「眠る男」という映画がある。そのタイトルが気に入り、観たいと思いつつ、テレビで放映した時に録画をしているのだけれども、まだ観ていない。
おそらくそのタイトル「眠る男」に僕は惹かれているのだろう。
そういえば、中学校の頃だったかに公開された映画に、萩本欽一主演だかで、「俺は眠たかった」というのがあり、観てもいないのに印象に残っているのは、「眠る」事に自分自身、惹かれるものがあるのかも知れない。
この頃、それが顕著で、何故か知らないけど、疲れやすく、仕事帰りに行くスーパー銭湯で小一時間、ベンチの形をしていて、背中に温泉が流れる寝湯で眠りこけている。
持病の脳性麻痺で歳を取ると首筋の頸椎あたりの負担が高まり、疲れやすくなるせいかも知れないし、肝炎による疲労感かも知れないけど、とにかくこの頃は「眠る男」になっている。
長年勤めているところで、僕より入って日が浅い奴らがイニシアティブを取ろうと僕の長年の実績を無視しているストレスもあるだろうけど。
別に自分のやってきた事を評価して欲しいとかという気持ちはないし、それが自分の重荷にもなりたくはないけれども、イニシアティブを取ろうとする割には職場の人間関係など何も考えずに動くその危うさにストレスを感じたりもする。
人から学べば判ることなのに、その場の得失点にやっきになって、長年培われたノウハウすらも知ろうとしない。そんな危うさはこの世知辛い時代、どこにでもあることなのだろうけど、それが自分達の生活基盤を壊している事に気がついていないような気がする。
前述の「眠る男」は事故で寝たきりになった男の視点から世の中を見た映画らしいけど、この頃、眠るほどに安堵感を得られるような気がする。
老兵はただ眠るのみ。釈迦に説法するより、自分の居場所を見つける方が自分のためのように思えるこの頃。
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