2011-02-27

破壊せよとアイラーは言った Ayler say "Destroy it."

iPhoneで音楽をシャッフルしながら聴いていたら、アルバート・アイラーサックスの泣き節が流れてきた。

コルトレーンに心酔し、サックスの泣き節でジャズをその語源である「雑音」に戻したフリージャズの旗手で、1970年、ニューヨークイースト川で死体が発見された男。

作家、中上健次が「破壊せよとアイラーは言った」とエッセイを書いたように、アイラーのサックスは泣き崩れるほどに泣いている。

ポピュラー音楽も好んで演奏したアイラーだから、ここでは最も聞きやすい「オール・マイ・リヴァー」をご紹介。

春を告げるなごり雪の日、アルバート・アイラーのサックスが気持ちにフィットする。

2011-02-25

申告な物語 Declaration story

過日の「NHKに捧げる歌」の後日談として、区役所に所得証明を取りに行った時、母の所得申告がなされていない事で、区役所のおじさんが「お母さん、何歳ですか?」と聴いてきて、74歳と答えたら、「まだ若いから所得があると思ったんでしょう」と云われた。

色気抜けない政治家親父じゃあるまいし、74歳で所得申告しなきゃならない人なんてそうそうないと思うけど、と思いもしたけど、そこで、区役所のおじさんが「今年の所得申告が届くと思うけど、電話で、所得がない事を云ってくれればいいから」と仰った。

その書類が母の元に届き、休みの今日、「市民税道民税申告書受付書」と書かれた書類の中身を読み、指定の電話番号に電話し、年金のみ所得である旨を伝え、念のため、来年度もこんな手続きをしなきゃならないのか聴いたところ、「こちらで機械に打ち込んでおきますから」とのお答え。

だったら、区役所で、年金のみ所得である旨を伝えた時に、事務手続きとして、税務署に連絡してくれれば、「市民税・道民税申告書受付書」の送付代金も税金の無駄遣いにならなかったのにと思ったり。

税金の無駄遣いが職務であるかのような区役所職員に今さらながら呆れかえるのだけど、今度の統一地方選、札幌市の市長候補の政策論争で市役所、区役所の職員の無駄遣い体質を争点にして欲しいものだ。

税金の無駄遣いよりも掛けなくてもいい電話を掛けた電話代がもったいないとは思うけど。

2011-02-24

Box set

昨年末にタワーレコードで、アフリカナイジェリアの未だに語り継がれるミュージシャンフェラ・クティの全録音を27枚のCDボックス化し、低価格発売されているのを知り、それまで買い揃えたいけど、その分量と価格にためらっていたのが、購買意欲がわいて、ネットで値段がいくらになっているか調べ、店頭よりも半額近くの値段で買えるので、さっそく注文をした。

27枚のCDが9000円程度で、届いた紙ジャケ仕様のCDを手元に広げると、カラフルなアルバム・ジャケットのミニチュアが揃い、嬉しくなる。

iTunesで、iPhoneに音楽を取り込むのも、そのボリュームにまだ3分の1なのだけど、「アフロ・ビート」と呼ばれるアメリカファンクミュージックに影響を受けたフェラ・クティの音楽の過激さはやはり興奮もの。

すっかり醒めかけていた音楽熱もこれを機にまた熱くなりかけているのだけれども、この頃のCD不況、輸入盤の格安価格での復刻はコレクター熱に大いに助かる。

オーティス・レディングオリジナルアルバム5枚組2,500円。マイルス・デイビス60年代、70年代、80年代のオリジナルアルバム・セットも出ており、大好きジャズピアニストセロニアス・モンクのオリジナルアルバム・セットも出ている。

といろいろ調べていくと、クラシック音楽の名指揮者で、ヒトラー政権下のドイツで反ナチズムを貫いたフルトヴェングラースタジオ録音を多く持つEMIから21枚のCDボックスがなんと5000円を切る値段で出されており、歴史的音源のたたき売りもどこまで行くのか、嬉しい悲鳴をあげてしまう。

仲介手数料で利ざやを上げる日本の音楽業界も価格上乗せの殿様商法にどのように影響与えるか気にもなるけど、グローバル化で、成り立つビジネスの模索は世界で始まっているんだろうね。

音質の良いボックス・セットに買い換え、オークションで手持ちのCDを処分して、僕もリサイクル生活しながら、このグローバル化の恩恵に授かろうかなと思っているのだけど。

2011-02-22

君は燃えているか Do you burn?

観たい映画もなく、気温も春めいて、特に書きたい話題もないこの頃。

書かなきゃ書かないでいいんだけど、昨今のアラブ諸国の怒れる若者たちニュースを見聞きし、周りを見回すと、世知がない世なのに、何となく流される人々の顔が見えてくる。

アルバイトで接する若者は、ひとり暮らしのためなのか、栄養失調に、貧血を起こす者と接するようになり、仕事では、自分たちのテリトリを守ることすら判らなくなり、ただ単に上司のご機嫌を取る輩が、自分の職場の外堀を埋めているのすら気がつかない、そんな状況が見えてくる。

上司は上司で、労働組合嫌いは別にいいとして、部下の組合に参加する選択権すら、与えない人がいるらしく、合理化の昨今、組合嫌いの上司が配置転換で厳しい状況下で働く羽目にもなっている。

怒ることを忘れた優しい日本人たちが、力のない者、物言えぬ者たちにストレス発散の場所を求めているようにも思える。

先日、僕が留守の時に町内会から年老いた母に、災害発生時に身元確認出来るようにと、一本の筒が届けられ、筒の中に母の名前を書かれた紙が入っていた。

なんか無縁社会デフォルトになっていくよう。

あなたは燃えていますか?

2011-02-19

JRAディープ・インサイド The deep inside of JRA

図書館にて、「JRAディープ・インサイド 知られざる「競馬主催者」の素顔」なる本を借りて、読んでいるのだけれど、JRA(日本中央競馬会)の組織から浮かび上がる「閉鎖性」「国際化への遅れ」が、競馬ファンの伸び悩みを招いているその現状が、日本の現状をシンボリックに現しているようで、とても面白い。

「上から目線」の日本のビジネス代表のような「競馬法」はギャンブルを忌み嫌う日本の世相の中、畜産振興という名目で、「競馬」を国が認めたギャンブルとし、ギャンブルであるからには不正が起きないように顧客である競馬ファンを「見張る」システムを作り上げたとする競馬コラムニストたちの話の序論から、「競馬主催者」であるJRAの職員へのインタビューへとなだれ込む所なのだけど、「上から目線」の日本のビジネスって、JRAに限らずそうだよなと思ってしまった。

売り上げ不振にあえぐJRAはそれでも売上高では世界トップというのに、肥大化したシステムが足かせとなり、競馬ファンへのサービスを削減し、ネット売り上げへとシフトさせようとしているようだ。

いつまで経っても「上から目線」の論理から抜け出せず、苦労して作り上げた競馬ファンへのサービス、地域との信頼関係を壊してしまえば、「ネット」という更なる「閉鎖性」に埋没するだけだろう。

JRAディープ・インサイド 知られざる「競馬主催者」の素顔」は発刊からすでに8年の時間が経っているけれども、環境悪化の進む日本経済の中での問題点を読んでいるようで面白い。

「優秀な人材」であるがゆえに「閉鎖的」になってしまい、デフレスパイラルにどんどんはまっていくJRAの発想の転換は案外、日本の発想の転換と同じなのかも知れない。

「国際化」とは「ファンの声」を聴く事。「JRAディープ・インサイド 知られざる「競馬主催者」の素顔」に書かれているスタンスは正しいと思う。

2011-02-18

太平洋の奇跡 Taiheiyou no kiseki

なんか「変」も徐々にそれ程気にならなくなり、いつもの「変」に戻りつつあり、人の入りがいいといわれている話題作「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」を観てきた。

観に行く前、ネットの感想の書き込みをチェックしていると、「戦争なんかしなくてもそこそこの暮らしができたんじゃないかな。マジで金で解決しればいいのに」みたいな物があり、戦争に向かう時代の日本の貧困が語り継がれていない事を再認識し、その映画を観に行った。

タイトルバックで、日本テレビ系列スポンサーと知り、「読売系」の映画なのねと思いもしたけど、今さら戦争美化でもあるまいしと見始め、サイパン玉砕の秘話である事を知った。

「天皇のために死にたがる理解不可能な日本兵」と米軍が語り、「天皇陛下万歳」と腹を切る将校達が出て来て、「生きるために戦え」と諭す竹野内豊扮する大場栄大尉の物語が始まる。

戦争の悲惨、戦争のむごさを日本兵と米兵、日本を知る米将校、軍人と民間人など対立軸を起きながら進む話は感傷的にならずに戦争の難しさを描いているように思えたけど、「負けるはずがない」と思っていた日本の引き際の悪さと「長引くはずがない」と思っていたアメリカ側のいらだちが戦争を泥沼化させたのだろう。

「何とかなるだろう」と思う昨今のご時世で、「負けるはずがない」と思っている世相に「生きるために戦え」と諭す「読売系」と思えば、判らなくもないけれども、サイパン玉砕でアメリカに「敵ながら天晴れ」言わしめた大尉を、少子高齢化で、経済大国からじり貧の今、何故わざわざ描かなきゃならないのか、やっぱりよく判らない。

酸素吸入しているのに、見舞いが来たら吸入器を外して話し始めるという「酔いがさめたら、うちに帰ろう」のいい加減さは、この映画にはなく、飢えた兵隊を映しだしていたのはいいのだけれども。

戦争の悲惨、戦争のむごさは戦争のバカバカしさにシフトするべきなのだろうし。

8月15日以降の戦争が終わりくつろぐ米兵とくそまじめに山に籠もる日本兵の対比はある意味、戦争のバカバカしさのようで面白かったけど。

2011-02-16

脳しんとう Concussion of the brain

なんとく「変」な日々が続いているんだけど、「変」になった前の日だったか、帰宅後に少し窓の外の雪山を崩そうとスコップを持ち、出て行くと、空から溶けかかった氷の固まりらしきものが、頭に落ちてきたことがある。

屋根の雪が滑り落ちるのは気をつけていたし、角度から考えると雪が落ちてくるところではなく、どこから落ちてきたのかなと思いつつ、溶けかけとはいっても氷の固まり、それなりに痛みがあり、「まさか」と思いつつ、出血していないかキャップを脱いで、頭をさすってみた。

なんとなく「痛い」程度で、こぶが出来ているわけでもなく、出血もしていなかったから、一安心で、子供の頃からの石頭も幸いしたのかなと思いつつ、また落ちてくる怖さもあり、その日はそれですぐに家に入った。

後で冷静に考えると、家の上に走っている送電線からの落雪なのだろうと思うのだけど、高さにして、10メートル以上の高さから落ちてきた雪玉だから、下手したら原因不明変死体になっていた可能性だってある。

その痛みがやはりなんとく続いており、「痛い」というほどのものでもなく、「具合悪い」と悩むほどでもないけど、なんとなく「変」なのである。

脳しんとう」にこんな症状はあるのかなとも思うけど、わざわざ混み合う大きな病院の精密検査を受ける勇気もなく、「変」な状態が消えてくれることを願っている。

というか、いろんな要件が絡み合う状況、総合的に身体を検査、治療してくれる病院ってないんだろうか、とよく思う。

先日のB型肝炎の検診でも、目の不具合を訴えても、主治医から「それは肝炎じゃないから」とスルーされて、「医者が患者の相談をスルーするのかよ」と思いもしたけど、特定疾患の治療だと、医療費助成で縦割りになるのかなと思ったり。

そんなこんなを考えていると、また頭が痛くなる。やはり「脳しんとう」かな。

2011-02-14

人生万歳 Whatever Works

友だちブログで、僕と似たような体調不良が書かれていて、病院へ行けばいいのにと思いつつも、僕自身、病院に行くのが億劫で、やり残している事、やらなきゃならない事を片づけてから、「審判」を受ける覚悟で病院へ行こうと、今日も一日、なんやかや動き回っていた。

食の方は、胸焼けや胃もたれはなくなったけれども、呑み込みにくさはまだあり、やはり「診察」かなと思いつつ。

朝、まず昨晩から降り積もった雪を除雪して、確定申告で提出する書類をプリントアウトし、レンタル中のDVDを返す準備をし、家を出たのが午前11時。

税務署からレンタルショップを廻り、今日の予定は済んだし、体調もまあまあ回復気味なので、ウディ・アレン監督の映画『人生万歳!』を観に行った。

こだわりをなくせば、人は幸福になれるというテーマに貫かれたウディ・アレンの幸福論はそうだよねぇと思いつつ、けれども、具合悪い時にそれをこだわらないと幸福にはなれないよねと、シニカルに観てしまう今の自分がなんかシュールだなぁと思ってしまう。

映画の後、週末、体調不良から避けていたスーパー銭湯に行き、汗を流すと空腹感も出て来て、何となくからだが楽になり、先週半ばに歯医者仮歯を入れたあたりがやけに唇を噛んでいるのに気づき、これも呑み込みにくさの原因のような気がしてくる。

帰宅後、晩飯が食べられるかトラウマになっていたけど、カレーライスを母が用意してくれて、無理なく食べられ、少し様子見にしようかなと、更なる病院行きの先延ばしを思ってみたり。

主義、主張など別にこだわらなくていい事にこだわり、体調などこだわるべき事には尻込みする。人間って、本当、変な生き物ですよね。

いくつになれば『人生万歳!』といえるのかしら。

2011-02-13

今日のお腹 Today's stomach

金曜くらいからお腹の調子がよくなく、金曜の晩飯なんかは吐いてしまった。

胃もたれがひどく、寒気もし、下半身がだるくなって、土曜の仕事の最中は余計なエネルギーを使わないように大人しくしていたし、昼飯は腹が張った感じが残り、食欲無く、コーンポタージュにおにぎりを突っ込み雑炊にして食べた。

ここまで来ると肝炎で緊急入院の悪夢の再現を思い浮かべ、再発かなと暗くなりもし、絡んでくるアルバイトの学生達にも少し邪険な態度になってしまう。

仕事帰り、空腹から身体がふらつくから、何か食べなきゃと食堂に入るけど、お腹に優しそうなものはなく、仕方なく丼物を頼むけど、残してしまった。

これ以上具合悪くなるのを怖れ、真っ直ぐ帰宅し、すぐに寝床に入り、午後8時就寝。

トイレに行きたくなり、時計を見るとまだ午前0時半。少し身体が楽になった感じで、腹の張り具合も軽くなっていた。

それから朝まで眠り、起きると少し咳が。やっぱり風邪気味だったのかなと少し安心し、朝ご飯の後、風邪薬を飲む。

今日一日乗り越えて、まだ具合が悪ければ、病院に行こうっと。

僕のお腹の観察日記は続く。

2011-02-11

酔いがさめたら、うちに帰ろう。 Yoi ga sametara, uchi ni kaerô

毎日かあさん」の元夫側バージョンの映画「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を観てきた。

「毎日かあさん」が家族の話ならば、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」はアルコール依存症のお話。

原作者、鴨志田穣さんの闘病シーンがアルコール依存症の現実を教えてくれる。

ウイルス性とはいえ、肝臓を患った人間としては、病院食への固執の場面などよく判るところで、アルコール依存症は肝疾患の他に、アルコールへの固執との闘いがあるからだろう、精神科病棟の中にアルコール依存症の閉鎖病棟があると描かれていて、驚きもした。

劇中、主治医が、アルコール依存症に対する偏見を元妻の西原理恵子さんに語る場面で、時には医師からも見下される病気の辛さはそうだよなと思いもした。

僕の従兄弟でふたり、アルコール依存症で亡くなっていて、ひとりは閉鎖病棟から退院したその日に、ワンカップを一ケース買い、誰にも咎められる事のない自分の部屋で一晩で飲み干し、翌朝、死んでいるのを伯母によって発見されたし、もうひとりは飲み屋経営で、元々肝機能が弱っていたのが、平成不況で、深酒するようになり、病院の入退院を繰り返し、死んでいった。

「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の鴨志田さんの子煩悩ぶりを見ると、病院の入退院を繰り返した従弟が、こっそり病院を抜け出し、まだ小さかった次男坊と共に街を歩いているところとばったり出くわした時の事を思い出す。

意志が弱いとか、強いとか、そんな次元を遥かに超えたものがアルコール依存症であり、もうひとつの肝疾患、脂肪肝と同様の病気だと、僕は思う。

自己管理出来れば、他人なんて誰もいらない。それが出来ないから、病院がある。

そんな当たり前の事が医療崩壊の今日、自己管理が大手を振るって、忘れられているとしか思えない。

もう一度一緒に暮らそう。嫌かも知れないけど」

元妻から告げられた告白にはにかむ鴨志田さんは実際どんな顔をしたのだろう。

鴨志田さん役をした本作の浅野忠信と「毎日かあさん」の永瀬正敏西原さん役の永作博美と「毎日かあさん」の小泉今日子、どちらが素敵だったかという愚問はやめておきます。

この映画へ観て、脂肪肝、糖尿病の闘病映画も出来ないかなと思うけど、心に突き刺さる人が多すぎて誰も見ないかな。(笑)

日本の食の三割は食べる前に切り捨てられて、更に残飯として出され、食べた物、飲んだ物で肝疾患を患う人は多いという。

東陽一監督も戦場カメラマンとしての鴨志田さんへのこだわりを見せはしたけど、これは飽食時代の闘病映画と見るのが正しいように僕は思う。

2011-02-09

初老期 Middle age period

30代の人にキョンキョンアイドル期を知っているかと尋ねたら、知らないという答えが返ってきて、「毎日かあさん」の日記で初めてキョンキョンの人気が凄かったと知ったと聞き、そんな時代になったのかと、遠くを見てしまった。

B型肝炎友の会の広報誌に、若年認知症の記事があり、そこに、若年期は18歳から39歳と書かれ、40歳から64歳までは初老期という区分があると知り、ちょっとびっくりした。

若年認知症は65歳以前の認知症の総称らしいけど、その世代区分もこのように分かれるらしい。

そう考えるとキョンキョンも僕も初老期であり、僕は初老期半ばを生きている事になる。

今でこそ40代は現役バリバリだけど、体力的には要注意の時期に差し掛かっているのだろう。

以前、うちの職場の30代始めの副所長が、俺等の世代は飽食世代だから長生きは期待していないという事を云っていたけど、今の初老期世代はちょうど食のタンニングポイントを過ごした世代だけに、老い方の差は激しいのかも知れない。

年越してずっと通っている歯医者で、ようやく今日、一通り歯のトラブルを治し終えたのだけど、20代後半から入れている奥歯の入れ歯の留め具になっている歯が痛み、それを云うと歯科医は、歯茎が痩せて入れ歯が合わなくなったのだろうと教えてくれた。

そんな些細なところで、自分の老いを感じたりする。

キョンキョンもそんな老いを感じ始めているのだろうか?

2011-02-07

毎日かあさん Mother of every day

キョンキョンっていい女になったよなぁ」それが最近の僕の小泉さんちの今日子さんへの想い。

なんてったってアイドル」時代の「神様仏様小泉様」の頃は別に興味はなく、アルバイトの後輩が熱を上げていても、笑い飛ばしていたけど、アイドル時代も終盤の頃から何となく関心持ち始めて、主演ドラマを見たり、ヒット曲カラオケで歌ったり、何となくKyon2にはまっていき、永瀬正敏と結婚の頃にはその熱も冷めていたのだけど、最近の主演映画「風花」(2001年)、「トウキョウソナタ」(2008年)とぽつりぽつり観ていたけど、元夫・永瀬正敏との共演作というので、映画「毎日かあさん」を観たく、観に行った。

映画の題材など何も知らなかったけど、アルコール中毒の元戦場カメラマンの夫と二人の子どもに振り回される漫画家・西原理恵子の原作のお話での二人の絡みは、別れたからこそ出せる男と女芝居が楽しめた。

バカ息子、バカ娘、そしてバカ亭主の中で、毎日かあさんでいなきゃならない主人公を若い頃のキョンキョンさんながらに奮闘する小泉今日子チャーミングで、ふっと息を抜く素顔が40女の色気があって、なんかいい。

アルコール依存から抜け切らなく、戦場カメラマンのPTSDが時折顔を出す夫が、末期ガンで亡くなる間際、「人間らしく死ねる幸福をありがとう」というところでは目がウルウルにもなりもした。

エンディングテーマ曲木村充揮の「ケ・セラ」はちょっと違和感あったけど、「人間らしく死ねる幸福」とはバカやり合える日常の中の戦場で生きる事なんだろうね。

「人間らしく死ねる幸福」今日の格言。

2011-02-04

シチリア!シチリア! Baaria

ニュー・シネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が故郷シチリア島バーリアを舞台に、ひとりの男の人生と共に歩む人生讃歌

第二次世界大戦前のファシズム政権下から、敗戦、進駐軍の進行、王政か民主制かでもめる独立期、マフィアの台頭、今に至るまでの貧しい土地、シチリア島の変遷をにぎやかに「貧者の祭り」と描くジュゼッペ・トルナトーレ監督はおそらく自分の人生の始まりの土地への誇りであるんだろうと感じた。

名作には至らない佳作だろうけど、イタリアの猥雑で下世話な世界が妙に懐かしく、2時間半の長丁場、シチリア人のしたたかさを堪能した。

ちょうど読み始めたボルヘスの『永遠の歴史』の序文に書かれた「未来も過去も全ては(それを思う)現在である」のテーゼに従えば、現在を生き抜いた人々の物語、それが「シチリア!シチリア!」だろう。

未来や過去に憧れ生きるより現在を生き抜く方が愉しいに決まっているのだから。

-->

2011-02-02

体内年齢 The inside of the body age

スーパー銭湯で風呂上がり、久々に体脂肪を測ってみるかと、休憩所にある体脂肪計に乗り、操作法で試行錯誤しながらも、測定してみた。

年令、身長、性別を入れて、測ったところ、体脂肪率は16.1%、測定器機能を見ると、基礎代謝判定とか、内臓脂肪レベル、骨量測定、そして、体内年齢も判るらしく、調べると、基礎代謝判定は1300kcalで、内臓脂肪レベルは7、骨量測定は2.5kg、体内年齢は27歳という結果が出た。

このところ、体調も良く、ひどい下痢に悩まされていたのも、治まり、B型肝炎のウイルス値も昨年の10月の検査結果で、発見されず、先月の検査値次第で、ウイルスの抗体が出来ていて、ウイルスも発見されなければ抗ウイルスの薬を止められるかもという主治医の報告もあり、この測定値もかなり嬉しい。

今年になって、なるべく湿布を貼らずに、温浴療法で、持病といっていい、肩凝りも和らげる工夫をしていて、10年前に傷めた首から足先までの筋の痛みも、その根幹部と思われる心臓の右脇後あたりの痛みが温浴でほぐれるように暖め、冷水浴はしないように心がけていると、だいぶ根幹部の痛みが浮き上がってくるようで、心地いい。

パソコンのしすぎか、歳なのか、この頃、暗いと見えづらいだとか、目が霞むなどの目の不調があるのだけれど、身体的にはいい方向に行っている気がする。

まぁ、入院中にいわれた、低血糖気味には注意が必要だけども、体内年齢27歳の検査値を励みに健康維持に心がけようっと。

2011-02-01

一足お先の「福は内」 A little early turn of season

月が変わり、何日か後には福寄せの節分だというのに、娑婆世界は一足お先の「福は内」。

出勤時期にめがけるように、のっそのっそと降る雪が、時にあられとなり、人の頬を打ち、時に風と一緒に人の息を止めにかかる。

「なんじゃこりゃ」といい、過酷な自然の置きみやげを除ける隣近所のお母さん達は、自然と共に生きる覚悟が出来ているかのように、互いに笑いながらも黙々と雪を除けている。

福寄せの節分は鬼払いの節分でもあり、ここを乗り切れば、春を分け合う春分に一歩近づくのだけれど、今年の自然界の鬼払いはかなり手荒なようで、今日は氷点下の吹雪で、明日からプラス気温の雪崩警報とか。

「私は鬼ではありません」と閻魔様の化身、お地蔵さんに手を合わせ、仕事の行き帰り、屋根からの豆まきならぬ落雪に気をつけましょうの懺悔の時。

お互い、鬼にならぬよう、明日という日が明るい日とならん事を祈りつつ。

本音は「福は内」と家の中に引きこもりたいけどね。