2025-08-10

Twitter Aug 09, 2025

  • 10:23  :  歯医者の予約で外に出たら空気ひんやり、これは過ごしやすいなと歩いていたら日差しで暑い。診察終えて、ブラブラしてたら昔の職場一緒だったおばちゃんと出会い立ち話。その昔のしの仲良しグループの集まりに出かけるのだとか。盂蘭盆前の夏の朝
  • 14:33  :  扇風機も必要ない過ごしやすい日とはなったけど、身体のコリが集まる右肩甲骨の内側の疲れで眠気に負けて爆睡。こないだから凄く観たい映画が始まったけど、観に行って爆睡しそうでもの凄く悩んでいる。この肩甲骨のコリの解消法ないかな。解消しても身体の震えですぐまた凝って来るからな
  • 18:13  :  毎週買い溜めする買い物と一緒にお盆の供物を買いに行く。父母達は昭和一桁だからよく言う嫌戦感の世代。戦後日本が防衛強化しようとしても「戦争はこりごり」の揺るぎない世論として歯止めになっていた。ウクライナに簡単に降伏しろという安易さが戦争の現実を遠ざけている。飢餓のガザも身近な時代に
  • 18:50  :  80年前に終わった戦争では大正生まれの人々が大勢死んだ。今ならば平成生まれのような立場。戦争末期には空母に体当たりしろと行きのガソリンしかない零戦に乗るよう命令されて死んだ。死んだというより仲間に殺された。空母を沈めたって戦争に勝つ訳ではないのに。馬鹿な戦争を大人は若者に押し付けた
  • 20:20  :  靖国問題でわかりやすいと思った話は、もし会社に社員が死んだら入れる墓地が用意されてたら入りたいかというやつ。四六時中顔つき合わせて墓場も一周は勘弁じゃない?そうだなとおもうんだよね。公私の区別のない国。
  • 20:24  :  徴兵されて怖くなり敵前逃亡したために射殺され、靖国にも祀られず遺族も恩給貰えない「軍旗はためく下に」というのもあったな。 youtube.com
  • 20:28  :  80年前の戦争の教訓1「日本の大人は簡単に若者に死ねと言う」
  • 21:35  :  戦後80年を振り返ると団塊の世代という巨人達が、大正世代の大虐殺で人手不足の敗戦日本の経済成長を「金の卵」ともてはやされたから学生運動も強気になれたし、潰されて全共闘落ちと言われ、思想転向した霞が関エリートで生き残り若者文化華やかになったのだろう。その煽りが平成ジュニア達だな

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