2010-11-30

W3 ワンダースリー

続けて、音楽ネタ。

元祖アニメ世代は僕よりもう少し上の世代になるのだけれど、僕らもほとんど変わらない元祖アニメ世代でして、小学校高学年の頃にはすでに発売されていた「少年マガジン」に続き、「少年ジャンプ」も創刊され、テレビでは「巨人の星」「タイガーマスク」「アタックナンバー1」などいわゆるスポ根ものが大流行の時代。

その少年Aだった僕がセルロイドで出来たソノシートというレコードで一生懸命聴いた記憶があるのが、「ジャングル大帝」であり、ここに紹介する「W3 ワンダースリー」でした。

レンタルCDで、「手塚治虫の世界 [Soundtrack]」を借り、聴いてみると記憶にある曲がたくさんあり、「あぁ、僕も手塚治虫のマンガで育ったんだなぁと改めて思ったりして。

有名作「鉄腕アトム」は物心ついた頃にはもう大人気のアニメだったから、それに続く「W3 ワンダースリー」が僕の中の秘かな同時代アニメという感覚だったのかも知れないし、同じ頃に始まり、ロングランになった「ジャングル大帝」が「鉄腕アトム」より親近感を持っているのも同時代性なのかも知れない。

「ふざける時でもまじめにやろうよ」

「W3 ワンダースリー」のでこぼこ三人組に、それぞれみんな違いがあり、違いを認め合いながら、力を合わせ、解決するお話に、ひとりヒーローの「鉄腕アトム」にない、魅力を感じたんだよなぁと、今、改めて思うのですよ。

DVD-BOXで復刻されているそうだけど、「欲しい」という気持ちはないけれども、機会あれば、見直してみたいアニメではあるのだけれど。

2010-11-29

スティーブン・フォスター Stephen Foster

さすがはデジタル・オーディオ・プレーヤーのiPodの機能を搭載しただけあって、iPhoneに携帯を変えてから、音楽をよく聴くようになった。

操作性に優れていて、今まで使ったデジタル・オーディオ・プレーヤーには比べものにならないくらい使いやすい。

こつこつ買い集めた手持ちのCDを片っ端からiTunesに取り込み、iPhoneに入れて聴いている。

アルバム選びが面倒な時、シャッフル機能を使っていると、最近の歌から懐かしの歌、はたまた日本の放浪芸に、世界各国の歌がランダムに流れ、20世紀を俯瞰しているような醍醐味を味わえる。

それに飽きたらず、ちょうど街中に出来たレンタルショップで見かけた70年前後の日本のフォーク・ロックを推し進めたURCレーベルを借りて、入れ、手持ちのCDでは持っていないレコードレンタルCDで探したりとちょっとした自分の足跡を音楽で振り返ったりもしている。

CD化されていないレコードをCD化したいと思いつつ、個人所有のレコードのデジタル化をしてくれる業者さんをネットで見つけ、頼んだりもして、そのはまりようは自分でもちょっと怖い。(笑)

CD化されていないレコードの中に、アメリカの良心といわれるスティーブン・フォスターの曲をビング・クロスビーが歌ったものがあり、それも頼もうかなと思いつつ、CD化されていないか、ネットで調べてみると、CD化されているらしく、注文し、それが今日届き、聴いている。

白人による黒人哀歌は偽善ともみられなくはないけれども、「奇妙な果実」と玩んだ白人達の中で、黒人に哀れみを向けるスティーブン・フォスターの曲は子どもの頃、凄く好きな曲達だった。

「おおスザンナ」「草競馬」「故郷の人々」「主人は冷たい土の中に」「ケンタッキーのわが家」「金髪のジェニー」「オールド・ブラック・ジョー」「夢見る人

ビング・クロスビーの甘い歌声もいいけど、ミンストレル・ショーの立役者アル・ジョルソンの大仰な歌にスティーブン・フォスターの想いを馳せたりする。

街は景色が一変して冬化粧。蓄音機から流れるようなモノラルの音に、「幸福」を願うぬくもりを感じ、自分も子どもの頃、この暖かな音色に心安らいだ想い出を思い返したりする。

2010-11-28

出すか、下げるか Do you put out or lower?

先週、ユニクロタイツのようなレギンスというものが安売りされており、買ってみたのだけれど、前が開いておらず、使いにくそうだったので、返品した。

その話をアルバイトの若い連中にすると、オシッコをする時に、前あきから出してするか、肌着を下ろしてするかで、議論になった。(笑)

若い連中の大半は前あきから出してするのは面倒だから、肌着を下ろしてすると見解が一致し、「へぇ、そうなんだ」と変なところに不思議発見をしてしまった。

この頃は男でも用を足す時に、小便器を使わずに、大便の個室に入るという話を聴いたことがあるけど、男の肌着から前あきというものがなくなる日も近いのかも知れない。

2010-11-26

借金の資本論 Das Kapital of debt

今日のmixiのニュースで、延々話題になっている「高所得者増税ずらり、政府税調」のニュース。

ざっとそれらの日記に書かれている文句を見ていくと「資本主義に反する」だとか、「人より努力して高所得を得ている方」だとか、「努力をしないでギャンブル、酒やタバコに使う金はある、まるで動物のような生活。こういう連中を救済する必要はない。」だとか、自分は高所得にはなり得ないけどと前置きをしつつ、何故か自分に無縁な高所得者を擁護し、自分の所得に近いだろう人々をこき下ろす日記が目につく。

借金大国の日本で、浪費型の政治を戦後延々と続け、経済成長した頃はいいけれど、産児制限の後に、少子高齢化した今、国民一人当たり712万円という額があるのに、何の対策も打たなかった政治の問題を語らずに、高所得者増税だけを論じる論点は全然論理的じゃない。

「資本主義」を語るなら、「借金の資本論」を語るべきで、金があるから貸すという借金の大前提からすれば、金持ちがいるから貸すのであって、年収500万以下で、ローンを抱える貧乏人に金を貸す訳もない。

国際通貨基金は借金大国であるからには社会保障費を削減しろという当たり前の要求を突き付けるけど、それをやると国民一人当たりの借金額はどんどん膨れ上がり、今の100円ショップ生活でも成り立たなくなるし、そうなれば、健康面の悪化が懸念され、疫病蔓延にもなりかねない。

借金返済、健全経営に立て直すには、ジャパン・マネーの総額に借金額の返済計画を割り当てるのが順当で、高所得者増税しか打つ手はないだろう。

「人より努力した」とされる高所得者の不満が政治を突き動かすだろうし、日本再生にはいいかも知れない。

ただ、日本は昔から「居直り」の国であるから、高所得者の節税に難儀するかも知れない。

何せ、世界の富豪ランキングを見ると、トップが兆の桁なのに、日本の富豪トップは庶民洋服店の8000億、続く富豪の額は7000億、5000億と一気に少額になっている富豪不在の国なのだから。

反面、自殺大国、死刑大国で、国民一人当たりの借金額を増やしたがる不思議な国でもあるのだけれど。

いと、おかし。

2010-11-24

直下型地震 Earthquake directly above its epicenter

今日2010年11月24日深夜2時9分に、震源地石狩地方中部 (北緯43.0度、東経141.4度)、震源の深さ、約10km、地震の規模(マグニチュード)は2.9の直下型地震があった。

うちは札幌東部の泥炭地域であるせいか、縦揺れに一回、ドスンと来て、終わったけど、昼間その話題となり、ネットを調べると、上のようなデータが見つかった。

話題にした西区在住の人たちは気がつかなかったといっており、岩盤質の西の方では揺れがさほどでなかったのかなと思ったりもする。

ちなみに気象庁の発表では、震度2が北広島市共栄、震度1が札幌中央区北2条、札幌北区太平、札幌白石区本郷通、江別市緑町、千歳市北栄、千歳市若草、恵庭市京町、胆振伊達市大滝区本町となっており、札幌で揺れを観測したのは東側の泥炭地域だけのようだ。

この情報を調べていくと、Twitter2チャンネルなどの情報があり、期間限定の速報として、気象庁のサイトの情報があるだけで、新聞やニュースサイトの記事はなく、データベースとして使える情報もない。

即時性ばかりを追い求め、過去の記録を振り返れるものの整備の遅れは、やはりよく云われる日本のデータベースの使いこなしの下手さの表れなのだろうか?

15年前の阪神大震災と同じような地震が自分の住む街にも起こりえる。そんなことを思い起こさせると共に、災害情報の整備の遅れが改めて気になった。

北海道新聞のサイトに、二週間前の「震度1~3が続発 北大が臨時地震計で調査」という記事を見つけたけど、これもすぐ消えるでしょう。

災害は忘れた頃に、ですからね。

2010-11-23

就活はもういらない。青春を返せ!Job hunting is already unnecessary. Return youth.

CDレンタルで、今では入手困難高田渡のURC録音が聴けると知り、さっそく借りて、iPhoneに入れ、聴きながら街をブラブラしていた。

バスに乗り、「三億円強奪事件の唄」のスタジオライブ、それぞれのテイクを聴いていると、窓の外に警察官たちがうろうろしているのが目に入った。

何かあったのかなと周りを見回すと、大学生らしき若者たちが30人ほど仮装をして、「こんな就活はもういらない」「青春を返せ」などのプラカードを持ち、デモ行進らしきものをやっていた。

帰宅後、テレビニュースで知ったのだけど、この学生達、どんどん在学期間中に、就職活動が盛んになり、本来の学業やサークル活動をエンジョイするはずの学生生活がなくなってきている現状やそこで就職活動を怠ると「卒業=失業」になってしまう今の就職活動はおかしいと訴えているらしかった。

「三億円強奪事件」を通して、社会の仕組みを風刺する歌と相まって、40年前と今と何も変わってないんだろうなと思っていると、「自衛隊に入ろう」が流れ始めた。

自衛隊に入ろう入ろう入ろう
自衛隊に入ればこの世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って花と散る

今の就活のあり方に抗議する若者たちは、この歌をどう聴くのだろうか?

結局、日本のおじさん達は「自衛隊に入ろう」を「公務員になろう」にしてしまい、税金を食いつぶす事で、幸福を得たのだけれど、おじさんの僕は、彼らに付き合い、交通整理をする警察官ののどかな光景に「花と散った」親父未満を見たような気がする。

自衛隊に入ろう入ろう入ろう
自衛隊に入ればこの世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って花と散る

国税食いつぶすことがどんどん困難になる時代、国税食いつぶすのはやはり「自衛隊に入ろう」なのかも知れない。

歌の中での岡林信康のアジテーションに思わず大笑いしてしまった僕ですが。

2010-11-22

てんびんばかり Balance scale

先月の木村充揮ライブから、カバーされた河島英五の曲を聴きあさっていて、「てんびんばかり」という曲を知った。

YouTubeで聴いたその曲の歌詞を検索しても、記さされていない箇所がある。

母親が赤ん坊を殺しても
「仕方のなかった時代」なんて悲しいね

母親が赤ん坊を殺したら
「気違い」と呼ばれる今は平和な時

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ

この歌詞、障がい者の解放運動が起こったとされる横浜の我が子を殺し、世論が擁護した障がい児殺し事件の事を歌っているような気がする。

この曲は世論の矛盾をたたみかけるように歌う歌であり、今日でも話題となっているこんな詞も歌われている。

何人もの人を殺した男がいる
掛替えのない命を奪ってしまった
次はこの男が殺される番だ
掛替えのない命を奪ってしまう

男が殺される 男が殺される 誰も何も言わない
男が殺される 男が殺される みんながそれに
賛成したのです

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ

この頃、聴きあさっている関西フォーク名曲たちの流れを組むこの歌は弱い者、殺される者の立場から歌われた歌であり、弱い者は更に弱い者を殺すという事を歌っている。

この歌手達のアイデンティティが、尾崎豊や今話題の「龍馬伝」の福山雅治にまで行くんだろうね。

「みんなが笑って暮らせる社会」を望んだ坂本龍馬が、下級武士の分際で出しゃばるなと殺された日本の中で。

2010-11-21

お金の話 Story of money

スーパー銭湯で、肩に刺青を入れたお兄さん達が、咎められないようにその刺青を手拭いで隠しながら、入浴していて、話す会話をそれとなく聞いていると、国際社会を相手にする商売では高額取引が盛んなようで、借金の仕方から、税金対策まで、日頃、100円ショップ暮らしをする庶民が想像も出来ない「お金の話」を聴くことが出来る。

先日のお兄ちゃんの話によれば、年収900万円だかを越えると納税額の比率が跳ね上がるらしく、それを越えない程度に収入調整を行っているらしく、障がい者支援をする善良な方々が「税金を払える生活」を美徳のように語るお話が胡散臭く思えてくる。

更にそのお兄ちゃん曰く、国民健康保険の月々の支払いは月々6万円程度らしく、年収900万円にして、月々6万円程度の国民健康保険料なのだと、年収200万円にも満たなく、月々1万円程度の国民健康保険料を払う一庶民としては、その社会の不公平感に驚きもした。

まぁ、保険適用範囲の治療を高所得者がどれくらい利用するかは確かに疑問だけれども、国民の8割は300万円から600万円の年収で暮らすこの国では、その8割の方々に社会保障の負担をして貰わなければ国が成り立たないわけで、国防論議盛んな昨今、超高齢化も控えて、更なる税負担が待っているんだろうなと思いもする。

そうなれば税負担などしたくない高所得者はおそらくもっと資本主義の国に移り住む事だろう。

高所得者になりたいとは思わないけども。

2010-11-19

灯油屋さん Person of kerosene delivery

朝の食事をしていると、外で大型車が止まる音がした。「灯油、今日か」。数日前に、「原油相場が87ドルまで上昇し、灯油の国内在庫が低レベルのまま、需要期入りしたため、灯油の卸売価格が急上昇してきました。」という来週から灯油2円値上げのメールを貰った事を思いだし、慌てて自分の部屋用である空のポリ容器を持って、外に出て行き、灯油屋さんにこれにも入れてくれと頼む。

今日の灯油購入量は195リットル、単価価格73円。計1万4千数百円。来週ならば、390円余計に払わなきゃならないところだった。

世の中円高デフレと騒がれているのに、灯油、ガソリン市場は相変わらずの高値相場。何でもガソリン高値とこの不景気で、札幌市内でもガソリンスタンド廃業が増えているらしい。

今話題の尖閣問題なんか原油資源の国境紛争のはずが、船の追突問題にすり替えられて、資源貧困国の日本なのに、感情報道しか流されていないという不思議を感じつつ、真冬を乗り切る術として、安い時期に灯油を買い溜める、冬この頃。

私たちの暮らしはよくなるのだろうか。

2010-11-15

子どもを忘れた子供達 Children who forget child

サム・クックのKeen録音CD4枚組が990円という格安で売っており、久々サム・クックを堪能している。

サム・クックの歌声はどこまでも伸びやかで、すがすがしいけど、映画「マルコムX」にも使われた代表曲「A Change Is Gonna Come」は「転機は訪れる」と歌いながらも、「この辺をうろつくな」と俺に言い続ける連中を歌う。

ゆとり教育」の功罪を問う明大学生の調査がネットでニュースとして流れていて、先に読んだ重松清の「教育とはなんだ」を思い返し、日本の教育の問題とは短絡的にその時点の教育の問題しかみない事なのになぁと思ってしまう。

「ゆとり教育」の始まりの頃の子供達は今すでに30代になり始めているし、よく云われた「若者の活字離れ」は今やその若者も40代になっているという。

いわれた当人達はおじさん、おばさんになっているのに、「ゆとり教育」「活字離れ」はいつまでも子供達の問題であるようで、僕らの世代にいわれた「しらけている」も多分今でも「若者たちの問題」として語り継がれているじゃないか。

「ゆとり教育」の時代に限らず、日本の教育は流行に流されたようで、高度成長期に理系が就職需要あるとなれば、学科に理数系が取り込まれ、就職需要が低迷し始めたバブル期に「ゆとり教育」に便乗して、理数系の教科単位は減らされたという。

それは英語にしろ、国語にしろ、同じような変遷を辿っているらしく、オールマイティに各教科を学んだ生徒などどの時代にも存在はしなかったらしい。

「ゆとり教育」における理数系を教えられなかった事は、論理的に考える数学的教養が弱くなり、暗記科目ばかりだから体験主義、実在主義がすべてと思う傾向が強くなるらしく、個々人の価値形成が弱く、流される傾向が強いらしい。

明大学生のアンケート調査という思考もおそらくこの「ゆとり教育」体験者だからだろう。

「この辺をうろつくな」と俺に言い続ける連中たちであるプア・ホワイトと何も変わらない体験主義、実在主義の若者たちに転機は訪れるのだろうか?

子どもが、子どもが」と言い続ける大きな身体になった子供達の「生涯学習」を「ゆとり教育」は目指したというけれど、老若男女のイス取りゲームの時代に、「ゆとり教育」だけに罪咎めてもしかないと思うのだけど。

子どもを忘れた子供達の責任逃れに「ゆとり教育」が叩かれている。

2010-11-13

溜息 Sigh

雨降り続きの一週間。だからというわけでもないけれど、バスに間に合い、座席に着き、大きく溜息をつくと、前の席の地肌が見える年配の小父さんの髪の毛がなびき、その小父さんがちょっと振り向いた。

「小父さん、ゴメン」と心で呟きながらも、顔はゆるんでしまう。明日は我が身だけども。

2010-11-10

前略オーディオブック様 Dear audiobook

昔々、僕がまだ学生だった頃、今のようなマルチメディアもデジタル・コンテンツもなかった頃、好きなテレビラジオの番組をせめて音だけでも録音して繰り返し聴きたいと、カセットテープをテレビのイヤホンジャックに繋ぎ、テレビ番組を録音したことがある。

ビデオテープなんて云うものもなく、今でいうラジカセもどきの機械で、コマーシャルが入る瞬間には止めて、本編が始まるとまた録音を再開させた、そんなアナログな愉しみをしたものが未だにカセットテープとして残っている。

録音したものは数年前、パソコンに取り込み、CDに焼こうかと保存してあったのだけど、iPhoneを手に入れたので、それをmp3ファイルに変換して、iPhoneに入れ、昨晩帰宅時にその一本、「前略おふくろ様」の最終回を聴いてみた。

ちょっと再生スピードが速いように感じられたけど、セリフに重きを置く倉本聰シナリオは、音だけ聞いても情景が浮かんでくる。

iPhoneに取り込む際、知ったことだけど、こういうものをオーディオブックというそうで、これはこれでなかなか面白いと思う。

昔のラジオ番組や一時期流行った朗読ドラマを今度、変換してオーディオブックとして愉しもう。自分の手元のアーカイブから忘れていた優しさが見つかるかも知れない。

前略オーディオブック様。

2010-11-09

ガラパゴス Galapagos

昨晩、NHK総合で、医療の国際化、医療ツーリズム(メディカル・ツーリズム)の特集が放送していて、その中で、国際化が進む医療整備現状、日本で唯一、国際的医療認証を受けている千葉県の亀田病院の方が「日本の医療はガラパゴスになりかけている」というような事を語っておられたが、現在の日本が国際的な視点を失った「ガラパゴス」の例えは面白く思えた。

市場開放が最も遅れているのが、医療とされているけど、医療は市場論理で語っていいのかという議論が本題なのだけど、医療ツーリズムはこの番組で見る限りは裕福な人たちが国境を越えて、専門治療が受けられる環境と語られていたけど、医療技術国際協力は日本が遅れていた訳ではなく、ベトナム枯れ葉剤被害のベトちゃんドクちゃんサハリンコンスタンティンくんの治療や映画「風のかたち」で語られる小児ガンの治療法の確立など、国際的な医療技術の交流で日本はそれなりに貢献してきたはずである。

一般的に言われる小泉改革からの医療の崩壊は、後継者育成不備や無医村地域の拡大などから収益の上がる大都市圏に医療技術が集中する形となって現れたけど、この医療ツーリズムが更なる医療格差を作るのではないかという危惧が語られていたけど、国際的医療認証されている病院が日本でただ一つという現状は、医療危機というより、医療崩壊した日本の現実を語るべきなんじゃないかと思いもした。

日本の現状認識の「ガラパゴス」化が医療に限らず、あらゆる社会で起こっている。そんな気がしてくる。

先日、有給休暇で久々に日曜の街を歩いたけど、来客減少が深刻化しているうちの職場に比べると、大型家電店のにぎわいは健在と感じられたけど、それとて、10数年前のバブルの頃のうちの職場の来客数に比べると少なく感じられる。

日本という「ガラパゴス」の生き物たちは確実に減少しているのかも知れない。

2010-11-05

だからここに来た Therefore, it came here.

団塊の世代ラスト商法も、60代にして、全レコーディング30数枚のCD化を果たした岡林信康の復刻ラッシュとその新作「ロックミュージック」で幕かと思いきや、レア・アイテムとして知られる全日フォークジャンボリーの記録、「だからここに来た」のDVD復刻がされるそうで、当時、近寄りがたいお兄ちゃん達の集会の映像が気軽に観られるのかと、ちょっと興奮気味。

アメリカベトナム戦争反対、ラブ・アンド・ピースで知られる「ウッドストック」の映画再販になる度にボーナス映像が増えて、全部観るのに数日かかるといわれるほどの復刻熱であるのに対し、日本の「ウッドストック」である「全日本フォーク・ジャンボリーの記録」はその音源すらレアになってしまい、聴くこともままならない状況、流行に流されやすく、確たるアイデンティティすらないのに、何が「領土問題」のだと笑ってしまうこのご時世、「あの頃、君は若かった」の忘れっぽく、若者の貧困より自分のメタボに励む団塊の世代のお父様、お母様達に、ひもじかった時代を思い返して欲しいと思ったりする。

今、YouTubeで観られるのは高田渡の映像と遠藤賢司の映像だけみたいだけど、その全貌を早く観たいと思っている。お金を貯めなきゃ。

自由がほしくてここに来た
いやな奴はここにはいない
気にすることはないんだよ
あんたのやりたいことをやればいい

だから俺はここに来た
だからあんたもここに来た

だけどいやな奴が
本当にいなくなると
何をしていいのか
わからなくなって
誰かによりかかりたくなるけど
それではなんにもならないんだよ
あんたの主人はあんたしかいないんだから

だから俺はここに来た
だからあんたもここに来た

2010-11-03

一日おき every other day.

今週は一日おきに仕事という有り難いのか、有り難くないのか、よく判らない一週間。

その最初の休日は一日雨模様の祝日で、しかもやり残しの仕事を片づけなきゃならないという慌ただしさ。

ただでさえ、休んだのか、どうか判らない休みの周期なだけに、休みの日にやり残しの用事はなるべく気にしないように心がけたいのだけど。

天気もぐずつくようだし、すきっとリフレッシュするのは自分次第なんだろうなぁ。

まずは休日初日の反省をば。

2010-11-01

時差ボケ Jet lag

週末の肩すかし台風のお陰で、今日もお仕事の出番と相成ったのだけど、出勤時間がみんな一律出勤であるために、いつもの時間より30分早く出なきゃならない。

朝に慌ただしくなるのが嫌だから、いつも早くに起きるのだけど、この30分のタイムラグがいつもの生活パターンを狂わせる。

単純に30分時間をずらせばいいことなのだけれど、リアルな時間表示に惑わされてしまう。

今朝はその意識をしっかり持てたせいか、少し余裕が出来て、日記など書いているけど、30分のタイムラグの落とし穴に油断せぬまいとパソコン時計を眺めながらの日記書き。

只今7時18分。後10分ほどの余裕があるけど、やり忘れは。。。あっ、イケねぇ。