2010-02-26

ご来院くださいますよう To come to a hospital

夕方、帰宅すると、肝炎で最初にかかった病院から手紙が来ていた。

目隠しシールで覆われた裏面には病院名と「ご連絡」の文字が見えており、入院先を紹介してくれた病院が今頃何なのだろうと不審に思いながらも、また何か嫌な知らせじゃないかと不安を抱きつつ、目隠しシールをはがしてみた。

そこに書かれていたのは、通院後の経過を問う文面が書かれていたけど、末尾に「肝機能障害」「膵炎」が認められますので、と書かれており、だから、入院先を紹介してくれたんじゃないのかいと云いたくなるような文句で締め括られていた。

現在、入院した病院に通院治療を受けているのに、何故また、始めにかかった病院からこんな知らせを貰わなきゃならないのかよく判らない。

まさかこの不景気の時代、病院も外来履歴からダイレクトメールを送っている訳じゃないだろう。

けど、ふと思い出すと、外来履歴ある歯科医からただで診てあげるから来てくれと誘いを受けた経験もある。

詳しくはよく判らないけど、なんでも社会保険の受診点数が、住宅街の小さな病院には生き残りのために科せられているとかで、病院が潰れる時代は何も過疎地だけの問題じゃないらしいという事を聴いた記憶がある。

「ご来院くださいますよう」町医者の生き残りならば、あまりに貧しい医療福祉が今の日本なのじゃないかな。

2010-02-22

30年目 Thirty Years

道民共済(都道府県共済)から問い合わせの電話が週末金曜日にあったらしく、今朝、電話してみると、入院理由になったB型肝炎の感染時期はいつなのかを問われ、生まれつきの障害である脳性麻痺とB型肝炎を結びつけようとするようなトンチンカンな問答があり、終いには脳性麻痺の不随運動を和らげるための投薬治療が加入時の告知義務違反になるかも知れないから調査すると云われた。

共済保険は掛け金が安い分、保険金請求で手間取ると友だちから教えて貰ったけど、ここまで人権無視した問答をされるとは思わなかった。

週末の仕事を学生時代から始め、30年が経ちましたという話をブログに書こうとする前に、嫌な思いをさせられたので、ついつい書いてしまう。

人の履歴を疑り出せば、いくらでも埃が出るのは当たり前で、人の集まりである企業なんて埃が溜まって、初めの理念が見えなくなっているのが当たり前なのだろう。

病気の因果関係なんて医学でも解明されていないものが90%以上あるのだから、提出求める診断書に書かれていない事を問い詰めていけば、保険会社の保険金支払いなんかしなくて済むようになり、その調査費を経費に捻出出来もするだろう。

仕事を始めて30年目経ちましたも、うまくやって30年生き延びましたね、とも云われかねない。

入った頃はのどかだけれども、物騒な環境であった仕事が、やがてバブルを迎え、人混みで勤務するのも嫌な時代が訪れたかと思いきや、バブル崩壊で物騒な環境もろともじり貧となり、今や閑古鳥の住みかになるのじゃないかと危惧されるまでの経済崩壊となり、金満日本の歩みを象徴する30年だった。

その間、長期欠勤したのは10年前の起き上がることも出来なくなった腰の痛みとこないだの入院のみ。我ながらよく続いたなと思いもするけど、人から見ればこれも自画自賛なのだろう。

報われない社会からは報われない人間が育ち、更に報われない社会を生み出す。

お金と共に育った日本の社会保障はお金と共になくなるのだろうか?とふと思う。

2010-02-19

用件終了 Business end

確定申告、入院の保険金請求などなどやっておかなきゃならないことも一通り片づいた。

いつも思うけど、元々が雪国の日本で、年度末は何故三月なんだろう。雪解け、花開く季節を迎える区切りという元々の意味は判るけど、人事異動から確定申告、受験、新学期、入社シーズン、人の生活すべてが変わるこの時期はまだまだ雪や寒気の影響を受けやすい時期なのに、更に忙しさを増してるような。消費の底といわれる二月もそんな人の忙しさから来るのかなと思ったりして。

退院間もない本来安息の時も、多めに頂いた休みに街中駆け回り、それでも意識的に身体を休める時間を作ってはいたけど、用件終了と同じ時期に仕事の方も復帰モードになってきて、なんか休んだ気がしない。

昨日、一昨日とディスクワークの平日の仕事が久々連チャンで続いたけれども、やはり根詰めるディスクワークは疲れるので、つい息抜きに関係ないことをしてしまう。

そんな時、僕の快気祝いも兼ねて、元々小樽に店を出していた親戚がススキノで居酒屋を開き、繁盛しているのを、従妹から入院中に教えられ、退院したら、その店に連れていってと頼んだことから、一昨日の夜にその店に集まることになった。

味処酒房なかむら」に行くと、小樽の従姉が店を切り盛りし、従姉の旦那が調理場で黙々と料理を作り、家に戻ってきた次男坊が店の手伝いとして接客をしており、奥まったテーブル席に入院中身の回りの世話をしてくれた従妹と何年か前から外出は車椅子になってしまった叔母がいて、僕を出迎えてくれた。

その後、従妹と双子である家族も揃い、場はいつしか親戚会議になり、肝臓によくないからとアルコール控えめを云われている僕もレモンサワー一杯で場に酔ったのか少しほろ酔い加減。

気の許せる人たちと集うことがやはり一番の休養なのかなと思ったりして、帰り際、「ランチもやっているからまた来なさい」という「味処酒房なかむら」の従姉に見送られ、帰宅につく。

時間に追われる時代だからこそ、いっ時、時間から解放される場所を作るのも身体に易しいのかもと思いもする。

2010-02-15

疲れた tired

例年になく冷凍庫状態が続く札幌。ただでさえ疲れるのに、週末の職場ではゴタゴタ続き。

従事員の親睦会の定期総会が波乱のうちに終わり、その報告の広報担当として文章化したものをワープロに打つ役目の僕は、聴きたくもない一緒に活動した現役員の言い訳を聴かされる羽目になり、波乱の要因となった事柄が決まった経緯が入院中で、よく判らなかったけど、どうも現役員の逃げ口上のような気がして、うんざり。

自分の所属部署が僕の後継として新役員を出していないということも、立場上からも、今の職場の状況からもカチンと来ているのに、ますますストレスが溜まるばかり。

何で人は自分に非がある時に、素直に謝るという事をせずに、こじつけがましく自分の正当性を言い訳するのだろう。

板挟みで嫌な思いをするこちらの立場なんか何も考えないその人たちを思うとまた肝臓が重くなるような気がする。

そんなフラストレーションの最中、週明け月曜は平日勤務の職場に久々の出勤だったけど、ちょうど監査が入っているとかで、ごたついていたせいか、更に精神的に疲れたなぁと感じ、無理出来ない肝炎を抱えているからなのかなと悲観的にもなってしまう。

幸い当分は休みの日を多くする勤務態勢でいくけれども、些細なゴタゴタさえ、過剰に反応しそうで、不安になったりもする。

緊張煽る冷凍庫状態のこの寒波が早く抜け去り、気持ちゆるむ雪解けの季節が来ないかと思いもするけど、このゴタゴタももう少しの辛抱で済めばいいのだけれど。

2010-02-12

酒の肴 Relish of sake

かなり昔に古本屋で買い、茶の間に置いてある「家庭の医学事典」の「黄疸」のところを読んでいると、アルコールと酒の肴と肝臓の親密な関係について書かれている箇所があり、なるほどねぇと思ったので、忘備録。

肝臓を患うと、必ずアルコールは控えるように云われるほど、肝臓にとってアルコールはリスクが大きいもののようで、本来、血液の流れをよくする役割を果たす肝臓はアルコールが入ってくることにより、その消化吸収に全エネルギーを費やすらしく、その間、血液の流れをよくする役割もおろそかになるほどであるらしい。

アルコールを飲む時に、酒の肴として高タンパク低カロリーの食べ物がいいとされるのは、高タンパク低カロリーの食べ物が肝機能を高める働きをするようで、白身魚や鶏肉、大豆製品を食べることで、悪酔いを防ぐ働きがあるらしい。

ただでさえ肝臓は全身の脂肪組織から血液中に放出された脂肪酸を取り込んで、中性脂肪に変えて再利用する働きをする脂肪まみれのところなので、アルコールに、脂っこいものを食べたりすれば、ヘビー級のダブルパンチになるという。

肝臓を患った人は高タンパク低カロリーの食べ物が勧められるのは、肝機能の回復をよくするためであり、じゃ、高タンパク低カロリーの食べ物とは何かとなると、酒の肴として勧められる食べ物となるみたい。

コンビニで100円商品の中に、「ししゃも」が並んでいて、その成分表示に「タンパク質9.5g」とあり、確かに酒の肴の代表格「ししゃも」は高タンパク低カロリーだよなぁと食べたくなり、買ってみる。

レンジで温めて貰った「ししゃも」を家に帰り、開封すると美味しそうな匂いがし、子持ちたっぷりの「ししゃも」を食する。元々アルコール依存はないから「酒飲みたい」にはならないけれど、酒飲みの肝臓患いならば、悪循環を繰り返すんだろうなぁ。

2010-02-11

モーターサイクル・ダイアリーズ Diarios de motocicleta

「世界のどこかで誰かが不正な目にあっていたら、いつもそれを感じることができるようになりなさい」後に我が子に宛てた手紙にこう書いたエルネスト・チェ・ゲバラが若き日に我が大地、南米を旅した時の日記集。

身動き取れない入院中から読み始め、退院し、あちこち動き回れるようになった今、やっと読み終えた。

ハンセン病を学び、その実態を旅することで知っていったゲバラは、否応なしに南米の歴史と向き合うことになる。

生きるために人を欺くインディオたちとその祖先が築き、葬り去られた文化遺産の数々。

エルネスト・チェ・ゲバラを革命に駆り立てたものが何だったのかの記録である「モーターサイクル・ダイアリーズ」は言葉に書き綴った分、読み手のイマジネーションを求め続ける。

医師の役目とは何なのか、巻末に納められたキューバ革命の後に演説したゲバラの講演で語られる言葉は、民衆に「慈善を施す」「学問を教える」欺瞞を指摘し、民衆と共に学ぶ大切さを繰り返し説いている。

政治としての医師の役目とは、「助ける」事ではなく、「共に病苦と闘う」事であると、ゲバラは語る。

共に闘おうとしない者は、その記録の信憑性を疑ったり、人々の実情を知ろうとせずに「正しさ」を説くのだろう。

見聞きする実体験の大切さをエルネスト・チェ・ゲバラは信じ続けたのだろう。

2010-02-08

定期検診 Regular medical examination

退院から2週間、先週は快気祝いが続いたり、週末の職場の定期総会があったりと、慌ただしかった上に、厳しい寒さが続いた後、週末の仕事にあわせたかのように、ちょっとした地吹雪状態となり、出かけてもスーパー銭湯に寄り、身体を癒したり、寝る時間も深夜12時前には寝るなどの身体への気配りもなんか不意になりかねない状況が続いた。

2週間目の今日、定期検診を受けに行ったのだけど、血液検査の数値がどうなっているのか気になっていたけど、検査結果は至って良好で、主治医の先生も「肝炎ウイルスがこのまま抗体になってくれるといいんだけどね」と話して下さり、薬も抗ウイルスのバラクルード錠のみとなり、この薬を飲まなくていい時期を考えているようなお話だった。

参考データとして貰った血液検査のデータも極端な異常値もなく、少し低め、少し高め程度の貧血気味、栄養不良が見受けられる程度で、主治医の先生も「一時はビックリしましたけどね」と入院当時の異常値だらけの数値だった頃の事を話されていた。

疲れを溜めない生活に心がけ、高タンパクな食生活をした方がいいのかなと、この2週間を振り返り、思ったりする。

自分の生活を身体をいたわるように変えていく。易しいようで難しいけど、やらなきゃ身体をこわすだけという当たり前の話なんだよね。

2010-02-03

カティンの森 KATYN

ナチス・ドイツとスターリン・ソビエトに挟まれた国、ポーランドで起きたポーランド軍将校たちが虐殺された「カティンの森事件」。1939年9月、逃げまどうポーランド国民は西からドイツ軍、東からソビエト軍に追われ、ポーランド東部では武装解除されたポーランド軍人や民間人がソ連軍の捕虜になり、強制収容所へ入れられたという。

その大虐殺で父を亡くしたポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダがその事件を題材にした映画が、年末から札幌でも封切られ、ちょうど入院時だったため、観られないとほとんどあきらめていたのが、思ったよりも早い退院のお陰で、上映最終週、退院の翌日に観ることが出来た。

戦後、ソビエト傘下の社会主義国になったポーランドで、「灰とダイヤモンド」などのレジスタンス映画を撮り続けたアンジェイ・ワイダの真意は、なかなかストレートに描き出すことが出来ないまま、民主化が進んだ後に、社会主義の暗部を解き明かす「大理石の男」、「鉄の男」などを撮り続け、ようやく監督の思想の原点であるだろう「カティンの森」に辿り着いたという思いがある。

それはネットでよく見かける聞きかじりの反共思想の連中が政治利用しようとするような生半可な代物ではないはずで、敗戦日本が、ソビエトとアメリカに分断されかかり、結局、アメリカ傘下になったとたんに、「ギブ・ミー・チョコレート」と鬼畜米英の日章旗をドブに棄てて、生きるために星条旗にこび売った国民性には、祖国を分断され、祖国を奪い返そうとし、灰になった行った国民の苦悩は理解出来ないだろう。

映画「カティンの森」はそれくらい判りやすい作品になっていて、人間の尊厳に対する組織暴力、国家暴力を描いている。その中には祖国を棄てて、生きるために社会主義者になった者に対し、「灰とダイヤモンド」の青年のように刃向かい、無駄死にする若者も描かれており、アンジェイ・ワイダの永遠のこだわりがフィルムに刻まれている。

ゴミのように投げ捨てられる将校たちの遺体は、人間死ねば、どのように扱われるか判らないという証であるだろうし、生きているから「人権」を語りえる。

死んだ者たちへのレクイエムにこだわるアンジェイ・ワイダの話法は確かにうまいけど、死んじゃいけないという事を今の時代だからこそ描いて欲しいと思う。

松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
燦然たるダイヤモンドの残らんことを
ポーランドの詩人ノルヴィト「灰とダイヤモンド」

そして、貧しき文化後退国日本にアンジェイ・ワイダ他のポーランド映画がNHK-BS放映のみならず、DVD復刻が一刻も早くなされますように。

2010-02-02

それから After that

週末の仕事は初出勤の日、病み上がりで心配してくれたのか、僕の仕事の見習いと云う名目で女性従事員のひとりがついてくれ、病み上がりで大人しくすべき時に無理云った僕への配慮に感謝しつつも、見習いに教え、一緒に歩く面倒くささも感じ、我ながらの身勝手さを苦笑した。

ひと月という長い期間休んだせいか、心配してくれた従事員やお客もおり、ありがたく感じつつ、それが励みになったのか、何とか足の筋肉痛にも堪え、週末の仕事をやり終えた。

翌月曜日は、午前中、肝炎関連の相談窓口にもなっている難病連と、その隣のビルに事務所を構える肝炎友の会に顔を出し、入院時の肝臓の数値に驚かれ、B型肝炎を抱えながらの生活のアドバイスを貰う。昼からは平日の職場に退院報告と今後の働き方を相談しに行ってきた。

退院後一週間でようやく一通り用事を済ませ、これから保険請求などで手続き必要な書類も揃い、平日の職場復帰も一週間の猶予を貰って、本日火曜日は確定申告の準備をしつつも、家で日がな一日、のんびり過ごした。

外にぶらりと出かけようかなとも思ったけれども、確定申告の準備で帳簿の整理をしていると昼過ぎとなってしまい、少し疲れたので、横になるとそのままうたた寝してしまい、まぁ、こんな一日もあってもいいよなと思えるようになってきた。

スローライフな生活って、意識的にならなきゃなかなか出来ないものであるから、脳性麻痺とB型肝炎という同行のものがいることで、ほれほれ無理しちゃ駄目だよと教えてくれる気もする。

それから、これから、命あっての物種は続く。