重松清の短編集「送り火」の表題作は、マンションのローンを支払うために無理をして死んだ父を「莫迦みたい」と思っている娘夫婦がひとりその父が残したマンションの一室で暮らす年老いた母を気遣い、一緒に暮らそうと説得しに行く話だった。
父の生き方を認めようとしない娘に母はお父さんはお前の旦那さんと同じだよと云い、家族の笑う顔が見たくて、一生懸命無理してくれた、と話す。
娘は旦那は家族と一緒に楽しみたがるのに、お父さんは一緒に楽しんでくれなかったと父と楽しめなかった恨み辛みを語る。
自分はどうでもいいんだよ。家族の笑い顔が見られればよかったんだよ。
人と楽しみを分かち合うのは、亡くなった人を思う送り火と同じなのかも知れない。
昨日、友だち数人と昔の物を集め、展示しているレトロスペース坂会館に行き、昭和の時代を知っている自分を思い返し、そのぬくもりの中に重松清の短編集「送り火」を思い出した。
レトロスペース坂会館の店内
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