ありきたりの何かしたいけど何が出来るのか判らない大学生がカンボジアの学校建設支援のパンフを見て、その資金集めにチャレンジし始める。
カンボジアがどんな国で何があったのかも知らず、ただ何かをしたいだけで。
動機はなんてなんだっていい、自分が夢中になれる事を探す若者たちの姿がとても自然で、自然であるが故に、カンボジアに訪れた時、HIVエイズ感染した女の子の話を熱心に聴き、ポルポト派の大虐殺で父を亡くしたガイドのおじさんが泣く時、一緒に泣き、地雷埋設地帯の子供たちに「学校に来い」と語る。
若さゆえの無謀が、資金集めの挫折で叩かれても、カンボジアの人との繋がりに、自分の居場所を見つけた若者たちの夢の実現に繋がっていく。
僕たちは世界を変えることができない。けれど、カンボジアに作った学校の開校式で子供たちと笑った現実がある。
マイノリティの実現に奔走する人たちの話は素直に泣け、素直に感動出来る。
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