2008-04-29

不屈の民 El pueblo unido jamas sera vencido

「死してなお、語り継ぐ」チェ・ゲバラのアジテーションは亡くなった土地、ボリビアだけではなく、南米各地での抵抗運動に広がっていった。

映画『サンチャゴに雨が降る』で知られるチリ・クーデターではプロテスタント・シンガー、ビクトル・ハラがそのギターをつま弾く指を切り落とされ、処刑されはしたけれど、同士であるキラパジュンは「El pueblo unido jamas sera vencido(邦題「不屈の民」)」を歌い、民衆のレジスタンスが続けられた。

この「不屈の民」の曲を僕が始めて聴いたのが、寝たきりの脳性小児麻痺者、遠藤滋さんを撮り続けたドキュメント映画『えんとこ』であり、学生時代からの友人である伊勢真一監督のエールが「不屈の民」に込められ、遠藤滋さんの日常のバックに流れていた。

札幌ではDPI(障害者インターナショナル)の札幌大会にあわせ、上映され、遠藤滋さんもストレッチャーで上映会に参加され、ちょうどその時に始まろうとしていた障害者自立支援法の問題点を翌日の座談会で訴えられていた。

映画『えんとこ』は遠藤さんのところへ介助として集まってくる若者たちと、まだ身体を動かせた若い頃に養護学校教員をされていた遠藤さんとが共に生きる場を描いた映画であり、行政があてがい、制約多い介助業者では交わし得ない人と人の交流が描かれていた。

遠藤さんのところへ来る若者たちが語る日常の悩みを聴き、返答する遠藤さんは何をするわけでもないけれど、若者たちの心の支えになり、自ずと遠藤さんを介助するグループが生まれ、時には遠藤さんを海に連れて行ったりする。

海に入り、動かぬ足をばたつかせる遠藤さんを撮し、「遠藤も歩きたいんだ」と語る伊勢監督。「不屈の民」の音楽が遠藤さんを支え、海の感触を一緒に味わう介助者たちの顔に被さるシーンで、僕は涙した。

だって、君はひとりで勝手に何かをやってゆくことなんてできないだろう?
(遠藤 滋「いのちの肯定に立つまでの私の歩み」より)

1970年代、核家族化から障害を持った子を親が抱え込まなければならなくなった時、「母よ、殺すな」の叫びから始まった障害者解放運動は、1980年代、養護学校義務化がエリート教育の妨げのように実施され、介護の手間により、「迷惑かける」理由により、優生保護法で、施設で介護を受ける女性障害者の子宮摘出合法化された時期もあった。

1980年代、老人問題、障害者問題を取り上げた山田太一作「男たちの旅路」シルバーシート、車輪の一歩は、その立場になれば判ると、沈黙の座り込みを続けていた。

ワーキングプアの時代、障害者の比率も精神障害、アレルギーが大半を占めるようになり、「不屈の民」の肉体は温暖化する自然とともに環境破壊されている。

日本社会がその立場になれば判る時はもう間近なのかも知れない。

「不屈の民」を聴きたくなった。

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