2006-12-18

クリント・イーストウッドからの映画 cinema from Clint Eastwood


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散るぞ悲しき

クリント・イーストウッドからの映画『硫黄島からの手紙』

クリント・イーストウッドが「世界が忘れてはいけない島がある」として、作った硫黄島二作。その日本から見た硫黄島『硫黄島からの手紙』を見終えた。

イーストウッドは出来れば亡き黒澤明にこの映画を撮らせたかったと語っており、劇中でも、黒澤映画のオマージュか、戦乱の宿場町を思わせる硫黄島の部落が描かれもしていた。

制作途中でも日本側に監督も任せたく、人選にあたったようでもあるが、結局、ご自身でこの映画を作られた。

作られている間も日本側のスタッフ・キャストと入念なミーティングを重ね、イーストウッドの思い描く日本人観はより現代的な日本人像が造られたようである。

現代の遺骨発掘から始まる映画は61年前の硫黄島にタイムスリップする。

二宮和也が演ずる西郷の語りで、硫黄島の日本軍の絶望的死闘は始まるが、この西郷の文句を言いつつも従ってしまい、上官に逆らえないキャラクターは今まで日本映画で描かれなかった兵士であり、今の日本人が「あの時代」に行ったような感覚を覚えてしまった。

映画の感想をネットで読んでいくと、中村獅童が演ずる伊藤のような盲目的な愛国者に対する批判が聞かれ、「あんな士官はいるはずがない」と、語られていたが、日本のかつての戦争映画などはどちらかというと、洗脳され、盲目的な愛国者になった伊藤のような男たちの悲劇を取り上げていたのだが。

盲目的な愛国者の死を尊べと云うのと、その死を忘れるなという見解の違いが戦後の「あの戦争」をどう捉えるかの争点だったけれども、今の日本は逆らえない人間をキャラクターに据える事で「あの島」を語ろうとしたのだろう。

そして、戦後日本にあった厭戦観をイーストウッドは理解していないのか、テーマは『父親たちの星条旗』と同じく「生と死」に重きを置かれているように思う。

英雄という立場で国家に利用される『父親たちの星条旗』、支援なき攻防に追い込まれる『硫黄島からの手紙』。

明らかにイーストウッドは泥沼化するイラクを視野に入れているだろうけど、それを支持する盲目的な愛国者たちに戦場の死の舞を見せつけたかったのだろう。

映画では自然の過酷さは描かれなかったけれども、硫黄臭のする硫黄島での洞窟堀りは想像絶する任務であったことだろう。

その硫黄島も今、この3か月で約20cm隆起していると、国土地理院から発表があったという。

自然は壊れても自然のまま、そこで人が暮らせるかどうかの問題なのに、温暖の暮らせる環境が当たり前と思われ、経済優先の競争を激化する人間たちは、平和維持の大義の下、地球を空爆する。

来年、もしかすると硫黄島は「世界が忘れられない島」になるのかも知れない。

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