生活に忙しかった父。末期癌を宣告され、終活に忙しい。
封切りの時、気にはなっていたけど、テーマが重そうで、けんえんしていた映画だったけれども、友達がブログで書いている記事を読み、見逃した事を後悔し、再上映されると知り、観に行ってきた。
エンディングノート。死のプランニングというか、死を迎える準備というか、ここで登場するこの映画の監督のお父さんはエンディングノートで残された日々を締めくくろうと行動し始める。
エンディングノート。ざっくり言えば、やり残した事をやり遂げ、自分の葬式の準備をする。
それは皮肉にも死と向き合いつつも死から逃れる行動のように映画を観ていて感じられた。
やり残した事。孫と遊び、美味しい想い出のある食べ物をまた食べる。
自分の葬式の準備。コストを考え、教会葬とし、呼ぶ人は親族の他、定年退職した会社の誰を呼ぶか。
きわめて日本的な終活は時に笑いを誘うけど、末期癌に脅えるお父さんの姿が切なくなってくる。
お父さんのお父さんは医師だったのに、抗ガン剤治療に頼り切り、子供らが薬を止めればと云っても頑なに薬にしがみつく。
そんなお父さんの生命力は美味しい想い出のある食べ物をフルコースたいらげ、葬式の準備に奔走する。
張りつめたお父さんの生命力も離れて暮らす孫が来たとたん、たがが外れ、一気に病魔が優っていき、迎えを待つ日を迎える。
エンディングノートに書かれていなかった家族との別れの時。
その場面がお父さん一番生きようと頑張っているように見えた。
人は誰でも最期は人の世話になる。当たり前にして想定外の結末なんだよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿