2007-03-22

字幕物語 Caption Story

イメージ

地元札幌のミニシアター蠍座のリーフレットを、館長のコラムが好きで毎月欠かさず、貰いに行く。

今月号は映画『バベル』で聴覚障害の方達から要望が出た日本語セリフの字幕要望に思う事。

館長さんは映画館として、例えば、『ストロベリーショートケイクス』のような健聴者でも聴き取りにくいセリフにお客から字幕が欲しいという要望があった話や字幕を邪魔に思うお客の心配などをされており、少数派と多数派の意見調整の難しさを心配されている。

確かに、現状から顧みれば、そのような論法になるのだろうけど、過去を遡れば、この視点はどうも違和感を感じる。

映画の字幕は聴いた話やWikipediaによれば、外国映画に字幕をつけている国の方が珍しく、アメリカ、ドイツ、フランス、スペインなど先進国はほとんど吹き替えが多いそうで、日本も無声映画の時は弁士をつけた「吹き替え」だったけれども、音声映画の始まりと共に、吹き替えより生の外国語を聴き、その訳文を読むという字幕映画が主流となったという。

そこには映画上映の経費の問題もあり、吹き替え俳優を雇うより、字幕ですませた方が安くつくという貧困日本の問題もあったようで、無声映画の衰退による弁士の失業などという話もあるし、ただ動けばいい役者の声の質も問題となり、大河内傳次郎など発声練習に苦労された方の話もある。

利用者云々の視点はここ最近の話であり、経済優先の社会システムで、「もっと利用者の利便性を考えてよ」というのが、事の本質のように思えてくる。

字幕業界の裏話はその刻み込まれた字数制限から、喋ってもいないセリフを字幕に流したりして、それが名文だったら、ストーリー重視なんかお構いなく、評判になるという、いいのか悪いのかよく判らない文化まで生み出し、日本語字幕の第一人者である清水俊二氏の「映画字幕は翻訳ではない」という名言まで飛び出す始末でもあったらしい。

また、同じ人間ばかり何十年も頼りにするから、後継が育たないという話も聴いた事がある。

『君のヒトミに乾杯!』

映画『カサブランカ』の喋ってもいない名文句は、レジスタンスという主題そっちのけで映画『カサブランカ』を不滅の名画にしてしまった。

サイレントにこだわると盲目の少女との恋を映画化したチャップリン『街の灯』同様、描く主体そっちのけの奇妙にねじれた博愛主義が字幕文化にはある。

ドキュメント映画『さようならCP』で字幕をつけると脳性麻痺者の言葉を聴こうとしなくなると、字幕付けせぬままの上映も、字幕づけ出来ない台所事情の言い訳にも思えたりもするけど、言葉を聴こうとしない差別意識も確かにあるだろう。

少数派と多数派の意見調整というより、ご都合あわせの政治力学がここにもあると思った方が無難でしょう。

ケンタッキー・フライド・ムービー』のようにエスコート役のボーイが紳士に「感じる映画」を体験させてくれるのはあり得ないだろうけど、『モダンタイムス』の機械によるお食事会や『時計じかけのオレンジ』の目薬指しながらの映画鑑賞などはあり得なくもない。

言葉通じない「バベル」の悲劇は心通じようとしない「バベル」の悲劇。

字幕に責任転嫁しないように。

  • ohmynews : 字幕物語 心通じようとしない「バベル」の悲劇
-->

0 件のコメント: