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誰もが使えるものというと、あなたは何を思い浮かべるでしょう?数回にわたり、「誰もが使えるもの」に対する概略を紹介し、使い勝手の考察のお役に立てればと思います。2006年8月30日掲載
JANJAN : 誰もが使えるもの(1)少子高齢社会にふさわしい製品とは
パソコン機器が普及し始め、米軍のインターネット網が開放され、インターネット空間のコミニケーションは始まりました。今回はネット上のアクセシビリティ(利用可能性)について見てみましょう。2006年9月1日掲載
JANJAN : 誰もが使えるもの(2)環境を問わない利用可能の必要性
JANJANのようにプログラマー、デザイナー、編集部、市民記者と様々な人が関わる場のアクセシビリティはお互いにどう活かしあえるかが大切。2006年9月4日掲載
JANJAN : 誰もが使えるもの(3)判りやすさが使いやすさ
普通に日本語を使う環境にいる私達の見落としがちな日本語のアクセシビリティ(利用可能[Accessibility])という問題は、日本語の語感を研究される海外の学者たちやビジネスマンにとっても大切な問題です。2006年9月17日掲載
JANJAN : 誰もが使えるもの(4)「美しい日本語」を伝えるために
パソコンを使っていて、難しい漢字が変換できず困った事はありませんか?文字コードという規則が、海外で整理されたためです。2006年9月18日掲載
JANJAN : 誰もが使えるもの(5)日本語が危ない
「パブリック・ドメイン(公共利用)」の重要性が軽視されがちな日本において、「誰もが使えるもの」は日本文化の存続の大きな課題になる予感がする。2006年9月21日掲載
JANJAN : 誰もが使えるもの(6)情報、それは命の絆
日比谷花壇





若い頃、札幌映画サークルに身を置き、自主上映という今風にいえば市民メディアに関わってきた。
映画サークルでの上映ではなかったように記憶するが、『若者たち3部作』と出逢ったのもその頃。
映画の中で交わされる激論に「如何に人と繋がるか」という永遠のテーマを考えさせられもした。
自主上映という市民メディアは古くからあり、札幌映画サークルももう40年以上の歴史を持ち、自分たちで映画を選び、会場を借り、宣伝をして、上映日を迎える。そして、その後、感想のミーティング。その繰り返しが市民権を得て、市民メディアに発達したように思う。
君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始める
「JANJAN : くれなずむ夕暮れ、大阪・釜ヶ崎での「たそがれコンサート」」を読んだ。
あいりん地区という行政の呼称より釜ヶ崎の方が通じる街。漠然とこの街を知ったのはもう20数年も前。障害者の問題を積極的に取り組んでいた「長征社」という出版社から出された写真集「新世界物語」
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの新譜『デラシネ・チンドン』で歌われる「釜ヶ崎人情」を聴き、この街への思いは募る。
人間行き着く先は「釜ヶ崎人情」なのだろうと。
立ちんぼ人生味なもの 通天閣さえたちんぼさ
誰に遠慮がいるじゃなし じんわり待って出直そう
ここは天国 ここは天国釜ヶ崎身の上話におちがつき ここまで落ちたと言うけれど
根性まるだし丸裸 義理も人情もドヤもある
ここは天国 ここは天国釜ヶ崎命があったら死にはせぬ あくせくせんでものんびりと
七分五厘で生きられる 人はスラムというけれど
ここは天国 ここは天国釜ヶ崎

北井一夫著作「新世界物語」より
北海道新聞の「自由からの逃走2006夏」の連載記事が終わり、読み終えて、論者達の迷いとして、「自由」と「社会」の関係があるように感じた。
もともと「社会」は「不自由」なものであり、そのため、「個人」の「自由」を如何に確保するかが、「自由」と「社会」の関係であるのに、それをいきなり「自由」な「社会」を考えるからおかしくなるのだと思う。
「自由」な「社会」などあり得ないし、「社会」の中の「自由」を考えなければ、「自由」は存在しない。
そして、もう少し視野を広げ、考えれば、「社会」も「自然社会」の一員であって、「個人」は幾重もの「社会」の中にいる訳で、「社会」と「自然社会」が一体となっている「社会」ならば、「個人」は「自由」なのだと思う。「自然社会」を無視して、成り立つ「社会」に暮らす時、「個人」の「自由」は「自然社会」に近いものが「自由」なのだろう。
要は「社会」が「自然」に背く時、「社会」に従う「自由」を確保した人々は、「自然」を忘れ、予知能力も失い、自滅を辿り、「自然」であろうと「社会」にあらがう人は「自由」なのだろう。
「腐敗した支配者から与えられた自由なんかクソクラエだ。
自由とは自分で選んだものでなければならない。」ルイス・ブニュエル『自由の幻想』(1974年作品)より
自分で選べるとは「社会」の管理にない「自然」の中にいる選択権なのだろうから
無理矢理冬を生きてた
そんな気持ちがした
何かをひとつの色に 閉じ込めていた
めぐる生命の音が聞こえる
そいつに乗れば 素敵な事だろういろんな顔を見せてよ まだ見ぬ俺の
たやすく決めつけないさ 自分の事を
めぐる生命の音が聞こえる
そいつに乗れば 素敵な事だろう岡林信康「山辺に向いて」より
(USENの音楽ダウンロードサービス『OnGen』試聴購入可能)
iTunes Music Store 山辺に向いて(iTunesインストール済みで利用可能です)
北海道新聞のこのコラムを読み、おそらくこの国には戦争加害の視点の欠落が最大の問題だと思う。
記事リンクゆえ、リンク先が読める期間に限度あるから要約する。
総理の父が万世特攻基地を誘致し、多くの若者を死なせたと後に悔いた事が、総理の靖国参拝の動機なのではないかとし、二○○一年の参拝前の「平和を祈るのになぜわかってもらえないのか。特攻隊員の遺書を見たらだれだって涙が出るじゃないか」、昨日の参拝では「心ならずも命を投げ出さざるを得なくなった人たちに」敬意と感謝を込めたに繋がるのではないかと。
あの戦争の時代に「心ならずも命を投げ出す」状況がどう生まれたのか、靖国が国家と切り離された理由、犠牲を強いたアジアの人々への配慮も欠けていないか。指導者として想像力の幅が狭くはないか。
日本にこだわった8.15が過ぎ、アイデンティティー論考を。
(語尾を伸ばすのか、伸ばさないのか、曖昧日本語の検索デメリット)
せっかくの見出し分けした記事も、JANJANサイトプログラムの無理解で デザイン化されてしまっていますが。(笑)
戦争映画から怪獣映画、天災映画と日本の破壊は続くのです。(笑)





障害に対する価値観がちょっと異質な増村保造監督。晩年の山口百恵「赤い」シリーズや、「スチュワーデス物語」などテレビドラマの演出、脚本で有名なこの方のテーマは日本的ルネサンスとしてブレーキを持たない日本社会にとって個人が障害を持つ事がルネサンス(人間開花)であるとする一連の映画。
カルト的人気の増村保造監督作品って、現代のフリークス社会のシンボル化であるのかも知れない。
残暑厳しい中、汗だくの日本的ルネサンスを知るのも一理かも。

























