元HBCディレクター、守分寿男氏の著書『さらば、卓袱台』を読んでいる。
若い頃、HBCに押しかけ、守分氏に自分が書いたつたないシナリオ原稿を読んでいただいたことがあり、その的を射た厳しい指摘の背景となる守分氏に影響を与えた方々へのレクイエムが心に響いている。
秋葉原通り魔事件のような陰惨なストリート犯罪が連日報道される昨今、過剰な報道に感覚麻痺していく自分が怖く、そのニュースを観ないようにしているのだけれど、『さらば、卓袱台』で大友柳太朗氏との逸話は感覚麻痺していく現代社会を思い起こさせる。
ミヒャエル・エンデの童話で、時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返す女の子の不思議な物語『モモ』を現代社会で描いたテレビドラマ『悠々たる天』に出演された大友柳太朗氏に「もう一度だけ、ご一緒に仕事をしましょう」と云われ、果たせずに老年の命を自ら絶たれた大友柳太朗氏の死の知らせを聴き、フランスの前衛画家、マルセル・デュシャンの墓碑銘の言葉、「さりながら、死ぬのはいつも他人ばかり」が守分氏の心の中で鳴り続けたという。
農村、漁村、炭住と音を立てて壊れていった北海道の戦後を生き抜いた「老人」が夏の祭りでごったかえす街の片隅で、数人の若者が通行人に乱暴を働き、行き交う人は見て見ぬふりをし、通り過ぎる時、見かねた「老人」が止めに入り、若者たちに突き倒されて、コンクリートの舗道に叩きつけられ、死ぬ。その芝居の時、大友柳太朗氏の演技は驚くほどの激しさだったという。
「年寄りには、今の街は生きづらくなりました」とロケの後につぶやかれた大友氏の事を守分氏は振り返る。
安岡章太郎氏とのやりとりで、「戦争体験を受け継ぎ、次の世代に伝えていく」と語る俳優のキャスティングに対し、安岡章太郎氏が「戦争に反対したから、それでいいというものではない。問題はその先。平和の怖さを知らなくてはいけない。平和の中で、いろんなものが腐っていく。そこから目をそらさない事だ」と語ったというエピソードと大友柳太朗氏のエピソードが重なり、見えてくる。
「さりながら、死ぬのはいつも他人ばかり」自分の死は誰も自分では見られない。ローカルテレビ局の名ディレクターとして知られた守分寿男氏は亡き恩人たちの思い出を書き綴られている。
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