2008-05-08

目に見えるものだけが、見えるものではない The visible one alone is not the seen one.

鮫肌男と桃尻女』『茶の味』の石井克人監督が、草なぎ剛、加瀬亮、マイコという人気俳優で、日本映画の忘れられた巨匠、清水宏の戦前作『按摩と女』のリメーク作品、『山のあなた 徳市の恋』がまもなく公開される。

これをきっかけに、日本映画の老舗のひとつ、松竹が重い腰を上げ、清水宏が松竹時代に作った作品をDVD化し始め、セルオンリーではなく、レンタルでも供給してくれ、街のレンタルショップではなかなか出回らないだろうけど、ネットレンタルで借りて観る事が出来る。

松竹時代の清水宏作品は1990年代のバブル期に、創業100年の企画として、戦前の名作群がデジタル修復され、ビデオ化されており、レンタルショップで借りて観た『有りがたうさん』(1936)を僕自身、以前紹介した事もある。

世界でも評価高い溝口健二、小津安二郎にして、「清水は天才」と言わしめたほど、その作風は自由に満ちあふれており、今回発売された『有りがたうさん』、『簪(かんざし)』(1941)、それに『山のあなた 徳市の恋』のオリジナル、『按摩と女』(1938)は伊豆の山奥の豊かな自然を背景にした作品たちで、せわしない今の時代が忘れてしまった日本人のウィットに富んだ本当の豊かさが描かれている。

清水宏は役者に芝居させる事をせずに、普通に喋らせる実写主義者としても有名で、狭いセットでの撮影よりオールロケーションを好んだようで、それ故に芝居したがる大人よりのびのび振る舞う子供たちを描くのを得意ともしていた。

今回、未見だった『按摩と女』をネットレンタルで借りて観たが、モノクロなのに、映し出される山道は緑にあふれんばかりに撮され、川辺は透き通った水の流れが新鮮に撮されていた。

「湯治もの」といわれる『簪(かんざし)』、『按摩と女』は本当にどうでもいい話なのだけれど、そのどうでもいい話こそ生きる上で大切なのだと感じさせてくれる。

清水宏は戦争を挟んで、子供たちを撮り続け、児童文学を映画化した『風の中の子供』(1937)、『子供の四季』(1939)の後、家庭環境に恵まれない子供たちの更正を描いた『みかへりの塔』(1941)、戦災孤児の『蜂の巣の子供たち』(1948)、小児麻痺の『しいのみ学園』(1955)と世に送り出した。

戦争中も戦後も一貫して子供たちの社会復帰を描いたその姿勢は、清水宏にとって戦争はなんだったのかを問う疑問の声が出されもするけれど、1959年に撮った『何故彼女等はそうなったか』では、不良少女たちがある者は身重になり、段差ある塀の上から何度も飛び降り、堕胎しようとする姿を延々と見せたり、身売りされた街で修学旅行に来た同級生たちから逃げるように置屋に戻る女の子を撮していた。

『何故彼女等はそうなったか』も日本映画専門チャンネルで6月に放送されるようでもある

ありのままの人々を撮す事の意味を清水宏は熟知していたのだろう。

山のあなた 徳市の恋』の予告を観ると、『按摩と女』ではけしてアップにはならなかった場面がアップとして撮られており、観る者の視界の自由を尊重した清水宏と見せるものを特定した石井克人の軍配は見えた気もするけれど、かつての日本の巨匠を知ろうとするその意気込みは評価したい気もする。

松竹ではこれを機に日本文化の遺産の数々をセル・アンド・レンタルで発売するようなのそれも期待したいところである。

ラインナップを簡単に紹介すると、小津安二郎が戦前、子供の目から観た人の不平等を描いた『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)、映画黎明の試行錯誤が見て取れる『隣りの八重ちゃん』(1934)、敗戦後、財閥解体で没落する華族と成り上がる使用人を描いた『安城家の舞踏會』(1947)、戦争後遺症を描いた『本日休診』(1952)がまずは復刻されるらしい。

世情に背を向け、山辺に向かうと、普段見えなくなっている物が見えてくる。

それは失われた日本の美しさであり、環境破壊された今の世の中なのだろう。

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