♪甲板整列文句をいわれ/いわれた揚句にドヤされて/ケツが黒くてバスにも行けず/親が見たなら泣くだろう
日本国の軍隊体験者であり、後に映画評論家となる斎藤龍鳳氏の遺稿集、『なにが粋かよ』の第一章「私の戦後史」にこんな歌が軍隊で流行ったと書かれており、その後にこの歌の説明が以下のように記されている。
「こんな歌が、よく少年たちの口の端にのぼりました。バスは風呂です。親が見たならで調子が落ちますが、十七、ハの小僧の歌です。でも″ケツが黒くて″には万感の想いがこめられています。バッタでなぐられて起こす内出血を指しているんです。ズキンとくる樫のバッタ。ピシリッとくる柳のバッタ。野球のバットなどは三人もなぐっとら折れました。ひどいのはストッパーでした。直径十センチほどのマニラロープで先端に鉄の環のはまったものさえありました。これを二十分ほど海水に潰けておくと、殴るころあいな堅さになるのです。こいつは衝撃がありました。人体背面に痛みをあたえるばかりか、精神まで荒廃しました。隊とか艦によって兵の扱いは差がありましたし、いちがいに論じると事実誤認を指摘されそうですが、総じて設備の劣悪なところほど制裁で補おうとしたようです。下級水兵は老朽大艦への転勤をひどく恐れたものです。ともかく帝国海軍にも内乱はおきませんでした。」
僕の養父も日本国の軍隊体験者であり、志願兵であったので、似たような話は子供の頃によく聴かされた。
敗戦後、いじめにいじめ抜いて、上官ヅラしていた連中は報復を怖れ、指揮命令も放り出し、いち早く軍隊を逃げ出し、故郷に帰り、一番下っ端の二等兵たちは故郷に帰りたくても、金はなく、軍があった街で、炭焼きをし、飢えをしのぎ、やっとの思いで故郷に帰ったらしい。
軍隊の皇軍教育は去勢しない去勢といわれるくらいにいじめ抜き、反逆心を喪失させたらしく、斎藤龍鳳の著書でも敗戦を知った時、「これで殴られないですむ」という開放感を感じたという。
生き残った者たちは闇市のどさくさ、生きるのに必死になれはしたけど、僕の伯父たちは沖縄や南海の島々で亡くなり、遺骨も回収されないままとなり、その悲惨な戦争は後々、遺族である伯母たちに語り聴かされはするけれど、夫との間に出来た幼子を抱え、生還を待ち望んだ敗戦当時は遺骨ひとつなく、白紙一枚の白木の箱が届けられ、「名誉の戦死」による恩給という名の生活費と引き替えに、靖国に神として祀られた。
「餓島」「墓島」の死の皇軍で伯父は死に、伯母は闇の時代、子供を抱え、飢えと闘った。
今、忘れ去られていく戦争体験の話、美辞麗句にすまそうとする世相の「なにが粋かよ」。
幼児虐待、老人虐待、リストラ虐待、戦時中と何も変わらないこれらの陰湿さがこの国の本質とは思いたくはない。
♪母の寝床で 小さな手で/さわったところに 毛があった/かあさん、これは何ですか/坊や、これこれ何をいう/ここはお前の故郷だ
いつの世も十七、ハの小僧たちは心の故郷を求めている。
- OhmyNews : なにが粋かよ
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