ監督が、マンチェスター・ユナイテッドでは、FAカップとの2度のダブル(2冠)を含め、4度のリーグ優勝を経験したエリック・カントナを迎えて作られたロマンティック・コメディ「エリックを探して」を観てきた。

「人生なんて 意外に小さな勇気でかわるもの」

風采上がらず、息子達にもかまって貰えない初老に差し掛かったおじさんが、あこがれのエリック・カントナに励まされながら、ちょっとした勇気とちょっとした知恵で、変わっていく。

応援するだけ応援して、ブームが過ぎれば忘れるような国とは違い、海外のサッカー熱はその人の人生も左右する。

サッカー選手に励まされるって、誰に励まされるよりも励みになるのだろう。おじさん、エリックは叶えられなかった夢をまた追い掛け、ドン・キホーテのように果敢に人生にチャレンジする。

今読んでいる重松清の「海の見えるホテル(なぎさの媚薬 1)」にも、何もかも中途半端なおじさんを娼婦なぎさが、若い頃にタイムワープさせ、「あの頃は『命』と向き合っていたから」と『命』と向き合わなくなったと中年世代に気付かせる物語と同じように、おじさん、エリックは別れた妻に、ちょっとした勇気とちょっとした知恵で、若い時の情熱を思い返させる。

アシストするエリック・カントナが、おじさん、エリックのエスコートを勤めるのもむさい親父二人が少年になったようで、小気味よい。

「人生なんて 意外に小さな勇気でかわるもの」

社会は変えられなくても、自分を変えられるのは自分だよ。社会派監督ケン・ローチ初のハッピーエンドはそんな風に観る者たちに囁きかける。

サッカーのアジア・カップで日本代表は勝利した。次は僕らの番だよとね。

2011-01-28

私たちの望むものは What we hope to do

その街のこども 劇場版」を観て、余韻醒めやらず、関連の情報を集めていて、「リエゾン被災人」なるサイトを知り、「未来は今」、「その街のこども」と二年続いた森山未來ドラマがある事を知った。

「未来は今」で、森山未來は「あの日を忘れない」というセリフを言う事へのためらいを口にし、阪神淡路大震災の「心の傷」を語ったという。

その街のこども」の音楽を担当した大友良英サウンドトラックを手がけるギターリストで、ウィキペディアによると、知的障害者ミュージシャンたちによるグループ「音遊びの会」のサポートでも注目をあつめているらしい。

その大友良英のサウンドトラック集として、ミニアルバムが出ているらしく、「その街のこども」のサウンドトラックの他、俳優の大森南朋の兄、大森立嗣が監督した映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」のエンディングで、「その街のこども」でもエンディングを歌っている阿部芙蓉美が、岡林信康の「私たちの望むものは」を歌っているのを知った。

社会的弱者を囲む輪がこんな形で出て来ているのだろうか?

ちなみに今日は特に予定もなく、街中のCDショップを廻り、この「大友良英サウンドトラック Vol.0」を探してみたけど、マイナーレーベルということもあるのか、どこでも見つからなかった。ネット生活で、探す事が下手になったのかしら。

便利さに慰められている社会的弱者の輪を願いつつ。

2011-01-27

変わらぬ信号 Signal that doesn't change

まだ一月なのね、という程、バタバタしていて、正月初笑いのニュースネタをメモするのを忘れていた。

そのニュースとは時間内に渡りきれない「信号機遭難」する高齢者、障がい者に配慮した信号機として、横断歩道に人を感知すると、一定期間、信号機が「青」のままでいてくれるというシステムの実証実験が始まったというもので、話を聴けば、確かに人に優しいとは思うけれど、人なんてそんなに優しくなんかないと云う事をなんで『信号機』を管理する警視庁は判らないのと、そのニュースを観て、思いもした。

渡っている歩行者が渡りきれずに、「青」が長くなると、「青」だから渡る歩行者が渡り始めて、終いにそこが延々「青」になる開かずの「交差点」になる事くらい分かり切っている事なのに、「優しさ」だけを売り物にする。つまりはどこかで「信号機遭難」する人は出て来る。

そのニュースで、開発元の警視庁曰く、「車優先」から「歩行者優先」との事だけど、高齢化の数の論理に従っただけじゃない。

信号機に関しては、都心の人通りの激しいところで利用されていたスクランブル交差点がいつの間にか、北の都札幌の渡る人が数人程度の街中の交差点にも整備され、「歩行者優先」といいつつ、その複雑な信号の変わり方にしびれを切らす歩行者はよく見かけ、こちら側は「赤」なのに、反対側は「青」なら「青」にしろよとばかりに渡る歩行者をよく見かける。

信号機の変わり方を観察していると、どうやら車の右折、左折で、歩行者が妨げにならないようにの配慮みたいだけど、渡る人が数人程度のシャッター通りに、スクランブル交差点はいらないでしょう。

方や、街中の信号機整備には予算が付くのに、病院や学校などの公的施設の前の交差点に信号機がない箇所は山ほどあり、警視庁からして、経済優先、歩行弱者に対して軽視するというのは何も変わっていない。

日本の社会的整備の遅れはそのまま、経済成長しか考えてこなかった現れだろう。

少子高齢化の時代、減価償却の概念を持たない公的施設の老朽化が災害をもたらす時も近いというのに。

2011-01-24

こりゃまた失礼しました Also as for this, I am sorry.

年度替わりを迎え、職場の親睦会の役員決めに今年も駆り出され、やりたくない男の減らず口を聴き、腹が立ち、やりたくない事を隠すための裏工作に、ゲスと思い、そういえば、昨年の今時期、病院を退院したのだなぁと、退院と同時に親睦会で苦労した想い出が蘇ってくる。

そんな現実から逃避したいのか、この頃、僕がまだ幼かった頃の映像なんぞ、DVDでコレクションしたりしている。

ワンダースリー」に「ジャングル大帝」という手塚アニメに、「ひょっこりひょうたん島」「新八犬伝」の人形劇、そして、ザ・ピーナッツの「シャボン玉ホリデー

実母から、大人なんだか子どもなんだかよく判らない子、とよく云われた僕は、振り返るほどに「ませガキ」で、最初に自分で買ったレコードピンキーとキラーズの「恋の季節」で、よく口ずさんだのが、小学生高学年で、ちあきなおみの「四つのお願い」に「喝采」

そんな僕の想い出は「シャボン玉ホリデー」のエンディングの霧の中、歌うザ・ピーナッツから始まるような気がするし、あのエンディングのシルエットのギター弾きは誰だろうと子供心に思った記憶が、DVDで鮮明に蘇り、ストレス充満の身体に、α波を浴びているようで、気持ちがいい。

YouTubeにも「シャボン玉ホリデー」はアップされているかなと探すと、こんな映像がありました。

ザ・ピーナッツに色気は感じないけど、クレージーキャッツギャグは今観ても思わず笑ってしまう。

そういえば、植木等のCDなんかもiPhoneに入れて聴いていて、ニヤニヤしている。「地球温暖化行進曲」もいいけど、三波春夫との「二十一世紀音頭」は世紀末の始まりの遺言のようで、凄い。

年金支給開始年齢の引き上げ定年延長のお馬鹿発想の極楽とんぼ官僚に、永田町で拡声器使ってエンドレスで聴かせてやりたいくらい。

60年代のテレビって、こんなんだったんだよなぁ。

2011-01-21

その街のこども Child in the town

その街を10歳にして、居づらくなった男がいる。その街を忘れられない女がいる。

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。街が消え、人が変わった。

その15年後のその日の前日、男と女は出逢い、神戸の街をさまよい歩く。

PTSD(Post-traumatic stress disorder)、心的外傷後ストレス障害阪神・淡路大震災被災され、助かった方々の中で、今もなお、この障がいを抱えられている方は多いと聴く。

午前5時46分52秒に目が覚める人、轟音に脅える人など、など。

昨年、震災15年の日にNHKで放送された「その街のこども」も心の奥底にPTSDを抱える若者の物語。

テレビ版との違いは判らないけど、劇場版は登場人物はほとんど二人きりで、セリフアドリブが入り交じり、日常の会話のディスカッションから、二人が抱える「災害障がい」が浮かび上がってくる。

映画を観ていて、「あぁ、関東大震災の時にもこういう人がいたんだろうな。」と思い、「あぁ、太平洋戦争の、例えば出征、例えば空襲、でもこういう人たちはいたんだろうなぁ」と思った。

それは自然災害だけじゃなく、例えばリストラショックでも何でもそうなんだろう。

阪神・淡路大震災は地元の生々しい体験からドラマ化は拒まれ続け、震災10年を過ぎて、やっと描けるようになったと聴く。

当時小学中学のこどもたちは今、成人し、社会に出て生きている。

10歳にして、居づらくなった男はその街で居心地悪そうにしながらも、懐かしさを引きずり。忘れられない女はその街で懐かしさに押し潰されそうになる。

「災害障がい」を思う時、人のぬくもりの大切さを感じてしまう。

ひとりで産まれ、ひとりで死んでいく人生、生きるのもひとりではあまりにも寂しすぎるから。

2011-01-20

遠く離れたおまえに To you who lives far away

遠く離れて暮らすおまえに
こんな気持ちが解るだろうか
病んだ都会が田舎出の男たちを
やさしくつつんでくれるのを

地中海の海を隔てたスペインギリシャ北アフリカモロッコ、そこで暮らすジプシーの村々の人々を前に、長谷川きよしがギター一つで生録を試みた1979年作品の「遠く離れたおまえに」。

ラストソングとして歌われる表題曲に、地中海の村々で歌う長谷川きよしが故郷の都会で暮らす者たちへの想いが馳せてくる。

当時、一世風靡していた阿木燿子宇崎竜童の「砂地獄」、「城壁を作ったのは、ただの人」というシンプルなメッセージが「らしい」中山千夏作詞の「城壁」、永遠の旅人らしく地中海に想いを馳せる永六輔作詞の「トレドの風」、それらの曲をジプシー・ギター、フラメンコ・ギターで歌う長谷川きよしはしっかり大地と向き合いながらも、その向こうにある日本を感じさせる。

世界が世界に恋いこがれ、世界を知ろうとした時代。

長谷川きよしの音楽と僕の出逢いも、彼が歌った南米フォルクローレ灰色の瞳」だった。

遠く離れて暮らすおまえに
こんな気持ちが解るだろうか
病んだ都会が田舎出の男たちを
やさしくつつんでくれるのを

やさしくつつんでくれる空間もなくなりつつある今、「あの時代」の音空間に触れる事が今の癒しになっている。

2011-01-18

アナログ化 Making to analogue

ラニーニャ現象とかの影響だかで、正月明けから連日の大雪。

とはいっても、世界に誇る世界でただ一つの雪国170万都市、ライフラインの維持はさほどの支障なく、動いているのだけれども、除雪車の置きみやげである家の前の雪の塊の処理に一苦労のこの頃。

バブル崩壊の1990年代もこの位の大雪は毎年あったけど、あれから10数年、自分も高齢化なのか、それともハイテク怠慢なのか、雪かきも一仕事になってしまった。

そんな時、ついつい除雪のハイテク化などと考えてしまうけど、ハイテク技術で温暖化加速なんて事になるのなら、これで致し方ないのかなと思ったりもする。

生活除雪で時間を取られる日々、雪かきを終えて、家に戻り、朝飯を食べていると、ガスメーターの検針のおばちゃんの声。

玄関に出て、対応すると僕が留守の時にガスメーターの取り替えが入ったようで、検診の値が合わなく、台所横の勝手口にあるガスメーターのナンバーを打ち込むために、検針のおばちゃんに家に上がって貰う。

ガス会社情報集積で、メーターの取り替え記録を入れていれば済む事なのに、人件費高度成長した日本は人手作業の手間を残している。「なんて、アナログ」と思ったり。

そういえば、通っている歯医者の待合室に壁掛けられた液晶テレビをかつては「なんてハイテク」と思ったりしたけど、また通い始めて、「アナログ」の文字が表示されているのを見て、何だ、デジタル化していないんだと苦笑すると共に、来客ビジネスのテレビサービスが未だに「アナログ」のままが多い現実もあるようだ。

ハイテク日本も遠い昔。除雪作業で雪に埋もれ、亡くなる人のニュースも後立たず、どこかの街の停電や列車の中での年越しが、今の日本なのかなと思ったり。

「原発あるから、今の豊かさがある」とPRするなら、エネルギーの有効活用、安全活用をもっと考えれと云いたいところだけど。

2011-01-16

ふるいみらい The old future

年明けからのマイ・ブーム、長谷川きよしもどんどんはまり、現在入手可能なものを聴きたくて、2002年に出された「ふるいみらい」と1979年発売地中海の村々でライブ録音した「遠く離れたおまえに」を購入し、繰り返し聴いている。

まずは「ふるいみらい」のお話を。

組み木絵という手触りのある素材で作られた絵本の作家である中村道雄さんが、中山千夏さんが綴ったAからZまでのアルファベットから連想される言葉をモチーフにした詩を本にした「組み木絵本 ふるいみらい」という作品があるそうで、その中から長谷川きよしさんが曲をつけた組曲をメインに、中原中也の詩に曲をつけたパートと本人の代表曲を歌うパートを始めと終わりに演奏した作品。

中原中也の詩に曲をつけたパートも趣深く、別な視点の「ふるいみらい」であるけれども、中山千夏さんの詩のものは、身の回りにある自然からあなたへのメッセージぽく、人もまた自然の一部というのをさりげなく感じさせてくれる。

「ANT あり」は見えすぎる世界から目を閉じる事で感じる触覚の世界の豊かさであり、「MOON つき」は月の明るさを街灯で判らない都会子どもは可哀想であり、月の明るさを当たり前と思っている田舎の子どももまた自然の豊かさに気がつかず、可哀想と歌っている。

そんな忘れたものに気がついていく「ふるいみらい」の大切さ、そんなものを長谷川きよしは歌い、中村道雄さんは組み木絵本で伝えようとした。

「ふるいみらい」を忘れ、失った時、人は自分を見失うのかも知れない。

2011-01-14

しあわせの雨傘 Potiche

「飾り壺」と陰口をたたかれる雨傘企業の社長夫人。何もしなくていいと言われ続けたその社長夫人が会社の労使関係の立て直しをやらなきゃならない羽目になる。

カトリーヌ・ドヌーブがその代表作とされる「シェルブールの雨傘」へのオマージュを込めて、作られたライトコメディは、未婚の母として生き抜いた恋多き女性、カトリーヌ・ドヌーブへのフランソワ・オゾン監督のラブムービーにもなっている。

置物のような与えられた幸福よりも、人は幸福捜しをする方が美しい

「人生は美しい」とカトリーヌ・ドヌーブに云われるとそうだよねと頷きたくなり、頷くだけなら「飾り壺」よと、カトリーヌ・ドヌーブに怒られそう。

ちなみに映画の舞台となる1977年は国連が女性の日を3月8日に定めた年だそうで、フランスは今以上に女性蔑視が強かったのだとか。

ちなみに日本では3月8日は話題になる事もなく、マスコミでにぎわっている改造内閣女性閣僚蓮舫氏1人という「平成の開国」とはほど遠い男社会

まぁ、通っている歯医者でも、歯科衛生士女の子が何を考えているのか、患者相手の自覚もなく、ボーっとしているのだから、「飾り壺」でも給料が貰えればそれでいいんだろうけど。

サラリーウーマン日本に女性の日、3月8日は来るのだろうか?

2011-01-12

鬼門 weak point.

昨日は2011年1月11日という「1」並びの日。

実母の誕生日が本人曰く昭和元年、つまりは1年1月11日。大正天皇崩御が12月25日だから、実のところ、大正15年なんだけど。

「1」並びにプライドかけた実母の誕生日の前日が実母の妹である叔母の誕生日で、翌日12日は実母と養父の月命日

因縁めいたこの三日間を僕は密かに鬼門と思っており、昨年なんかは面会謝絶の闘病生活、この鬼門を乗り切れば、退院できると思っていた。

昨日、一昨日と特に悪いことは起こらず、一安心なのだけど、今日は歯医者で抜歯をしたから、歯茎が病む。

いつもなら空腹感なんか感じないのにこんな時に限って、空腹にさいなまれ、口の中を気遣いながらも、食欲旺盛。

「火事場の馬鹿力」のように、人は窮地に陥ると開き直ると言うけれど、それかしら。

今日は昼から天気がまた荒れるらしいけど、無意識にそれへの備えなのかも。

メーリングリストで知った「2011年、戦後最大の経済危機が訪れる JBpress」をiPhoneで読みながら、今の日本、「火事場の馬鹿力」が出せるのかなと思いつつ、ギリシャよりもやばいジャパンマネー高値に押し上げるアメリカ帝国の魂胆は何なんだろうと思いにふける。

「日本滅亡まで、後…」ここは鬼門の入り口かも知れない。

2011-01-10

七転八倒 writhe in agony

しんしんと降り続いた雪もやっと収まったのか、今日の札幌は真冬日ながら、穏やかな一日だった。

自分へのお年玉として、年明け変則勤務の最終日の今日、有休を使い、ブラブラ街を歩いてみた。

街には史上最低数といわれる成人式帰りであろう晴れ着姿の若者たちがにこやかに歩いており、空も晴れのお祝いをしてくれたのかなと思うと、人ごとながら気持ちが少し軽くなる。

しかし、舗道は除雪でうずたかく作られた雪山と除雪機でつるつるになった歩道で、晴れ着の女の子も手を引かれ、歩いている。

そんな道路環境からなのか、僕もこの冬は派手に転ぶ事が多い。

昨年末にオオコケして、尻餅をつき、撲った右腰がまだ痛むけど、今日は祝日、安・近・短のメッカスーパー銭湯で、激混みの露天風呂からあがろうと無理して、段差のない岩状のところをまたいだら、コンクリートの床に足を取られて、宙返り。どこで覚えたか、受け身の体勢で倒れたから、頭を打たずに済んだけど、右肘に軽い擦り傷を負い、恥ずかしかった。

雪かき後の筋肉痛とこの打撲で身体はガタガタだけど、七転八倒にならずに済んだのか、それとも今年の運気の始まりか、まずは教訓1。気をつけよう。

テレビで録画した「縁」にまつわるドキュメント瀬戸内寂聴さんが「縁は奇縁」と話されていたけど、「良縁」「悪縁」全てが「御縁」。「縁」にこだわりすぎるのもよくはないし、「縁」にこだわらないのも「縁」を無くしてしまうとか。

「七転八倒」そこから得た物。それが大人なのだろうね。

2011-01-07

雪の降る街を The town where it snows

家の中から見る荒天は
好き・・・

誰かが云ったからか、お空もアンコールにお答えして、風雪二日目

朝、年末に虫歯で欠けた歯に被せていたところが取れ、歯医者に行き、処置は年明けといわれていて、その予約日なので、吹雪く中、道路向かいの歯医者に行く。

年明け3日に上の歯の差し歯が取れたり、口内炎が出来たりと、どうもお口のトラブルが多いのは何でかな、と思いつつ、やっとの治療に一安心というのもあったけど。

カレーライスの「ココ一番」が潰れた後に出来たからなのか、「ココ歯科」というその歯医者、診察を受ける時に、一通り年明けに起こった事を伝え、治療にかかり、口内炎の塗り薬も貰う手はずを取ったけど、あっちもこっちもあるお口のトラブルのせいか、看護婦も口内炎の件を忘れてしまい、当の僕も次の予約の話を聴かれるうちに忘れて、家に帰ってからうずき傷む口内炎に、思い出す。

後輩に聴いたうがい薬の「イソジン」も利くというから試していたから、ひどい痛みでなくなっているので、まぁ、これで治すかと思ってはいるけれども。

外の景色は相変わらずの風雪ひとり旅。

家の中から見る荒天は
好き・・・

いかん、いかん。またアンコールしてしまうところだ。

思い直し、家の前の除雪を済ませ、せっかくのお休み、街に出る事に。

アンコールをしたせいか、風雪はますます強まり、津軽三味線聞こえそうな風景になってきた。

近所の生協で、雪を漕いでも大丈夫なようなウィンドブレーカーパンツを物色するけど、今いち買う気になれず、いざ街へ。

スーパー銭湯でくつろいだ後、帰り道は口内炎の塗り薬を貰い忘れた時のように頭、じゃなくて、目先真っ白。

天気予報ではピークは超したけれども、週末の連休は吹雪とか。

このまま、ずっと風雪が続いたら。

あらぬ事を考えると、何故か口から「雪の降る街を」が。

家の前の雪は主の帰りを遮るように、雪が積もっている。やっぱり、ウィンドブレーカーパンツ、買っちゃおうかな。

寒波襲来はお断りだけども。

2011-01-05

りんりんと sounds

恩師と慕っていた方の訃報を聴いた。

かれこれ30年前、映画のシナリオをまねごとながら書いていて、物になればと思っていた頃、その方と知り合い、お忙しい中、時間を割いて貰い、下手なシナリオ作品を読んで貰い、感想を頂いた。

物語は、足の不自由な男の子と仲良しの主人公が、足の不自由な男の子はそれを理由に同じ中学校に通えないと聴かされ、一緒にいたい一心から足の不自由な男の子に自転車を教え、廻りから反対されるというものだった。

その方は、廻りから反対される理由はそれぞれ違うと思うよと仰って下さり、僕はギブアップになってしまった。

その方はテレビディレクターという仕事をされていて、倉本聰さんと単発物のドラマを何本か作られ、賞も多く受けられた方だったけど、テレビ局を退いた後も表舞台に立つ事はなく、舞台演出やドキュメント制作を手がけられていた。

年賀状のやり取りもして頂き、ここ数年は夏に行われるご自身の絵の個展のご案内を頂きもしていた。

残念ながら、個展でもお逢いする事はなく、年一度のご挨拶だけで、訃報を聴く事になってしまった。

その方、守分寿男さんのテレビ作品は「うちのホンカンシリーズレンタルビデオで観られる程度で、よくお話を聞かして頂いた田中絹代さんの晩年の名作「りんりんと」「幻の町」などは観たくとも叶わない状態にある。

お母さん、生きていてもいいの?」と実母に聴かれた倉本聰さんの、養老院に母を連れて行く息子の道行き話「りんりんと」と、老夫婦が若い頃、暮らした樺太の街の地図を書き記し、辿り着いた小樽の街で、幻の町を夢見る「幻の町」は老いて忘れられていく者たちへの哀歌を描いた名作で、僕も放送当時に観てはいるけど、また観たい作品。

その二作で童女のように演じた田中絹代さんの事を、守分さんは後に、単行本でも書き残している。

その単行本「さらば卓袱台 テレビドラマの風景」はテレビドラマで関わられた名優達の話が詰まったもので、舞台裏で想い出残るお話も綴られていた。

まだ公衆電話が当たり前の時代、人目はばからず電話に向かい号泣する女性の話は、今も覚えていて、人間が押し殺した感情を発露する場面は今は出逢わなくなったなぁと思いもした。

そんな些細な記憶を書きとどめた守分さんの個展は、初年度は「石仏」テーマであり、二年目は「花」がテーマになっていた。

人間は人間がいるから絵になるのじゃない、その背景となる自然があるから絵になるんだよ。

そんな風に、僕に教えてくれたような気がして、こうしてひとり、故人を偲ぶ。

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ

赤い総(ふさ)のある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知っている
この道は遠く遠くはてしない道

(三好達治 詩集『測量船』から「乳母車」)

2011-01-04

みんなのなやみ Everyone's worry

年前に読み終えた重松清の「みんなのなやみ」の感想を書かなければと思いつつ、三が日が過ぎました。(笑)

他愛ないと大人の僕は思ってしまう子供達の悩みから、いじめられている子、身体が不自由な子、恵まれない子に対するどうにかしてやりたいという悩み、自分を押さえて、廻りのよい子になろうとする子の深刻な悩みまで重松清が回答するQ&Aもので、終盤は親である大人の悩みまで書き添えられて、「みんなのなやみ」とはなんなのだろうという編者・重松清の姿勢が見えてくる。

最初、読み始めの頃は何でこんな子どもの悩み話の回答を読まなきゃならないんだろうと思っていたけど、読み進めるに従って、今の子供達の悩みが何となく見えてきて、これって社会の悩みジャンと思えてくる構成はうまい。

重松清の回答はところどころそうかなと思うところもあるけれども、「子どもだから」という姿勢はそこにはなく、ひとりの人として、どう「悩み」に向き合うべきかが何度も語られる。

そんなことを思い返している時、昨夜1月3日夜、NHK BS1で放送された「プロジェクト WISDOM どうなる日本」はそれこそ今の日本の「みんなのなやみ」なのじゃなかという番組だった。

外国の諸氏から見た今の日本の駄目なところとよいところ。それを語り合うことで、日本はどうなるかを考えてみようとする試みは、組織化された古い体質がグローバル化でうまく作用出来ない、少子高齢化の打開策を示せない、巨額赤字の国家運営といったマイナス面と、組織化された社会が安定社会を支えてきた、細かな技術や勤勉さ、マンガ文化など特異な文化を持つ国というプラス面をどう切磋琢磨させていけばいいのか、何が欠けていて、何を見落としているのか、になっていく。

その語り口が重松清の「みんなのなやみ」に重なるようで、今の世の中、見殺しにされているのは子供達なのだろうとふと思う。

日本に投資する外国人投資家は、「今の政治、経済、総首すげ替えしなければ、喰うに困る子供達が大人になり、革命を起こす」と警告し、「数年先、私も投資しているかは判らない」と脅しもする。

既得権益ばかり追い求める一部の大人たちは古い体質を温存して、グローバル化で急激に減少した収益を補うべく、リストラ派遣社員など人件費削減で生き残りを考えているけど、後継者育成がなされない時点で、日本の未来を考えていない。

それはちょうど「いじめ」を親に告げると自分がいじめられる子供達の世界と同じようなもので、「いじめ」がスパイラルしているのだろう。

失われた10年」といわれた日本経済は「失われた20年」になろうとしており、「失われた平成」でもあるだろう。豊かさしか知らない子供達も成人となり、自分が「忘れられた子ども」であると気がつく時、日本の良さは蘇るのだろうか?

ひとりの人として、どう「悩み」に向き合うべき、そう思う時、またしても長谷川きよしの「なやみ」に目をそらすことなくひたむきに漕ぐように歌われる「黒の舟唄」を思い出す。

それでもやっぱり逢いたくて、
えんやこら、今夜も舟を出す
ローエンドロー ローエンドロー
振り返るな!ロー

2011-01-02

年明け散歩 Stroll at new year

例年ならば元旦は大人しく家にいるのに、今年は年末にオークションで物が売れ、入金もされたので、元旦そうそう、郵便局に行きがてら、「年明けマラソン」ならぬ、「年明け散歩」と街に出てみた。

元旦営業が騒がれ始めた数年前は、実際に出歩くわけでもなかったから様子は分からないけど、このところの不景気でか、元旦営業をする店としない店の色分けがはっきりしてきて、何となく面白く、人の行き来ももの凄いというほどではないけど、年明けの街というような朝方の白々した雰囲気に似て、何となくいい。

とりあえず、欲しい物があったので、街中、「大通駅」界隈を歩くと、三越、丸井今井の二大デパートが閉まっていて、その上、地下街も閉鎖されているため、白々感がより強く、その後に行った「札幌駅」前は大丸デパートが閉まっていて、駅名店街が開いており、何となく帰省客相手の元旦営業みたいで、年明けの雰囲気がした。

翌日の二日は本格的な初売りだけに、「大通駅」周辺も「札幌駅」前も凄い賑わいで、人混みを避けながら、用件を足したけど、マスコミ流に騒ぐ「元旦営業」も実際に目にすると、こんな違いがあるのだろう。

まぁ、この後、不景気に少子高齢と「元旦営業」も変わっていくのだろうとは思うけど。

元旦は知り合いに誰とも会わず、このまま誰とも会わない一年なのかと思いもしたけど、初売り二日にはアルバイトに来ている悪ガキ大学生に「オヤジ狩り」に逢っちゃった。

まぁ、例年のことなんだけど。。悪ガキ大学生の若さを分けて貰い、今年一年無事に過ごせるにかな?

元旦の白々とした街なみで聴いた長谷川きよしの「愛の讃歌(Hymne a l'amour)」が耳に残る。

2011-01-01

御年賀2011 New year's greetings

昨年は初めての入院にして、
病院で年越し迎えた一年でした。

寄る年波を感じつつ、スローワークに
シフトしつつ、何やかやと
仲間と集う場を持ち、動き回っています。

人が動くとどこ彼処で懐かしい人との再会もあり
歳を取る面白さをも感じたり。

再再来来、今年はどんな出逢いがあるのやら。

I Love the Earth 2011年元旦

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