北海道新聞の「自由からの逃走2006夏」の連載記事が終わり、読み終えて、論者達の迷いとして、「自由」と「社会」の関係があるように感じた。
もともと「社会」は「不自由」なものであり、そのため、「個人」の「自由」を如何に確保するかが、「自由」と「社会」の関係であるのに、それをいきなり「自由」な「社会」を考えるからおかしくなるのだと思う。
「自由」な「社会」などあり得ないし、「社会」の中の「自由」を考えなければ、「自由」は存在しない。
そして、もう少し視野を広げ、考えれば、「社会」も「自然社会」の一員であって、「個人」は幾重もの「社会」の中にいる訳で、「社会」と「自然社会」が一体となっている「社会」ならば、「個人」は「自由」なのだと思う。「自然社会」を無視して、成り立つ「社会」に暮らす時、「個人」の「自由」は「自然社会」に近いものが「自由」なのだろう。
要は「社会」が「自然」に背く時、「社会」に従う「自由」を確保した人々は、「自然」を忘れ、予知能力も失い、自滅を辿り、「自然」であろうと「社会」にあらがう人は「自由」なのだろう。
「腐敗した支配者から与えられた自由なんかクソクラエだ。
自由とは自分で選んだものでなければならない。」
ルイス・ブニュエル『自由の幻想』(1974年作品)より
自分で選べるとは「社会」の管理にない「自然」の中にいる選択権なのだろうから
無理矢理冬を生きてた
そんな気持ちがした
何かをひとつの色に 閉じ込めていた
めぐる生命の音が聞こえる
そいつに乗れば 素敵な事だろう
いろんな顔を見せてよ まだ見ぬ俺の
たやすく決めつけないさ 自分の事を
めぐる生命の音が聞こえる
そいつに乗れば 素敵な事だろう
岡林信康「山辺に向いて」より
(USENの音楽ダウンロードサービス『OnGen』試聴購入可能)
iTunes Music Store 山辺に向いて(iTunesインストール済みで利用可能です)