2008-06-16

相対的悲劇論 Relative tragedy theory

実は今、母と喧嘩してまして、きっかけは冷蔵庫の買い換えの相談話。

時間取れない中、あちこちの電気店を見て回り、外出もひとりで出来ない母にまずはパンフで今の冷蔵庫の機能などを知って貰おうと思い、買うのはまとまったお金が入る今月後半にと話していたのに、母は近所で心配して下さる方と近所の電気店に行き、「これに決めた!」と、近所の電気店は高いし、こちらが調べた冷蔵庫と比べてもほとんど変わらぬ大きさで、冷凍室の仕切具合だけの違いで、2万円も高いものを買うと言い張る。

こちらも自分の体調を気遣いながら、動いているのにというと、「私も同じだ」と開き直り、終いには「もう頼まない、私の金で買う」と言い出す始末。

高齢になっている母に折れるのはたやすいけれど、ここで折れると後々、母のペースに持っていかれ、買わなくていいものまで買い出すだろう。

このやりとりでこちらの体調を話した時に、「私も同じだ」といわれ、黙ってしまったけど、よーく考えるとそれぞれの体調は比べるものではないんじゃないか?

比べていくとお互い体調低下していっても、まだ大丈夫という悲劇的結末になってしまうだろう。

人の身体は比べるものじゃなく、互いに知るもののはずなのに、何故か比べてしまう。

それが世の中の悲劇になっているような気がしてならないと思うのだけど、どうでしょう?

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