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2011-03-08

My Dusty Road


My Dusty Roadのアタッシュ・ケース

amazon.co.jpで注文したウディ・ガスリーのBOXが週末、届いた。

ホームレス生活といっていいのだろうか、アメリカの大恐慌時代、放浪暮らしを繰り返したシンガー・ソングライター、ウディ・ガスリーのイメージだろうか、アタッシュ・ケースをあしらったボックス・ケースは取っ手もついたしっかりした作りで、ふたを閉じる金具も本物を使い、コレクター気分をあおり立てる。

届いたものを開封するのも惜しく感じられたけど、アタッシュ・ケースに納められた音源を聴くことが出来ないから、勇気を出して(笑)、玉手箱を開ける気分で開封。

CDの他、写真が散りばめられ、アルバムにも思われるライナーノーツと絵はがき、押し花が詰め込まれたアタッシュ・ケースの中身はウディ・ガスリーの心のふるさとを思い起こさせる。

弟子のボブ・ディランはそんなに夢中にならないのだけど、永遠のホーボー(放浪者)ウディ・ガスリーの歌は聴きたくなる。

プア・ホワイトのアメリカ合衆国国家といわれる「我が故郷(This Land Is Your Land)」はこの土地はあなたの土地というシンプルなメッセージ。

郷土愛が愛国心であるという当たり前の論理は何度聞いてもすがすがしい。

久々ウディ・ガスリーの歌に酔いしれ、My Dusty Roadのアタッシュ・ケースを部屋の片隅に置いておこう。

2011-02-27

破壊せよとアイラーは言った Ayler say "Destroy it."

iPhoneで音楽をシャッフルしながら聴いていたら、アルバート・アイラーのサックスの泣き節が流れてきた。

コルトレーンに心酔し、サックスの泣き節でジャズをその語源である「雑音」に戻したフリージャズの旗手で、1970年、ニューヨークのイースト川で死体が発見された男。

作家、中上健次が「破壊せよとアイラーは言った」とエッセイを書いたように、アイラーのサックスは泣き崩れるほどに泣いている。

ポピュラー音楽も好んで演奏したアイラーだから、ここでは最も聞きやすい「オール・マイ・リヴァー」をご紹介。

春を告げるなごり雪の日、アルバート・アイラーのサックスが気持ちにフィットする。

2011-01-28

私たちの望むものは What we hope to do

「その街のこども 劇場版」を観て、余韻醒めやらず、関連の情報を集めていて、「リエゾン被災人」なるサイトを知り、「未来は今」、「その街のこども」と二年続いた森山未來のドラマがある事を知った。

「未来は今」で、森山未來は「あの日を忘れない」というセリフを言う事へのためらいを口にし、阪神淡路大震災の「心の傷」を語ったという。

「その街のこども」の音楽を担当した大友良英はサウンドトラックを手がけるギターリストで、ウィキペディアによると、知的障害者とミュージシャンたちによるグループ「音遊びの会」のサポートでも注目をあつめているらしい。

その大友良英のサウンドトラック集として、ミニアルバムが出ているらしく、「その街のこども」のサウンドトラックの他、俳優の大森南朋の兄、大森立嗣が監督した映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」のエンディングで、「その街のこども」でもエンディングを歌っている阿部芙蓉美が、岡林信康の「私たちの望むものは」を歌っているのを知った。

社会的弱者を囲む輪がこんな形で出て来ているのだろうか?

ちなみに今日は特に予定もなく、街中のCDショップを廻り、この「大友良英サウンドトラック Vol.0」を探してみたけど、マイナーレーベルということもあるのか、どこでも見つからなかった。ネット生活で、探す事が下手になったのかしら。

便利さに慰められている社会的弱者の輪を願いつつ。

2011-01-24

こりゃまた失礼しました Also as for this, I am sorry.

年度替わりを迎え、職場の親睦会の役員決めに今年も駆り出され、やりたくない男の減らず口を聴き、腹が立ち、やりたくない事を隠すための裏工作に、ゲスと思い、そういえば、昨年の今時期、病院を退院したのだなぁと、退院と同時に親睦会で苦労した想い出が蘇ってくる。

そんな現実から逃避したいのか、この頃、僕がまだ幼かった頃の映像なんぞ、DVDでコレクションしたりしている。

「ワンダースリー」に「ジャングル大帝」という手塚アニメに、「ひょっこりひょうたん島」「新八犬伝」の人形劇、そして、ザ・ピーナッツの「シャボン玉ホリデー」

実母から、大人なんだか子どもなんだかよく判らない子、とよく云われた僕は、振り返るほどに「ませガキ」で、最初に自分で買ったレコードがピンキーとキラーズの「恋の季節」で、よく口ずさんだのが、小学生高学年で、ちあきなおみの「四つのお願い」に「喝采」

そんな僕の想い出は「シャボン玉ホリデー」のエンディングの霧の中、歌うザ・ピーナッツから始まるような気がするし、あのエンディングのシルエットのギター弾きは誰だろうと子供心に思った記憶が、DVDで鮮明に蘇り、ストレス充満の身体に、α波を浴びているようで、気持ちがいい。

YouTubeにも「シャボン玉ホリデー」はアップされているかなと探すと、こんな映像がありました。

ザ・ピーナッツに色気は感じないけど、クレージーキャッツのギャグは今観ても思わず笑ってしまう。

そういえば、植木等のCDなんかもiPhoneに入れて聴いていて、ニヤニヤしている。「地球温暖化行進曲」もいいけど、三波春夫との「二十一世紀音頭」は世紀末の始まりの遺言のようで、凄い。

年金支給開始年齢の引き上げと定年延長のお馬鹿発想の極楽とんぼ官僚に、永田町で拡声器使ってエンドレスで聴かせてやりたいくらい。

60年代のテレビって、こんなんだったんだよなぁ。

2011-01-20

遠く離れたおまえに To you who lives far away

遠く離れて暮らすおまえに
こんな気持ちが解るだろうか
病んだ都会が田舎出の男たちを
やさしくつつんでくれるのを

地中海の海を隔てたスペイン、ギリシャと北アフリカのモロッコ、そこで暮らすジプシーの村々の人々を前に、長谷川きよしがギター一つで生録を試みた1979年作品の「遠く離れたおまえに」。

ラストソングとして歌われる表題曲に、地中海の村々で歌う長谷川きよしが故郷の都会で暮らす者たちへの想いが馳せてくる。

当時、一世風靡していた阿木燿子、宇崎竜童の「砂地獄」、「城壁を作ったのは、ただの人」というシンプルなメッセージが「らしい」中山千夏作詞の「城壁」、永遠の旅人らしく地中海に想いを馳せる永六輔作詞の「トレドの風」、それらの曲をジプシー・ギター、フラメンコ・ギターで歌う長谷川きよしはしっかり大地と向き合いながらも、その向こうにある日本を感じさせる。

世界が世界に恋いこがれ、世界を知ろうとした時代。

長谷川きよしの音楽と僕の出逢いも、彼が歌った南米のフォルクローレ「灰色の瞳」だった。

遠く離れて暮らすおまえに
こんな気持ちが解るだろうか
病んだ都会が田舎出の男たちを
やさしくつつんでくれるのを

やさしくつつんでくれる空間もなくなりつつある今、「あの時代」の音空間に触れる事が今の癒しになっている。

2011-01-16

ふるいみらい The old future

年明けからのマイ・ブーム、長谷川きよしもどんどんはまり、現在入手可能なものを聴きたくて、2002年に出された「ふるいみらい」と1979年発売の地中海の村々でライブ録音した「遠く離れたおまえに」を購入し、繰り返し聴いている。

まずは「ふるいみらい」のお話を。

組み木絵という手触りのある素材で作られた絵本の作家である中村道雄さんが、中山千夏さんが綴ったAからZまでのアルファベットから連想される言葉をモチーフにした詩を本にした「組み木絵本 ふるいみらい」という作品があるそうで、その中から長谷川きよしさんが曲をつけた組曲をメインに、中原中也の詩に曲をつけたパートと本人の代表曲を歌うパートを始めと終わりに演奏した作品。

中原中也の詩に曲をつけたパートも趣深く、別な視点の「ふるいみらい」であるけれども、中山千夏さんの詩のものは、身の回りにある自然からあなたへのメッセージぽく、人もまた自然の一部というのをさりげなく感じさせてくれる。

「ANT あり」は見えすぎる世界から目を閉じる事で感じる触覚の世界の豊かさであり、「MOON つき」は月の明るさを街灯で判らない都会の子どもは可哀想であり、月の明るさを当たり前と思っている田舎の子どももまた自然の豊かさに気がつかず、可哀想と歌っている。

そんな忘れたものに気がついていく「ふるいみらい」の大切さ、そんなものを長谷川きよしは歌い、中村道雄さんは組み木絵本で伝えようとした。

「ふるいみらい」を忘れ、失った時、人は自分を見失うのかも知れない。

2011-01-04

みんなのなやみ Everyone's worry

年前に読み終えた重松清の「みんなのなやみ」の感想を書かなければと思いつつ、三が日が過ぎました。(笑)

他愛ないと大人の僕は思ってしまう子供達の悩みから、いじめられている子、身体が不自由な子、恵まれない子に対するどうにかしてやりたいという悩み、自分を押さえて、廻りのよい子になろうとする子の深刻な悩みまで重松清が回答するQ&Aもので、終盤は親である大人の悩みまで書き添えられて、「みんなのなやみ」とはなんなのだろうという編者・重松清の姿勢が見えてくる。

最初、読み始めの頃は何でこんな子どもの悩み話の回答を読まなきゃならないんだろうと思っていたけど、読み進めるに従って、今の子供達の悩みが何となく見えてきて、これって社会の悩みジャンと思えてくる構成はうまい。

重松清の回答はところどころそうかなと思うところもあるけれども、「子どもだから」という姿勢はそこにはなく、ひとりの人として、どう「悩み」に向き合うべきかが何度も語られる。

そんなことを思い返している時、昨夜1月3日夜、NHK BS1で放送された「プロジェクト WISDOM どうなる日本」はそれこそ今の日本の「みんなのなやみ」なのじゃなかという番組だった。

外国の諸氏から見た今の日本の駄目なところとよいところ。それを語り合うことで、日本はどうなるかを考えてみようとする試みは、組織化された古い体質がグローバル化でうまく作用出来ない、少子高齢化の打開策を示せない、巨額赤字の国家運営といったマイナス面と、組織化された社会が安定社会を支えてきた、細かな技術や勤勉さ、マンガ文化など特異な文化を持つ国というプラス面をどう切磋琢磨させていけばいいのか、何が欠けていて、何を見落としているのか、になっていく。

その語り口が重松清の「みんなのなやみ」に重なるようで、今の世の中、見殺しにされているのは子供達なのだろうとふと思う。

日本に投資する外国人投資家は、「今の政治、経済、総首すげ替えしなければ、喰うに困る子供達が大人になり、革命を起こす」と警告し、「数年先、私も投資しているかは判らない」と脅しもする。

既得権益ばかり追い求める一部の大人たちは古い体質を温存して、グローバル化で急激に減少した収益を補うべく、リストラや派遣社員など人件費削減で生き残りを考えているけど、後継者育成がなされない時点で、日本の未来を考えていない。

それはちょうど「いじめ」を親に告げると自分がいじめられる子供達の世界と同じようなもので、「いじめ」がスパイラルしているのだろう。

「失われた10年」といわれた日本経済は「失われた20年」になろうとしており、「失われた平成」でもあるだろう。豊かさしか知らない子供達も成人となり、自分が「忘れられた子ども」であると気がつく時、日本の良さは蘇るのだろうか?

ひとりの人として、どう「悩み」に向き合うべき、そう思う時、またしても長谷川きよしの「なやみ」に目をそらすことなくひたむきに漕ぐように歌われる「黒の舟唄」を思い出す。

それでもやっぱり逢いたくて、
えんやこら、今夜も舟を出す
ローエンドロー ローエンドロー
振り返るな!ロー

2011-01-02

年明け散歩 Stroll at new year

例年ならば元旦は大人しく家にいるのに、今年は年末にオークションで物が売れ、入金もされたので、元旦そうそう、郵便局に行きがてら、「年明けマラソン」ならぬ、「年明け散歩」と街に出てみた。

元旦営業が騒がれ始めた数年前は、実際に出歩くわけでもなかったから様子は分からないけど、このところの不景気でか、元旦営業をする店としない店の色分けがはっきりしてきて、何となく面白く、人の行き来ももの凄いというほどではないけど、年明けの街というような朝方の白々した雰囲気に似て、何となくいい。

とりあえず、欲しい物があったので、街中、「大通駅」界隈を歩くと、三越、丸井今井の二大デパートが閉まっていて、その上、地下街も閉鎖されているため、白々感がより強く、その後に行った「札幌駅」前は大丸デパートが閉まっていて、駅名店街が開いており、何となく帰省客相手の元旦営業みたいで、年明けの雰囲気がした。

翌日の二日は本格的な初売りだけに、「大通駅」周辺も「札幌駅」前も凄い賑わいで、人混みを避けながら、用件を足したけど、マスコミ流に騒ぐ「元旦営業」も実際に目にすると、こんな違いがあるのだろう。

まぁ、この後、不景気に少子高齢と「元旦営業」も変わっていくのだろうとは思うけど。

元旦は知り合いに誰とも会わず、このまま誰とも会わない一年なのかと思いもしたけど、初売り二日にはアルバイトに来ている悪ガキ大学生に「オヤジ狩り」に逢っちゃった。

まぁ、例年のことなんだけど。。悪ガキ大学生の若さを分けて貰い、今年一年無事に過ごせるにかな?

元旦の白々とした街なみで聴いた長谷川きよしの「愛の讃歌(Hymne a l'amour)」が耳に残る。

2010-12-31

馬鹿は死んでも直らない Foolishness is not repaired even if dying.

昨今のCDレンタルはバリエーションが豊富になり、60年代の歌謡曲までレンタル出来るようになっている。

CD3枚にDVD付で一枚の値段と云うことで、「植木等伝説」を借り、年末の街を闊歩した。(笑)

バカにバカ足しゃ バカばかり
バカからバカ引きゃ うすらバカ
掛けたり割ったりしてみても
アホウと間抜けがチョイと顔を出す

これだけ「バカ」と繰り返されると「あぁ、バカなんだ」と思ってしまう。

自慢じゃないが 俺もバカ
遠慮するなよ 君もバカ
利口ぶっても いばっても
とどのつまりはチョイとボロを出す

明確な「バカ」宣言で、気どって歩くおじちゃん、おばちゃんも、人などお構いなしの兄ちゃん、姉ちゃんもみんな同じとほくそ笑む。

「バカ」じゃないと思うバカより、「バカ」だなぁと思うバカの方が救いがあるという植木等流説法は、108つの煩悩を消すにはちょうどいい。

去年は病室で「マザー・テレサ」の映画を観て、感動していたけど、マザー・テレサの説く「与えるよりも与えられよ」「愛するよりも愛されよ」も自分の「バカ」さ加減を知りましょうという教えなのかも。

「馬鹿は知らなきゃ死ぬまでただの馬鹿」

よい年を迎えられそうだ。(笑)

2010-12-24

その後のNHKに捧げる歌 Song dedicated to NHK Afterwards

ひどい荒れ模様にもならずの冬至の翌日で、キリストさんの産まれた日の前日。戌年も歩けばとかで、高校の同級生に久々の再会で、立ち話をしていて、NHKの話になり、忘れかけていた「NHKに捧げる歌」のその後を思い出した。(笑)

先週の月曜日付けで「受信料払え」と送られてきた封書を片手に、翌々日の水曜日に区役所に行き、所定の手続きを取り、「市民税非課税の障がい者に対する受信料の免除申請」を区役所前のポストに投函したのに、「受信料払え」と送られてきた封書に書かれていた通り、今週火曜日に、「放送受信料振込用紙」が送られてきた。

これって、どう考えても「オレオレ詐欺」と違うン?

先週月曜に送られた封書は「放送受信料振込用紙」を送るからそのつもりでいろよという脅しであって、その後、「免除申請」したって、「放送受信料振込用紙」送るからなということでしょう?

「免除申請」の手続きはその後に、手続き取るのだろうけど、気の弱い訳判らない人ならば、振込手続きしちゃうジャン。

そうなると事務手続きで、「放送受信料振込用紙」を送った送料や振込入金の返金なんかで、それこそ封書に印字されている「あなたが大切なスポンサー」のお金を余計な経費で無駄にしているんじゃないんスカ?

なんで公共の仕事をするところは金銭感覚がずさんなんだろうと思ってしまうのよね。

地デジ化だって、なんか管理主義と思わざる得ないし、エコポイントだって、何故大画面だが「エコ」なのと思う。

そうそう、この間、銭湯で聴いた若い奴の話で、50インチでみると、キャスターの鼻毛が見えるって、キャスターの鼻毛を見るたために、50インチを買うのってアホでしょう。(笑)その時、3Dなら、鼻毛が揺れるのが見えるのかなと思ってしまったけど。。

アナログ的デジタル化の進む日本、国民総白痴は近いかも。

「NHKに捧げる歌 死闘篇」にならぬ事を願い、メリー・クリスマス!

2010-12-21

サルトル、マルクス並べても Even if you arrange "Sartre" and "Marx"

日本の首領(ドン)ふたり、小沢一郎元代表と菅直人総理の会談が物別れに終わったとか。

その光景に思い浮かぶは三上寛の「夢は夜ひらく」

サルトルマルクス並べても明日の天気はわからねえ
やくざ映画の看板に夢は夜ひらく

片や派閥時代の生き霊で、片や草の根時代の生き霊が、眼飛ばしあっての政治劇はやはり時代遅れのやくざ映画だろう。

頭でっかちの理論武装に、明日の天気の備えなどあるはずもなく、自民から民主に世の中変わったとて、生き霊は生き霊だろう。

退職金のはわか成金の団塊の世代はこんな茶番は経験値であるから、貰った金を細々老後に使おうと、世の中の景気回復など素知らぬ顔だろうし、経験値乏しい40代以降が泣こうがわめこうが、生き霊たちは自分の命拾いを考え続けるだろう。

サルトルマルクス並べても明日の天気はわからねえ
やくざ映画の看板に夢は夜ひらく

「死んで貰います」の捨て台詞くらい吐きたいものだね。

2010-12-19

さよならだけが人生ならば If only the goodbye is a life

「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。」

暗いニュースに追い打ちをかけるコメントの嵐。廻りで聴く話は、解雇、リストラ、希望退職。

笑うに笑えない『海江田経財相、年収1500万円「金持ちじゃない」』なんて云うニュースも飛び出す終末世相の昨今。

読んでいる重松清の「みんなのなやみ」にはリストカットするとすっきるする女の子の悩み相談なんて出て来るから、今はまさしく、井伏鱒二ばりに「さよならだけが人生だ」なのだろう。

「死ね死ねコール」が大好きな日本人、「お国のために」「会社のために」「みんなのために」死んでくれないと言い続けて、切腹、特攻、企業戦士、虐待、いじめのパラノイア。

少子高齢、借金大国なのに、これだからやになっちゃう。

そんな時、寺山修司の「さよならだけが人生ならば」を知った。

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなる地の果てに咲いている 野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。

思えば、ちょうど一年前、初の入院で、絶対安静、緊急入院、面会謝絶と一式全て体験し、生きている事を実感した。

面会謝絶の個室部屋から見た街並みや入院三週間後、やっと許されたシャワーに入る時、看護婦さんが「好きなだけゴシゴシ洗ってもいいからね」という言葉に泣いた事。それらを今、思い出す。

傍にいて応援してくれる人がいるから人は頑張れる。

「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。」

2010-12-16

NHKに捧げる歌 解決篇 Chapter of song solution dedicated to NHK

【この度、自治体に免除事由の確認を行ったところ、現在は全額免除の事由に該当されませんでした。】というNHKの言いがかりを解決すべく、圧雪状態で真冬日の昨日、区役所に行って来て、判明したこと。

まずは福祉課に行き、再申請の手続きをとる時、NHKからの手紙を見せて、「何故?」と問うと、「さぁ」と云うような顔をされ、いつものように所得証明を貰ってくるように云われ、証明書発行の窓口に行くと、記録のある所得証明を調べ、長いこと遺族年金でのみの暮らしをしている母の所得証明が出せないことを教えてくれて、今年の始めにB型肝炎の医療費助成の申請で、世帯全部の所得証明を貰ったことを話すと、「それは昨年度だから」と云われたけれど、こちらはその後、B型肝炎の医療費助成の制度が変わり、再申請をこの夏にしていると話すと、ここでもまた「さぁ」と云うような顔をされた。

区役所はこの夏に行った時から各窓口の配置が変わり、何をするのか空きスペースが増えていたけど、その部署移動で、書類の整理がと思ったけれど、今はオンライン・システムのはず、所得証明の発行履歴を把握していないお役所って、かなり恐ろしいと思うけど、この問い合わせの時に、窓口が納税を管理している部署に問い合わせをしたところ、母にこれから毎年、所得確認の知らせを送るということで、じゃ、今まで何度も所得証明の手続きしてきた時の証明書発行は何だったのと、行政マンのその場限りの対応に腹が立つ。

そもそも、NHKの知りたがっていることは市税の納付義務が発生しているかどうかなのに、行政サイドは四角四面に所得証明で対応するからおかしくなるんじゃないのかと思う。

税金を納めるのと、所得の現状は結果と原因の違いがあるのに、行政サイドはそれに対応していないんじゃないの?

だから、所得証明の確認が取れなきゃ、短絡的に【この度、自治体に免除事由の確認を行ったところ、現在は全額免除の事由に該当されませんでした。】という事態が発生するのだろう。

一箇所のずさんな処理がいろいろなところで税金の無駄遣いを発生される、いい見本じゃないのかな。と今回のイチャモン騒ぎはまずは幕となった。

2010-12-15

NHKに捧げる歌 Song dedicated to NHK

特殊法人の生き残り策なのか、単なるミスなのか、「誰もが笑って暮らせる社会」を望んだ「龍馬伝」を一日に三回もチャンネルを変えて放送して、制作費を浮かす経費削減を行うNHKから、「NHK放送受信料についてのご案内」が送られてきた。

僕自身、身体障害者手帳を持っており、世帯構成員全員の市町村民税(特別区民税含む)が非課税であるので、「日本放送協会放送受信料免除基準」というものに該当するので、全額免除の適用を受けているのだけれど、送られてきた書類によると、【この度、自治体に免除事由の確認を行ったところ、現在は全額免除の事由に該当されませんでした。】ということで、12月20日頃、振込用紙を送付すると書かれていた。

ねぇ、ねぇ。NHKさんか、自治体かは知らないけど、勝手に人の所得調査をして、市民税非課税で、障害程度もB型肝炎発症で重くなっているのに、【全額免除の事由に該当されません】はないんじゃない。ちゃんと仕事してよ。国民の税金で働いているんだからさ。

天下の国家保護下にある放送局だから知らないわけはないと思うけど、B型肝炎の医療助成の申請でも市民税非課税はチェックされるわけで、患者さん自身に市民税非課税である証明書を取りに行かせて、初めて医療助成が受けられるというものなのに、なんでNHKだと、いとも簡単に市民税非課税の確認を行えるの?

なんか法治国家日本もこうなってくるとなんか恐ろしくなってくる。

NHKのサイトを見ていくと、11月5日に行われた札幌高裁の放送受信料の支払督促申立て判決に勢いづいたのか、「2010/12/01 放送受信契約の未契約世帯に対する民事訴訟の実施予告について」なんていう情報もある。

やるのは勝手だけど、きちんと調べてからやってよね。なんか死にものぐるいで金集めしているようで見苦しく感じられる。

さてと、イチャモンつけられた落とし前に、区役所で免除申請をまたやらなくちゃ。送られてきた書類には【お手数ですが】と書かれているけど、人の痛みを知らない役人根性ぽくって、気持ち悪い。

2010-12-12

11年前 11 years ago

天気予報は大荒れとのことで、夜中はずっと風の音がうるさく寝付かれなかったけれど、朝、カーテンを開け、外を見ると思ったほど雪は積もっていない。

ちょうど11年前、同じく日曜日だった今日、雪がしんしんと降り、朝早い仕事だった僕は雪かきもそこそこに仕事に出かけた。

僕が出かけた後、父は家の出入り口の横に積み上げ雪を綺麗にするために雪かきをしに出かけ、やり終え、居間に戻ると「疲れた」と一言云い、ストーブの傍に横になったまま、亡くなった。

若い頃は粋がっていた父は、敗戦後、満足な食べ物もないまま、働きづめで、身体を壊したものの、高度経済成長期とともに栄養を取れるようになり、健康を回復したものの、今度は糖尿となり、若い頃の余病が出て来たのか、狭心症の薬を飲むようになっていた。

働きづめの父もいいように使われていた仕事を辞めた後はきつい仕事を点々とし、定年となった時、隠居生活をする事とし、余生を愉しむことを決めた数年後のことだった。

死因は心筋梗塞で、寝込まず、看病されることないあっけない死だった。

更年期で体調を崩していた養母は父のあっけない死を受け止めるだけで精一杯だったと聴く。

それから11年。似たような一日が始まった。

11年前もそうだったのだろう。12月の二週目は職場全体の忘年会の日。

今のような景気の厳しさはまだなかった頃の華やいだ年忘れの日は父の急死で記憶が消されている。

そんなことを思い出しながら、一日を職場で過ごし、当時の上司の訃報を聴いた。

いい想い出のない上司の想い出の一つに父の訃報もある。

訃報を聴いた時の何とも云えない寂しさは年々薄れつつはあるけど、忘れはしない。

そして、今年の年忘れ。職場の人数減少で忘年会も縮小傾向になりつつも、今年一年の労をねぎらう催しは「仲間意識」をかき立てる。

友川かずきさんの「生きてるって言ってみろ」を聴きたくなった。

2010-12-05

恋は恋でも Even love

昨今、経費節減が巷にあふれ、家の近所の生協も閉店時間が1時間早まり、夜の10時閉店となり、寄り道して帰ると、急いで買い物をしなければならないことがままあったりする。

経費節減は何もスーパーのみではなく、札幌の老舗デパートの大手二社が業務提携という話も聴くし、勤め先でも年度替わりの予算作成で、店舗縮小を決めたと小耳に挟んだり、かつての小金がうねるジャパン・マネーの衰退ぶりが否が応でも感じられるようになってきた。

好調を示しているネット業界とて、純利益となるとかなり厳しく、人件費に経費をかけられない分、お金が硬直化している現状は、日本の長者産業といわれるユニクロでも売り上げダウンというニュースを聞くと、日本の先行きが不安になってくる。

そんな憂鬱を晴らすべく、経済復興期の日本を代表する笠置シヅ子の歌を聴きたくなった。

「恋は恋でも金もってこい」

「モダン金色夜叉」で歌われる辛辣な歌詞は「国が好きならお金を出せ」とでも歌っているようなシニカルさが心地よい。「好きよ好き好き」「他国は野蛮」なら猿でもマネるのだから。

「モダン金色夜叉」は残念ながらYouTubeに笠置シヅ子の歌はなかったので、代わりにスカッと爽やかな応援歌で後に吉田拓郎もカバーをした「ホームランブギ」を載せておく。

こんな応援歌がまた流れる日が来ることを願って。

2010-11-30

W3 ワンダースリー

続けて、音楽ネタ。

元祖アニメ世代は僕よりもう少し上の世代になるのだけれど、僕らもほとんど変わらない元祖アニメ世代でして、小学校高学年の頃にはすでに発売されていた「少年マガジン」に続き、「少年ジャンプ」も創刊され、テレビでは「巨人の星」「タイガーマスク」「アタックナンバー1」などいわゆるスポ根ものが大流行の時代。

その少年Aだった僕がセルロイドで出来たソノシートというレコードで一生懸命聴いた記憶があるのが、「ジャングル大帝」であり、ここに紹介する「W3 ワンダースリー」でした。

レンタルCDで、「手塚治虫の世界 [Soundtrack]」を借り、聴いてみると記憶にある曲がたくさんあり、「あぁ、僕も手塚治虫のマンガで育ったんだなぁと改めて思ったりして。

有名作「鉄腕アトム」は物心ついた頃にはもう大人気のアニメだったから、それに続く「W3 ワンダースリー」が僕の中の秘かな同時代アニメという感覚だったのかも知れないし、同じ頃に始まり、ロングランになった「ジャングル大帝」が「鉄腕アトム」より親近感を持っているのも同時代性なのかも知れない。

「ふざける時でもまじめにやろうよ」

「W3 ワンダースリー」のでこぼこ三人組に、それぞれみんな違いがあり、違いを認め合いながら、力を合わせ、解決するお話に、ひとりヒーローの「鉄腕アトム」にない、魅力を感じたんだよなぁと、今、改めて思うのですよ。

DVD-BOXで復刻されているそうだけど、「欲しい」という気持ちはないけれども、機会あれば、見直してみたいアニメではあるのだけれど。

2010-11-29

スティーブン・フォスター Stephen Foster

さすがはデジタル・オーディオ・プレーヤーのiPodの機能を搭載しただけあって、iPhoneに携帯を変えてから、音楽をよく聴くようになった。

操作性に優れていて、今まで使ったデジタル・オーディオ・プレーヤーには比べものにならないくらい使いやすい。

こつこつ買い集めた手持ちのCDを片っ端からiTunesに取り込み、iPhoneに入れて聴いている。

アルバム選びが面倒な時、シャッフル機能を使っていると、最近の歌から懐かしの歌、はたまた日本の放浪芸に、世界各国の歌がランダムに流れ、20世紀を俯瞰しているような醍醐味を味わえる。

それに飽きたらず、ちょうど街中に出来たレンタル・ショップで見かけた70年前後の日本のフォーク・ロックを推し進めたURCレーベルを借りて、入れ、手持ちのCDでは持っていないレコードをレンタルCDで探したりとちょっとした自分の足跡を音楽で振り返ったりもしている。

CD化されていないレコードをCD化したいと思いつつ、個人所有のレコードのデジタル化をしてくれる業者さんをネットで見つけ、頼んだりもして、そのはまりようは自分でもちょっと怖い。(笑)

CD化されていないレコードの中に、アメリカの良心といわれるスティーブン・フォスターの曲をビング・クロスビーが歌ったものがあり、それも頼もうかなと思いつつ、CD化されていないか、ネットで調べてみると、CD化されているらしく、注文し、それが今日届き、聴いている。

白人による黒人哀歌は偽善ともみられなくはないけれども、「奇妙な果実」と玩んだ白人達の中で、黒人に哀れみを向けるスティーブン・フォスターの曲は子どもの頃、凄く好きな曲達だった。

「おおスザンナ」「草競馬」「故郷の人々」「主人は冷たい土の中に」「ケンタッキーのわが家」「金髪のジェニー」「オールド・ブラック・ジョー」「夢見る人」

ビング・クロスビーの甘い歌声もいいけど、ミンストレル・ショーの立役者アル・ジョルソンの大仰な歌にスティーブン・フォスターの想いを馳せたりする。

街は景色が一変して冬化粧。蓄音機から流れるようなモノラルの音に、「幸福」を願うぬくもりを感じ、自分も子どもの頃、この暖かな音色に心安らいだ想い出を思い返したりする。

2010-11-22

てんびんばかり Balance scale

先月の木村充揮のライブから、カバーされた河島英五の曲を聴きあさっていて、「てんびんばかり」という曲を知った。

YouTubeで聴いたその曲の歌詞を検索しても、記さされていない箇所がある。

母親が赤ん坊を殺しても
「仕方のなかった時代」なんて悲しいね

母親が赤ん坊を殺したら
「気違い」と呼ばれる今は平和な時

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ

この歌詞、障がい者の解放運動が起こったとされる横浜の我が子を殺し、世論が擁護した障がい児殺し事件の事を歌っているような気がする。

この曲は世論の矛盾をたたみかけるように歌う歌であり、今日でも話題となっているこんな詞も歌われている。

何人もの人を殺した男がいる
掛替えのない命を奪ってしまった
次はこの男が殺される番だ
掛替えのない命を奪ってしまう

男が殺される 男が殺される 誰も何も言わない
男が殺される 男が殺される みんながそれに
賛成したのです

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ

この頃、聴きあさっている関西フォークの名曲たちの流れを組むこの歌は弱い者、殺される者の立場から歌われた歌であり、弱い者は更に弱い者を殺すという事を歌っている。

この歌手達のアイデンティティが、尾崎豊や今話題の「龍馬伝」の福山雅治にまで行くんだろうね。

「みんなが笑って暮らせる社会」を望んだ坂本龍馬が、下級武士の分際で出しゃばるなと殺された日本の中で。