1956年にソ連でスターリン批判が始まったことも契機として、毛沢東は「共産党への批判を歓迎する」と「百花斉放・百家争鳴」と呼ばれる運動を推進。知識人の間で中国共産党に対する批判が出始めるようになったが、57年6月、毛沢東は人民日報に「右派分子が社会主義を攻撃している」という社説を掲載し、突如、方針を変更し、一気にそれまで党を批判した人々を容赦なく粛清する「反右派闘争」が始まった。
映画「無言歌」は右派分子とされた人々が収容された再教育収容所では、ちょうど1959年から1961年にかけての「毛沢東の大飢饉」といわれた「大躍進政策」のもたらした飢饉の時期と重なったため、多くの死者を出した、その映画である。
『鉄西区』、『鳳鳴―中国の記憶』などドキュメント映画で国際映画祭に名を馳せるワン・ビン(王兵)監督の初の長編映画で、原作はヤン・シエンホイ(楊顕恵)の小説『告別夾辺溝』。中国本土での上映は禁じられているというおまけ付きの映画。
中国西部、ゴビ砂漠の収容所。毎日の強制労働にただ泥のように疲れ果てて眠る囚われ人たちは食料はほとんどなく、水のような粥をすすり、飢餓のため、次々と亡くなっていく。
飢えで砂漠に実をつけた枯れ草をむさぼり食う者。腹病みで嘔吐する者のはき出した汚物から固形物をむさぼり食う者などなど。
亡くなった者は寝ていた布団にくるまれ、砂漠にわずかな砂をかけられ、棄てられる。
人は食べて生き、飢えて死ぬ。
死を予感する者は仲間に妻が来たら上海に俺の遺骨を持って帰ってくれと言い残す。
その妻は死んだ夫の死骸を砂漠の中、狂ったように探し回る。
ゴビ砂漠には弔われない日本兵の遺体もあるんだよな、と映画を観ていて思う。
人は食べて生き、飢えて死ぬ。
ブルジョワジーたちが酒池肉林の宴を繰り返し、ゲロを吐き、糞まみれに死んでいくマルコ・フェレーリ「最後の晩餐」を観たくなった。
人はどんなに豊かになっても飢えて死ぬ。その時、遺体を葬ってくれる人がいるかどうかが幸福というものなのだろう。
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