2008-06-30

なりたい大人 Adult who wants to become it

なりたい大人「いない」の割合が多いというアンケートがあるとか。

なりたい大人「いない」がいないから、自分がいるのにね。

これが一緒にいたい大人、一緒にいたい友だちならば、答えは変わってくるし、一緒に過ごせなかった人、また逢いたい人ならば、その人の人生が見えてくる。

「意味がないから面白いんじゃないか」と語る脳性麻痺者、遠藤滋さんを描いたドキュメント映画『えんとこ』を見たくて、思い切って、ビデオを注文した。

自分のツボにぴったりはまり、映画を観ていて、号泣する映画が何本かあるけれど、『えんとこ』のビデオを流し見て、また号泣してしまった。

未完成だから、人生なのに、人は安易に「なりたい大人」を求めたがる。

遠藤滋さんの介助をしてくれ、ガンで若くして亡くなられたヘルパーさんを思い、遠藤さんは涙する。

生かされる人生を感じるほどに、遠藤さんは集まるヘルパーさんの悩みを親身に聞く。

「ありのままの命にカンパン」遠藤さんの詩は語る。

「不屈の民」遠藤滋さんのように昨日出来なかった事を明日忘れないように、今を生きる、そんな生き方に僕は憧れる。

2008-06-28

省スペース Space-saving

パソコン業務の仕事に付いたけれども、利き手に不随運動があるため、マウス操作がままならず、家で使っているタッチパッド付きのキーボードを、出勤の度に抜き差しして、会社に持ち込み、使っていたけど、会社の同僚からもわざわざ家から持ってくるの面倒じゃない?と聞かれもしていた。

初給与を頂いた時に、思い切って、新しいキーボードを購入し、今までのキーボードを会社専用にしてみたのだけれど、新旧キーボード、それぞれコンパクト設計が違い、使いこなしに難儀している。

旧キーボードは中国製のようで、Enterが一番端になく、PgUpやPgDnがその横、端にあり、Enterを押すつもりがPgUpやPgDnを押してしまうトラブルがあったけど、新キーボードはPgUpやPgDnの機能がFnを押さなければ、使えなく、また、半角/全角の日本語入力の切り替えがスペース、無変換の横にあり、慣れた位置にないため、なんか違和感がある。

この手のキーボードを使う前に使っていたノートパソコンでのキーボード配置より、更に省スペース化されたこの手のキーボードは入りきらないキーをどのキーに割り当てるかで苦心されているのだろう。

けれども、そこまで省スペースにこだわる必要ってあるのかしら。

最近買ったUSBメモリーも小さくなりすぎて、手が不自由な身には扱いにくい時もあるし。

タッチパッド付きキーボードを買う時、下調べした際、タッチパッド単体の物や指輪型でクリックボタンがついているものなども気になったけど、使い勝手はどうなのかなと今も気になる。

けど、試してみるゆとりはないから気になるだけだけども。

新キーボード

旧キーボード

2008-06-25

人の不幸を祈るようにだけはなりたくない I do not want to come to pray for person's unhappiness.

「被害者遺族も死に神かと抗議」という記事を知り、なーんか、担ぎ出された感じの遺族会と思えてくる。

「人の不幸を祈るようにだけはなりたくない」という歌の文句じゃないけれど、殺された被害者の元に加害者を送りたい心情は凡人には理解しかねる。

亡き被害者の無念は遺族に対する隣人の「殺される理由」を勘ぐりから加害者への怨みが根深くなるとも聴くけれど、この堂々巡りの背中を押すのは思いこみと思いやりで人を煽る村社会が根本原因らしい。

子作りを忘れ、毎年数万規模で人口減少、高齢化するこの国の村社会は、舅、姑、小舅、小姑、総掛かりで「魔女狩り」を行っていくでしょう。

「人の不幸を祈るようにだけはなりたくない」

それさえ叶えず、被害者遺族の背を突く世論が怖いとつくづく思う。

2008-06-24

警官がいっぱい The policeman fully

バイトの若い奴が「この頃、街中、警官だらけでキモイ」と喋っていたけど、仕事帰り、夜遅くに地下鉄駅でうろうろたむろする警察官の多さを見た時は確かにキモかった。

アキバの汚名挽回なのか、世界の重鎮の同窓会のためなのか知らないけれど、街中たむろする警察官が増えるほどに国税は使われ、財政は逼迫するのにね。

あまりひどく云うと、「お前も税金で臭い飯喰わしたる」と云われそうなので、やめとくけれど。

あぁ、戒厳令の夜は更ける。。。

2008-06-22

いつになったら When it comes when

「いつになったら、暑くなるのかなぁ」とはよく行く銭湯でのお客の会話。

続けて、「もう少ししたら、7月だぞ」とも云っていた。

昨日は平日の職場の親睦会で「ジンギスカン(成吉思汗)」食べ放題だったけれど、回復傾向の天気予報とは裏腹に曇天の一日。

今朝はジンギスカンの食べ過ぎで胸の中が脂ぎった感じで気持ち悪く、こんな時にカンカン照りだと具合悪さが加速しそうで、曇天であるのが救いに思われるけど、もうちょっと暑くても良さそうな感じがする。

7月に入ったら猛暑、酷暑になられても困るけど。

「いつになったら」と思ううちが花なのかも知れないけれど、上から読んでもしたから読んでも「ヨノナカバカナノヨ」なのよね。

2008-06-19

お休みはいつも雨 Holiday is rain.

金曜は週一のお休みなのだけど、このところ、いつも雨降り。

出勤前に念のためと確認したところ、今晩から時雨れるみたい。

年度初めで役所からは自立支援の切り替え手続きやら、年金の生存確認やらが相次ぎ届く時期だし、高額請求の国民健康保険の対応策の件は職場の社会労務士さんの相談結果が出てくる頃で、行政手続きにすっかり振り回されている時だけに、お休みの日はのんびり家で寝ていなさいと云う自然の恵みと思った方がいいのだろうか。

自然の恵みといえば、岡林御大の初期名作群が発売されるらしい

「果報は寝て待て」と思うが吉か。
無駄遣いさせない恵みの雨と捉えよう。

ネットオークションしそうだけど。(笑)

2008-06-18

黄泉の国 Nether world

イザナミは「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言い、これに対しイザナギは「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言った。
神産み - Wikipediaより

今の日本は毎年大都市ひとつ分の人口が減っているそうで、この国は黄泉の国に向かっているらしい。

イザナミ神に負けじと子孫繁栄を誓うイザナギ神の政治学が復権しなければ、黄金の国ジパングもまた黄泉(夜見・夢)の世界になるのだろう。

温暖化による水飢饉、食糧難がどのような形で進行するかは判らないけれども、貧富格差から治安悪化、疫病蔓延は広まった歴史があるし、豊かさに溺れ、死滅した街、「ソドムとゴモラ」なんて云うのもある。

「殺せ!」と云うからには「生み育てて見せよう」と言い返せなければ、黄泉の世界に埋没するだけの話なのだから。

2008-06-17

検診日 Medical examination day

今日は職場の健康検診日。

肩凝りひどく、この頃いつも貼っている冷湿布も張れず、朝飯も食べられない。

内臓系はいたって丈夫だし、体脂肪率14%だから、メタボの心配もないけれど、素浪人はなかなか健康チェックしないものだから、検診日を設けてくれる職場はやはり有り難いかな。

今日もまた、不順な天気は解消されないみたいで、憂鬱だけど、お腹の虫は元気よく鳴る。

そんな自己過信にこれから受ける検診結果が少し気になるけれども。

「明日天気になーれ」そんな気分。

2008-06-16

相対的悲劇論 Relative tragedy theory

実は今、母と喧嘩してまして、きっかけは冷蔵庫の買い換えの相談話。

時間取れない中、あちこちの電気店を見て回り、外出もひとりで出来ない母にまずはパンフで今の冷蔵庫の機能などを知って貰おうと思い、買うのはまとまったお金が入る今月後半にと話していたのに、母は近所で心配して下さる方と近所の電気店に行き、「これに決めた!」と、近所の電気店は高いし、こちらが調べた冷蔵庫と比べてもほとんど変わらぬ大きさで、冷凍室の仕切具合だけの違いで、2万円も高いものを買うと言い張る。

こちらも自分の体調を気遣いながら、動いているのにというと、「私も同じだ」と開き直り、終いには「もう頼まない、私の金で買う」と言い出す始末。

高齢になっている母に折れるのはたやすいけれど、ここで折れると後々、母のペースに持っていかれ、買わなくていいものまで買い出すだろう。

このやりとりでこちらの体調を話した時に、「私も同じだ」といわれ、黙ってしまったけど、よーく考えるとそれぞれの体調は比べるものではないんじゃないか?

比べていくとお互い体調低下していっても、まだ大丈夫という悲劇的結末になってしまうだろう。

人の身体は比べるものじゃなく、互いに知るもののはずなのに、何故か比べてしまう。

それが世の中の悲劇になっているような気がしてならないと思うのだけど、どうでしょう?

2008-06-15

稼げども、稼げども Even if you earn it

今年も国民健康保険の納付金額の通知書が来た。

例年の判りにくい算定書きがいくらか判りやすくはなったけれど、やはり判らない。

年所得61万弱で、年間合計16万強のお金を何故支払わなきゃならないのか、判らない。

自律神経患い遺族年金で暮らす無収入の母と二人分らしいけれど、年収の4分の一を国民健康保険料として払って、どう暮らせというのか、判らない。

パート雇用先の社会労務士に相談してみようっと。

渡る世間は鬼ばかりの時代かも知れないけれど。

2008-06-14

巡礼 Romaria

ブラジルの伝説のシンガー、エリス・レジーナが歌い知られる「巡礼(Romaria)」。
「何もいいことがなかった人生を救うために俺は巡礼に行くことにしたよ」という歌だとか。

毎週の如く起きる惨劇を耳にし、「ここ一週間の世界の地震」に今朝の東北の地震が赤字で記されているのを知ると、この歌が心の中でリフレンする。

照らしてくれ 暗い鉱屈を
この人生の列車の奥深くを

2008-06-10

さりながら、死ぬのはいつも他人ばかり Besides, it's always the others that die

元HBCディレクター、守分寿男氏の著書『さらば、卓袱台』を読んでいる。

若い頃、HBCに押しかけ、守分氏に自分が書いたつたないシナリオ原稿を読んでいただいたことがあり、その的を射た厳しい指摘の背景となる守分氏に影響を与えた方々へのレクイエムが心に響いている。

秋葉原通り魔事件のような陰惨なストリート犯罪が連日報道される昨今、過剰な報道に感覚麻痺していく自分が怖く、そのニュースを観ないようにしているのだけれど、『さらば、卓袱台』で大友柳太朗氏との逸話は感覚麻痺していく現代社会を思い起こさせる。

ミヒャエル・エンデの童話で、時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返す女の子の不思議な物語『モモ』を現代社会で描いたテレビドラマ『悠々たる天』に出演された大友柳太朗氏に「もう一度だけ、ご一緒に仕事をしましょう」と云われ、果たせずに老年の命を自ら絶たれた大友柳太朗氏の死の知らせを聴き、フランスの前衛画家、マルセル・デュシャンの墓碑銘の言葉、「さりながら、死ぬのはいつも他人ばかり」が守分氏の心の中で鳴り続けたという。

農村、漁村、炭住と音を立てて壊れていった北海道の戦後を生き抜いた「老人」が夏の祭りでごったかえす街の片隅で、数人の若者が通行人に乱暴を働き、行き交う人は見て見ぬふりをし、通り過ぎる時、見かねた「老人」が止めに入り、若者たちに突き倒されて、コンクリートの舗道に叩きつけられ、死ぬ。その芝居の時、大友柳太朗氏の演技は驚くほどの激しさだったという。

「年寄りには、今の街は生きづらくなりました」とロケの後につぶやかれた大友氏の事を守分氏は振り返る。

安岡章太郎氏とのやりとりで、「戦争体験を受け継ぎ、次の世代に伝えていく」と語る俳優のキャスティングに対し、安岡章太郎氏が「戦争に反対したから、それでいいというものではない。問題はその先。平和の怖さを知らなくてはいけない。平和の中で、いろんなものが腐っていく。そこから目をそらさない事だ」と語ったというエピソードと大友柳太朗氏のエピソードが重なり、見えてくる。

「さりながら、死ぬのはいつも他人ばかり」自分の死は誰も自分では見られない。ローカルテレビ局の名ディレクターとして知られた守分寿男氏は亡き恩人たちの思い出を書き綴られている。

2008-06-08

忘年会 Year end party

土日の職場の忘年会の場所が決まった!
もういくつ寝るとお正月。

よいお年を

2008-06-07

意見交換会 A skill practice

NPO法人札幌障害者活動支援センターライフ機関誌「アドボケイト」掲載文にすこし加筆修正。


5月21日(水曜)と25日(日曜)に市の社会福祉総合センター4階大研修室で、札幌市が見直しを検討している障がい者交通費助成の意見交換会が、行われた。

どのような意見交換が行われるのか知りたくて、21日に参加してみた。

会場受付で市の方から戴いた資料は見直しの概要を示したものが紙切れ一枚のみで、過去数年の交付人員や事業費の推移や今回の見直しで参考とされたというアンケートの内容などは資料として配られなかった。

過去数年の数値データは障がい福祉課の担当者の方から読み上げられるだけであり、アンケート内容の仔細に関しては参加した当事者グループとのやりとりの中で、話題にあがるにとどまり、これまでの成り行きに関わっていない僕のような参加者にはわかりにくい意見交換会のように思われた。

ちなみに見直しで参考とされたアンケート内容はインターネットのサイトには掲載されてはいるのだけれども、その説明もなされなかった。

会の始めに、市の障がい福祉課から語られた概要は「市の財政難」と「障がい持つ人の利用増」「利用実態が把握できていない」から今後も継続可能な制度に見直すというもので、意見交換というものの、実施は来年度よりと決まっているようで、会場からは「何故急ぐのか?」という意見が相次いだ。

市が提示する見直し内容

  • 障がい種別、程度別に多様化した助成を一元化させる。
  • 利用の選択に関し、夏場は公共交通機関を利用していても、雪道になる冬場はタクシー代、ガソリン代に切り替えられるという柔軟性を持たる。
  • 重度障がいに支給されていた地下鉄、バス、市電を無制限で利用できる福祉乗車証と定期券は利用実績が判らないので廃止とする。
  • 公共交通機関の利用は利用実績が把握できるカード式回数券であるウィズユーカードのみとなり、今まで中度の障がい者に支給されていた1000円券(プレミア100円プラス)月10枚が、アンケート調査結果で、利用状況の回答日数の平均値である週3、4回の1000円券(プレミア100円プラス)月2枚に削減され、重度障がいも同程度のサービスとなる。
  • 交通事業者の割引がない精神障がいについては同程度の助成を支給する。

その後、参加した当事者たちの生の声はウィズユーカード(カード式回数券)の使い勝手の悪さと1日一回週3、4日しか利用できない助成額では外出の機会を奪ってしまうという意見が相次いだ。

参加した当事者たちの声

  • 自宅そばに養護学校があるわけではなく、市内縦断して、養護学校に通わなければならない子供もいる。義務教育を受ける権利も奪うのですか?
  • 就職しても交通費助成を受けているために通勤費ももらえない障がい者もおり、就職が困難で作業所に通っている障がい者も通所できなくなる。自立支援法で、サービス利用料として給与の一割を取られる上に、交通費を捻出などできるわけがない。
  • 休みの日など街で買い物したり、映画や美術館に行くのも無理になる。そういう事をしたいというのは贅沢なことですか?
  • 知的障がいをもつわが子は今は福祉乗車証を使っているけれども、ウィズユーカードになると残額の把握が必要になるけれども、それは無理だし、地下鉄の改札口で残金不足のため、通り抜けできなくなるとパニックになってしまうと思う。
  • 全盲者にとってもウィズユーカードの残金確認は不可能で、精算機がどこにあるのかさえ判らない。仮に精算機の位置が判り、使えたとしても(表示される)残金は判らない。
  • アンケート内容で週3、4日の利用という回答が多いと言うけれど、家を出て、用を済ませ、帰ってくるという一往復ばかりの利用ではない。病院のはしごをしたり、金融機関、買い物など外出が一苦労な障がい者は一回の外出で、あちらこちら廻り、用を済ますので、結局ウィズユーカードだと1回の使用額がかさみ、週3、4日も出かけられなくなる。
  • 利用実態が把握できていないのに、任意抽出のアンケート結果の平均値を何故、支給限度額に設定するのか。利用実態をもっと調査した上で実施してはいけないのか、疑問です。

福祉に関わる者なら誰でも判りそうな切実な当事者たちの声に市障がい福祉課の担当者たちも最後は言葉が詰まりがちになっていた。

「使う立場に立って動いてください。利用者に我慢を強いるのではなく、利用者の声を市に伝え、予算を取ってくるのがあなた方の仕事なのですから。よろしく頼みますよ。」

そんな声も飛び交う意見交換会は札幌市が障がい福祉に対する姿勢が問われるものであったけれども、さて、見直し案の再検討をするという札幌市はどのような判断を下し、再提示してくるのだろうか?

2008-06-06

おそうじオバチャン Housecleaning Obachan

貴重な週一のお休み日、残念ながら、札幌は雨降り。

僕と顔が似ていると云われる木村充揮の代表曲「おそうじオバチャン」を聞き返し、やはりいいなぁと思ったりする。

「おそうじオバチャン」の替え歌「お政治オバチャン」も傑作だけど、浪花のおばちゃんのど根性を歌った「おそうじオバチャン」の方がやはり好き。

クソにまみれて、あそこの部分の透けてるパンティに憧れる女心がいじましい。

「お政治オバチャン」はイデオロギー馬鹿を歌う分、シニカルではあるけども。

「おそうじオバチャン」が「お政治オバチャン」になったのがこの国というならば、それはそれでいと哀しいでもあるのだけれども。

2008-06-04

当たれ!宝くじ2008 Hit. Lottery 2008

土日のアルバイトで一緒の奴から助言を受け、「ミリオンドリーム」くじを買う。

10枚買っても残念賞がないとの事だから、3枚購入。

気分は元 憂歌団の木村充揮。

「当たれ!宝くじ」よろしく!

2008-06-02

ケ・サラ CHE SARA

元 憂歌団の木村充揮のライブ、ラスト・ソングで歌われる「ケ・サラ」を調べていくと、どうも本歌は盲目のシンガーソングライター、ホセ・フェリシアーノが歌い、ヒットした歌らしく、無数の世界中の歌手により歌い継がれている歌のようで、YouTubeにも様々なビデオクリップがアップされている。

歌われる歌詞の中には、ベトナム・サイゴンの労働者で、愛国者魂ゆえに、アメリカ・傀儡政権に殺されたというグェン・バンチョイが歌われ、チリ、アジェンデ政権を支えて、ピノチェトの反革命で二度とギターを弾けないように両手首を切断されて殺されたビクトル・ハラが歌われ、1905年にシカゴで結成された労働団体 IWW (Industrial Workers of the World 世界産業労働者同盟あるいは世界産業労働者会議)の中心的人物であるジョー・ヒルの名前が「自由のために死を選んだ」と歌われる。

この人たちの名前の変わりに「名も知らない数多くの人たちを」と歌われる事もあり、人間の尊厳を歌った最後の歌詞を「うたえ、うたえ、うたえ。人間のやさしさをうたえ明日に向かって力強く ひろく、たかく、おおきく」と歌う事もあるという。

「今日の一日を、触れ合い、分け合い、愛し合う」と歌う木村充揮の歌はいつ聴いても泣けてくる。