このところの寒暖の差は身体に応える。
予科練生き残りの斎藤龍鳳氏の『なにが粋かよ』に綴られた生き残りたちの戦後の話を読むと、この国の「桜」の狂い咲きの重みがよく判る。
戦況苦しくなり、軍事教育もなされずに死を命じられた若者たちは映画などで描かれるような綺麗事ではなく、今のいじめにあう若者たちのようにあきらめの境地で「戦い」に挑んだという。
17,8の若者が考える「死」と「生」
見事に散ったと社に祀られる「死者」の影で、ひっそり同窓会が行われた予科練生き残りの中には飛行士から足洗えずに航空会社のパイロットになられた方も多くいるという。
散らなかった「桜」たちは騒ぐだけのマスコミを嫌い、同窓便りで自分たちのあの時を振り返る。
1943年8月の兵隊と1943年10月の兵隊の違いを誰も今は問題にしないと、生き残った龍鳳さんはこだわる。
「散る桜、残る桜も、散る桜」と戦時中云われたニヒリズムとはまったく別な楽天主義で、予科練生活を送り、戦後を生きた人たち。
予科練は私に「少年こそ日本を救えると思いこませた」唯一のものと語り、戦後、入党した日共が「青年こそ日本を担う」と思いこせ、その双極の幻想の中、育ち、成長したと振り返る龍鳳さん。
原稿締め切りの時、普通なら「がんばれ!」というところを「ほら、慌てろ、慌てろ」と自分を囃す龍鳳さんの物の見方にもの凄く惹かれもするし、ブルジョワ、プロレタリアの対立軸に持っていく論理に古さを感じもする。
「逃げていった大人たち」に騙されるなという姿勢はおそらくこのところの寒暖の差の中、散らずに咲く桜のように1960年代、忘れっぽい日本人に「あの時」を伝え続けたのだろう。
桜の森の満開の下、戦火で荒廃し、気候不順の中、飢餓に苦しみ、疫病と闘い、生き抜いた「桜」を思う。
- OhmyNews : 予科練生き残りの方たちの戦後史を読み返す
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