2008-01-31

男の花道 Man's flower road

1908年の2月にその後、映画界に多大な影響を与えた映画監督のマキノ雅弘(2月29日)と映画俳優の長谷川一夫(2月27日)が生まれたそうで、今年は生誕100年にあたり、時代劇専門チャンネルにて、そのお二方がコンビを組まれた時代劇5作品を放映するという。

長いキャリアを持つお二方が共演されたのは戦争間もない時期に撮られたわずか7本の作品と戦後間もない2作品であり、今回、放映される『昨日消えた男』(1941年)、『家光と彦左』(1941年)、『阿波の踊子』(1941年)、『男の花道』(1941年)、『待って居た男』(1942年)の他に、『婦系圖 前後編』(1942年)、『幽霊暁に死す』(1948年)、『傷だらけの男』(1950年)である。

マキノ監督は日本映画の父とも呼ばれたマキノ省三の息子として、弱冠18歳にして監督デビューし、父が作った莫大な負債を背負いながら、数日で一本の映画を撮り上げるほどの早撮り監督として、ギネスに載るほどの映画を作り続けた方である。

世相が重苦しくなる戦前にも、父から譲り受けた「映画はおもろないとあかんでえ」の持論から現実にはあり得なさそうな庶民の仲間意識の高揚を描くのを得意とし、阪東妻三郎の『決闘高田の馬場』では恩義ある伯父の果たし試合に助っ人で駆けつける堀江安兵衛をはやし立てる長屋の住人を、怪作オペレッタ時代劇として、DVD化もされている『鴛鴦(おしどり)歌合戦』で、みんなが歌い踊る脳天気ぶりにも人情味があふれていた。

一方の長谷川一夫はその美貌で圧倒的な人気を博していたけれど、1937年に松竹から東宝に移籍する際に暴漢に左頬を切りつけられ、心機一転という時にマキノ監督とのコンビが実現したようである。

時は戦時下、ふたりがコンビを組まれた作品は敵国アメリカの推理作家、ダシール・ハメットの「影なき男」を遠山金四郎を主役に描いた推理劇である『昨日消えた男』とその続編の『待って居た男』、コメディタッチの『家光と彦左』、長谷川一夫が女形を演じ、一命を救ってくれた医者への恩義返しをする『男の花道』と、御上を怒らせるに事欠かない作品ばかり作り続けた。

マキノ雅広自伝・映画渡世地の巻』(1621-23頁 : 1995年、ちくま文庫、筑摩書房)の「第三章・戦時下の映画渡世」にその辺の話が詳しく書かれているそうで、『ハナ子さん』(1943年)のラスト・シーンですすきを出したら、「すすきは枯れすすきに通じる」と「敗戦思想」の烙印を捺されちゃったとイチャモンをつけられ、『婦系圖』(1941年)の前編では両国の花火が不発に終わったから「国賊映画」、後編で火薬が爆発したから「国策映画」という行司判決が下されたそうで、当時の映画検閲の無茶苦茶ぶりがうかがえもする。

飽くなき抵抗をし続け、銀幕の夢を送り続けたお二方のコンビも戦況が厳しくなると解消されたようで、戦争末期にはマキノ監督も満州に赴き、戦争協力として『野戦軍楽隊』(1944年)なる映画を撮っている。「戦時下における、映画屋としての良心。」という擁護派のコメントをネットで見たけれども、ビデオで見ると、中国の人々に軍楽隊として、日本の歌を教え、親睦を深めたという、文化侵略の話であり、マキノ雅弘の「映画はおもろないとあかんでえ」の持論が、戦意高揚にうまく利用された映画に思えもした。

敗戦後、マキノ監督は多くの映画監督と同様にスランプに陥り、ヒロポン中毒にも陥ったという。

1985年の「ぴあ・フィルム・フェスティバル」で回顧展として上映されただけで、ビデオ化もされていない『幽霊暁に死す』(1948年)はヒロポンの打ち過ぎで身体をこわしていたマキノが、長谷川一夫と再び組んだコメディだそうで、敗戦の頃、どんな「銀幕の夢」を見せたのか、これを機に是非見てみたいところ。

『家光と彦左』、『男の花道』で脇を務める古川緑波の当時36歳にして落ち着き払い、主役を殺すことなく光る名演も見物であり、映画の黄金時代の基礎を築きあげながら、戦争という時代に呑み込まれていった男たちの花道を生誕100年を機に知るのも悪くはないと思います。

2008-01-30

ロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク) Rokku Mi Rokka

1990年代のワールド・ミュージック・ブームで知られるようになったアフリカのアーティストたちの中で、コンスタントにワールド・ワイドに新譜を出し続けているのが、西アフリカ、マリのサリフ・ケイタとセネガルのユッスー・ンドゥールだ。

サハラ砂漠の傍らにある西アフリカ諸国はかつてはアフリカ奴隷の、そして今は石油産出の貿易拠点として、人種の入り交じる異文化コミニケーションの地であり、それ故に豊かな音楽が生まれる土地でもある。

特にサハラ砂漠に近いところではアフリカ的文化とアラブ的文化が入り交じり、吟遊詩人でもある"グリオ"が語り部として、歌を歌い、物を乞う姿が見られたという。

日本でも戦後まで残っていた説教節といわれる語り物がそれにあたるのだけど、ことわざなどすっかり語り継がれなくなった昨今では馴染みが薄いかも知れない。

その西アフリカのアーティストのひとりであり、現代のグリオとして活動続けるユッスー・ンドゥールの新譜『ロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク)』を聴いた。

ラテンやロックの影響を受けた「ンバラ」を演奏するユッスー・ンドゥールの曲調はアラブ色も強め、「グリオ」的な歌の数々が収められている。

独立44年を祝う冒頭曲「4-4-44」始め、アルバムの中で歌われる歌たちにはセネガルの古いことわざが数多く織り込まれ、自分の生まれた土地の誇りが高らかに歌われる。

「お腹一杯になるまで食べたら、料理をしてくれた人に感謝しなくては。台所は暑いですから」

炭焼きバーベキューが主流のセネガルで、一日の大半を過ごす主婦、メイド、料理人がいるから今の私たちがあるという教え。

「ウサギはアロームを食べる事が出来たら、鳥たちに感謝しなくてはならない」

ウサギの好物で、高い木になるアロームの実は鳥が突いて落としてくれるから、食べられる。

「4-4-44」で取り上げられるふたつのことわざはアルバムタイトルでもあるロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク)を感謝しようと歌われるものであり、この世は一人では何も出来ない事をユッスー・ンドゥールは歌う。

「バッジャン(偉大なおばさま)」は「一人の老人がいなくなると、一件の図書館がなくなったに等しい」といわれるセネガルの「老人は国の宝」を歌ったものだし、モンゴル相撲、トルコ相撲など世界の相撲の中で、短時間で勝負がつくなど日本の相撲に近いといわれるセネガル相撲を例にフェア・プレーの精神を歌う「スポルティフ(スポーツ精神)」なんていうのもある。

「針を持って破れたところを縫い合わせていた」とセネガルの偉人を讃える歌「ダッバーフ」はなんでも切り裂くナイフではなく、針を使いこなし、ひとつにまとめたと例えられ、国民意識のナショナリズムは曲が進むに連れ、グローバルな連帯、ロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク)を歌い進めていく。

ルーツ・アフリカの意識高いネオ・チェリーとの1994年の「7セカンド」に続く再度のジョイント曲「ウエイク・アップ」ではマイナスイメージの強いアフリカ大陸が世界にもたらした文化を並べ上げ、援助を必要とする現状からギブ・アンド・テイクになりえた昔のような関係の構築を訴え、アルバムの結びの曲「テレフォン(コミニケーション)」ではアフリカでも広く普及している携帯電話の便利さに溺れてはいけないと「場合によっては薬も病を引き起こす」と本来あった人と人の繋がりの大切さを説いている。

自分たちが育ち、教わってきたことわざを歌に織り込み、ダンサブルに披露するのはアフリカン・ポップスの主流だけれど、元々日本にも、河内音頭や江州音頭など同じ伝統があった。

「火鉢から立ち上るお香の煙のようになれ」

「プール・バイェーク(あきらめるな)」で布で覆われようが、布目や小さな隙間から立ち上るお香の煙のように「前進する事を止めてはならない」と高らかに歌われる。

語り継がれる歌のように。

YouTube - Youssou N'Dour ft. Neneh Cherry - Wake Up

2008-01-29

携帯サイト Cellular phone site

今、映画のデータベースとして、BS/CSの番組ガイドとして作成しているのだけれど。

もう一工夫出来ないかと思い、携帯サイトとしてショップにアフィリエイトリンクも張ったものが出来ないかなとも思ったりする。

フリーの携帯サイトなんかでデータベースを利用したものがないかとも思うけど、携帯サイトの仕様もよく判っていないから、困ったもの。

データベースが使えて、アフィリエイトリンクも出来るフリーの携帯サイトがないかな。

少し勉強しようと。

2008-01-28

落雪 Dropping snow

今日、明日の天気予報 | 落雪した雪

二週間にも及ぶ冷凍庫状態の札幌も大雪の贈り物が届き、今日の予想最高気温はプラス気温。

仕事で出かけていた昨日は雪が降らなくてよかったと思い、帰宅すると三角屋根に積もった雪が全て落ちており、表通りへの通路をふさいでました。

通路確保の作業をしてみると軒下にへばれついていた大きな氷の塊がどっかり落ち、その上に大雪で積もった新雪が落ち、通路確保で、堅くなった雪を取り除くのが大変。

難儀だけれど、家の保温をもたらし、夏の水を蓄え、自然の危険さを教えてくれる雪。

賃貸一軒家の余計な作業だけど、地に足のついた生活が出来る贅沢さなんじゃないかなと。

2008-01-27

プレミア価格 Premiere price

商品知識がいくらかある映画DVDのヤフオク取引を見ているとプレミア価格になっている商品なんかはある程度判る。

先日、手持ちでプレミア価格がついている商品を出品したところ、同一商品が他の出品者からも出され、競合となった。

終了まで見ていくと、アクセス数はこの分野としてはやはり多く、気になる商品をチェックできるウォッチリストへの登録も多かったけれど、競り合いの方がかんばしくなく、結局、定価税込4,935円の商品が出品価格5,000円のところが落札価格10,000円で終了した。

ところが翌日終了の同一商品は20,000円を超える価格まで競り合っており、ちょうど日月の連休の時だっただけに、日曜終了のこちらの商品は様子見、連休最終日終了の商品は競り合い、高値が付く結果になったのだろう。

その後、別の商品でDVD化されていないビデオテープがやはり、二種出品されており、ウォッチしていると、先に終了した商品は発送方法が宅急便オンリーだったせいもあり、こちらも入札せずに出品価格1,000円で終了したのに対し、その後に終了したものは激しい競り合いの後、3,200円で終了していた。

どうやら先に終わる商品の方が、様子見の犠牲になりそうで、落札するなら、先に終わるもの、出品ならば後に終わるものがお得なような気もする。

けど、映画のDVDなどはプレミア価格がついて当たり前なのは流通経路が複雑で、再販になりにくいヨーロッパの映画やアメリカのマイナーレーベルの作品なら判るけど、今回のは日本映画。

下調べすれば、再販になりそうかどうか判るものでもあり、こちらも再販になりそうだったから、出品したのであって、案の定、数日後には再販で近々3,990円で出るらしい。

オークションでのプレミア価格の落とし穴を見極めるのもおいしい買い物のしかたかも知れない。

ちなみに待ちの中古ショップを廻れば、ネットではプレミアついているのに、地元では売れ残っているものも多々出くわす事もあり、商品知識があれば、結構おいしい思いも出来るもの。

1,000円で買ったCDがネットオークションで10,000円でさばけたとか、3,500円のDVDが14,000円でさばけたなんて事がありますから。

  • OhmyNews : プレミア価格がおいしいオークション

2008-01-26

帳尻合わせ Balance of accounts match

また週末、大雪となった。

「何も朝早く仕事のある週末に」と思いながら、出かける前に家の前の雪を掻いていると、除雪作業に来ていた小父さんが話しかけてくる。

喋る事はこちらと同じ愚痴。

自然は日々に追われる人をあざけるように揺さぶりをかけて、帳尻合わせの大雪をもたらす。

社会生活と自然との共存。

自然のリスクを忘れるとなおも過酷な自然となるのだろうなぁ。

輝く石が わたしに叫ぶ もう降参しろ!....と
わたしが わたし自身を 殺している間に
アタウアルパ・ユパンキ『インディオの歌(風の歌)』より

YouTube - atahualpa yupanqui - la pura verdad

2008-01-24

己を知らない子供のように Like the child who doesn't know yourself

猛烈に発達した冬の嵐も降雪のみで、気温や風速は体感的につらくなく、いつも通りの外出が出来たので、ネット会員オンリーで半額レンタルをやっているTSUTAYAに出かけ、DVD化されていないビデオを借りた。

いつも通り、商品をレジに手渡し、お約束のネット配信の半額クーポンを提示したところ、そのお店の指定したクーポン画面を見せて欲しいと若い女の店員は云う。

こちらはパケット代もかかるので、全店舗共通のクーポンをケータイに保存し、見せたのだけど、その店員はそれではダメだと言い張り、引っ込もうとしない。

利用登録したある店舗一店一店のクーポンを全部保存し、その店毎のクーポンを見せるべきなのだろうけど、今まで共通のクーポンを見せてクレームつけられた事もなかったので、困ったものだと、云うなりにその店特有のクーポンを捜すべく、レジ前で、ケータイの操作を強いられ、見つけられないので、その店員に「表示」を頼むと延々とブラウザ操作をし始めた。

おいおい、人のケータイを延々使うなよ。パケット代だってかかるじゃないの。

その店員は自分の「正しさ」を見いだせたようにクーポン利用期間の画面を表示させ、やっと会計を済ませた。

共通クーポンと店舗クーポンの両方を発行するTSUTAYAチェーンもおかしいけれど、共通クーポンを提示しているのに、店舗クーポンに固執するこの店員もちょっと四角四面。

クーポン画面なんて、レジを打つ店員に客が見せる水戸黄門の印籠のようなもので、後々どうのという代物ではないはずなのに。

借りに利用店舗登録していない客だとしても、メンバーカードとは別物なのだから、店の損失に繋がる事なんてないのに。

四角四面の店員のレジを済ませ、手渡されたビデオテープ10本の重みはひとしおだったけど、果たして一週間で全部見終えるのか、衝動に走り、借りた自分を振り返る。

己を知らない子供のように、相争う人の業は、過ぎ去った時、愚かねと自己嫌悪するのかも知れない。

  • OhmyNews : 己を知らない子供のように

2008-01-23

地震に思う I think the earthquake.

今朝方、4時半頃、地震があり、就寝中だった僕も揺れが収まるのをベットの中でじっと待っていた。

その時、頭の中に過ぎった事は、同じような時間に起こった阪神淡路大震災の事だった。

13年目を迎えた日、新聞のコラムで書かれていたのは、この真冬に阪神淡路大震災が起こった事、同じような地震が真冬日続く北海道で起きない補償がないという事を綴られており、他人事にしてしまいがちな天災はいつでも我が身に襲いかかってくる話だった。

十分に理解しているはずのこの話が地震で揺れる最中の簿の頭の中で反復され、更に、数年前に関わったある天災支援のメーリングリストで、避難されている方々のサポートセンターに携わる方からの悲痛な告白が思い返されもした。

避難場所への支援物資を受け入れるセンターに掛かってくる電話。

「申し訳ありませんが、中古衣料については、現在見合わせていただいております。」
「何言っているのよ。こっちは、この前の古布の収集日に出せなくて部屋がいっぱいで困っているのよ。持っていってあげるって言ってるのよ?」

「家には、サイドボードと食器棚と大きな洋服ダンスがあるから明日の午前中に取りに来なさい。」
「申し訳ありませんが、あまりにも大きな家具ですと、車の手配が必要で・・・。」
「明後日に引っ越すの。だから明日の午前中じゃなきゃダメよ。」

被災支援を口実に自分のいらなくなった物の処分をしようする問い合わせ。

花田春兆さんの著書『日本の障害者―その文化史的側面』にて紹介されている大正俳壇の富田木歩と新井声風の震災被災の話は、身動きできない富田木歩を助け出そうとする新井声風が力尽き、背負いきれずに富田木歩を見殺しにせざる終えなくなった話。

本意であれ、不本意であれ、社会が機能しなくなり、人の業がぶつかり合うのが、自然災害の常。

更に復興では政治的駆け引きが人を呑み込み、阪神淡路大震災からの立ち直りを描いた映画『ありがとう』だって、12年の歳月を経て、やっと描けたものという。

自然に翻弄されるのはしかたない事だけど、社会は被災された者たちを更に翻弄する。

大事にならずに地震が収まった事を感謝しつつも、もしもの大事の時は自然に召される事を祈らずにはいられない。

過酷な自然と過酷な社会、二重苦など味合わされたくないのだから。

2008-01-22

ショート Short

ヤフオクで落札したプリンターが届き、古いプリンターを取り外す作業をしている時、繋いでいるコンセントが堅く、なかなか取れないので、ドライバーで外そうとしたところ、ショートさせ、家中、停電にしてしまった。

部屋につけているファンヒーターも停まり、不完全燃焼の臭いが充満。

下では母が突然の停電に驚き、僕を呼ぶ声。

幸い家の電源が落ちただけで済んだからよかったけれど、無茶しちゃいかんと自己反省。

急いては事をし損じる。

届いたプリンターがモバイル用の手差しタイプだった失敗も急いたお陰。

のんびり心を取り戻さねば。

2008-01-21

忙しい It's busy.

いつになく今日は忙しい。

自分が組んだものだから文句も言えないし、ひたすら降りしきる冬の使者である雪の除雪に裂かれる時間を計算に入れなかったのも全て自分が悪い。

けど、こんな時に限って、飛びこんでくる用事もあり、ゆとりを組み入れたスケジュール立てが大切なのだろう。

と思って、帰宅すると税務署から確定申告の用紙が届いており、未記帳の帳簿づけも後半年弱残っているのを思い出す。

今年は一件源泉徴収票待ちもあるから、のんびりなんだけど、こっちも片づけなきゃなぁ。

この忙しさが収入に結びつけばいいのだけれど、遣り繰り算段なのだから泣けてくる。

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2008-01-20

慢性鼻炎 Chronic rhinitis

痛いほどの寒さが続くと持病の慢性鼻炎も暴れだし、鼻水が出る。
身体の悲鳴も自然の悲鳴なんだろうなぁ。

氷点下34.6度 今冬の道内最低

長期予報ではしばらく続くみたい。

欧米では最大の障害の問題であるアレルギー対策、日本政府の御仁たちはアレルギーをお持ちの方々がいないのだろうか?

社会を考え、己を忘れる愚かさジャン。

  • OhmyNews : 痛いほどの寒さが続くと持病の慢性鼻炎も暴れだす

2008-01-19

雪が降る It snows.

この冬の雪の少なさを気持ち悪く感じていたところへ、一月に入ってからの連日の真冬日が続いている。

真冬日とは一日中プラス気温にならなく、冷凍庫の中で暮らすような状態で、「寒い」というより、「痛い」冷たさであり、旭川ではマイナス25℃まで、札幌でもマイナス12℃まで下がったという。

新聞によると少雪と真冬日の相互影響は、科学的根拠はまだないと前置きしながらも、雪の保温性がない分、地表の熱が更に奪われて、真冬日から抜け出せない状況を作り出しているのではないかという論理が書かれてあり、なるほどと思った。

例年、一定の雪が積もる事で、保温効果を得られる北国の住宅もこの冬は雪がない分、寒さもひとしおであり、ましてこの灯油高で、家庭での灯油消費を控えた低所得層が、家を空け、スーパーや銭湯などでちょうど真冬を乗り切るムクドリが群れをなし、身体の毛を逆立てるように、暖を取る光景がよく見かけられるこの頃、各家庭から放出されるはずの熱もなく、寒波による冷気と相まって、連日の真冬日となっていると仮定してもおかしくはないだろう。

この寒気は週明け火曜日には抜けるという事だけど、スパイラル化しているならば、更に寒さは続くのかなとも思ったりする。

ネットのニュースで「<シベリア>永久凍土が急速融解 牧草地の水没、道路崩壊も」という記事も見かけ、シベリアの永久凍土ではおそらく地上を支える地下水の渇水が起こっているのではないだろうかとも感じられ、少雪の行く末が極北の地で起こっているような気もする。

そんな不安な思いを巡らしている時、昨夜からこの冬始めていっていいくらいのまとまった雪が札幌に降り積もった。

まだ救いがあるという自然の啓示なのだろうか。

まずは出勤前に降った雪を家の傍にかきのけ、歩く道をつけなければ。

さりげない日常がわが生活環境を守り、作り出しているのかも知れない。

  • OhmyNews : 少雪と真冬日がスパイラル化したような札幌

2008-01-18

忘れ物は何ですか? What is the thing left behind?

今朝、バタバタする中、区役所に電話をかけ、福祉定期券の紛失の手続きについて、問い合わせると、まず紛失届で役所に行き、その後、二週間、紛失した福祉定期券が出てこないか様子を見て、再度、区役所に出向き、再発行手続きをして下さいとの事。

やはり役所の規則は無情な答え。

区役所に出向こうかとも思ったけど、すぐ再発行にならないのなら、まず交通局の落とし物預かり所に届いていないか確認してからでもいいとも思い、週明け回しにし、他の用事を済ます。

必要上、プリントするものがあったので、プリントしようとすると最近調子の悪いプリンターがエラー音を立てて、ストップしたまま。数年前、ヤフオクで買った中古だから、しかないかぁととも思うけど、何もこの時期にとも思う。

なんか今年は年明け早々アンハッピー。

連日の寒さのせいか、肩のこわばりもきつく、用を済ませ、いつもの銭湯に行くと、やはり寒いせいか、銭湯は超満員。

風呂上がり、わざわざ無駄足になるのも嫌だから、交通局の落とし物預かり所に電話し、福祉定期券が届いていないか問い合わせると、届いているとの事。

「災い転じて福」かなと思いもし、今日取りに行かなければ、明日、明後日は週末休業のお役所さん、さっそく出向き、よれよれのわが定期にあこがれの再会。

帰宅すると母から役所からも福祉定期券が見つかったという電話があったそうで、「渡る世間は鬼ばかりでもない」と思いもする。

吉凶混合の大波小波、忘れ物を放置したい心のゆとりが波を荒立てない生活の知恵なのかなとも思ったりする。

2008-01-17

ポケット一杯の不幸 Pocketful unhappiness

何かと慌ただしく動き回る日々、マイナス12℃の寒さも災いしたのか、出先の地下鉄駅で障碍者の「福祉定期券」を落としてしまった。

地下鉄駅の改札を通った後、用事を済ませ、地下鉄駅に戻った時になくした事が判り、ポケットなど入れそうなところを捜すけど、ない。

いつも入れるズボンのポケットに一緒にしまっている銀行などのカードの間に挟まっていないか、取り出しても見つからず、駅の案内所に聴いても届いていないとの事。

今日はいつもになく持ち物も多いため、探す場所も多くなり、ポケット一杯の不幸。

なんでこんなにポケットがあるのだろう?

「福祉定期券」は3月末日期限なので、今さらの再発行手続きは役所の福祉課に嫌みいわれそうで、おっくう。

折り曲がりながらも、地下鉄の改札で読みとり不能にならないように大事に使ってきた想いもあり、落とした悔しさはひとしお。

地下鉄の拾得物置き場には明日の夕方から届いていれば、集まるそうだから、役所へ再発行は週明けにでも行こうかな。

気が重いけど。

2008-01-16

2007年度キネマ旬報ベストテン Kinejun Best 10 2007

年明けに早々と発表されたキネマ旬報ベストテン。世界の映画賞の中で、最古の歴史を誇るこのベストテンも賛否両論語られもし、主催のキネマ旬報自体も運営面で厳しい状況の中、日本の映画文化を守る意味合いに置いても、やはり意義ある行事であるだろう。

歴史の途中には日本映画界の苦境の時、苦肉の策として生まれたロマンポルノややくざ映画に対する批評家達の論争で、ベストテン・ボイコットなんていう事件もありはしたけど、81回を重ねたベストテンの歴史は、その時代、その時代の批評家達の感性が現れており、面白い。

今年のベストテンでは僕が観た物は邦画第1位の『それでもボクはやってない』と第8位の『魂萌え!』、第9位の『夕凪の街 桜の国』。洋画第2位の『善き人のためのソナタ』くらいとあまり劇場に通わなかった一年の反省を気付かせてくれた。

雑音で気が散らない映画館の暗闇から出てくると現実へのタイムスリップが味わえる。数時間のこの贅沢な時を求め、今年こそは夢を見たくて、足繁く通った若い頃のように映画たちと出逢いたいと思ったりする。

「明かりをつければ、映画なんか消えてしまう」と語ったのは寺山修司だけれど、見果てぬ夢を求める映画人たちと仮の宿なるこの世界、ドン・キホーテになるのも悪くはない。

昔、スクリーンのサイコロ博打に「丁!」「半!」の掛け声が飛んだ映画館をご存じの方なら判るはず。

ハリウッドでは映画祭たけなわのこの季節、映画人たちのストライキが長引き、受賞ファッションのブームへの影響が懸念されているというけど、キネマ旬報ベストテンは「売れる」映画はあまり出てこなく、ベストテンにランキングされる映画たちは制作意義を認められたものばかり。

アメリカと違い、著作権すら確保されない日本の映画人たちよ。今年も頑張ってくれの声援を込めて、ベストテンランキング作品をレンタルDVDででも再チェックしてみたい。

日本映画


  1. それでもボクはやってない I Just Didn't Do It

  2. 天然コケッコー A Gentle Breeze in the Village

  3. しゃべれども しゃべれども Talk, Talk, Talk

  4. サッド ヴァケイション Sad Vacation

  5. 河童のクゥと夏休み

  6. サイドカーに犬 Saido ka ni inu

  7. 松ケ根乱射事件 The Matsugane Potshot Affair

  8. 魂萌え! Tamamoe!

  9. 夕凪の街 桜の国 Yunagi no machi sakura no kuni

  10. 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ Funuke Show Some Love, You Losers!
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外国映画


  1. 長江哀歌 三峽好人 Still Life(2006年 中国)

  2. 善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen(2006年 ドイツ)

  3. 今宵、フィッツジェラルド劇場で A Prairie Home Companion(2006年 アメリカ)

  4. クィーン The Queen(2006年 イギリス/フランス/イタリア)

  5. バベル Babel(2006年 アメリカ)

  6. やわらかい手 Irina Palm(2007年 ベルギー/ルクセンブルグ/イギリス/ドイツ/フランス)

  7. ドリームガールズ Dreamgirls (2006年 アメリカ)

  8. ボルベール〈帰郷〉 Volver(2006年 スペイン)

  9. ゾディアック Zodiac(2006年 アメリカ)

  10. パンズ・ラビリンス El Laberinto del fauno