映画は日本人に向けて再編集され、冒頭、ヒロシマの「死んだ女の子」の詩を詠んだナジム・ヒクメット氏の「生きることについて」が画面に流れる。
「あなたは大真面目に生きなくてはならない」と語り始める詩がこの映画の中で出て来る全ての人を語っている。
甲状腺に異常を訴え、診察を受ける青年たちから奇形児として生まれた子供たちを映しだし、「ここでは健常児の生まれる確立は15%から20%」と語られ、「チェルノブイリ・ハート」と呼ばれる"“穴のあいた心臓”の手術を待つ子供たちが紹介される。
“穴のあいた心臓”をふさぐパッチは300ドル。ベラルーシュの平均月収が100ドル。ボランティア医師団により手術で助けられたのが13人。手術を待ち、亡くなる子供は毎年300人。
ナジム・ヒクメット氏の詩は「人は七十歳になってもオリーブの苗を植える」と語る。人のために植えるのではない、自分のために人は植える。それだけ人は生きていたいのだ、とナジム・ヒクメット氏の「生きることについて」は語るのだろう。
どんな状況でも人は生きようとする。
それは併映された「ホワイトホース」の廃墟と化した我が家に戻った青年が過去を懐かしみ、1986年のカレンダーが貼られたままの現実と向き合い、もう帰れるところはないと嘆き悲しむ苦悩に「大真面目に生きなくてはならない」苦しみを感じるけれども、その彼も2007年に27歳の若さで犬死にする。
今が大切な時。この映画を作ったマリアン・デレオ監督は「日本は復興できる」と語る。語りつつ、「原発は安全」と残留放射能と共に暮らすウクライナ、ベラルーシュの人々に言えるのかと問いかける。
「人は七十歳になってもオリーブの苗を植える」その土地がどんなに放射能で汚染され、その土に埋もれて死ぬと判っていても。
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