2008-12-20

師走だけれども、走る気がしない It doesn't become feelings that start busily though it is December.

新聞広告で、「師走だけれども、走る気がしない」というのがあり、笑ってしまいましたが、本当に変な年の瀬。北国札幌でこんなに雨降る師走も珍しんじゃないだろうか。週間予報ではクリスマス寒波が控えているらしいけれども。

昨日、今日と休みだったので、昨日はかなり久々の映画館のはしごをし、札幌駅前の蠍座で、結婚間近の刑務官が死刑囚の刑執行時の「支え役」を自ら名乗り出て、新婚旅行の休暇を貰う「休暇」を観、シアター・キノで、ケーン・ローチの新作「この自由な世界で」を観る。ケーン・ローチは現代を描いてこそ威力を発揮する監督であり、追い詰められ、身勝手が許される事が自由と思い違いするプア・ホワイトのエゴイズムをしつこく追い続ける。「ばれなきゃ何をやってもいい」の裏側は「自由の代償」があり、更なる「ばれなきゃ何をやってもいい」に繋がっていく。

そんな流れの延長線上にはきっと過ちを犯し、服役する「休暇」の服役囚がおり、その服役囚と毎日を過ごす刑務官がいる。

人種のるつぼにある欧米は移民、難民と隣り合う暮らしがあり、過酷なワーキング・プアである移民、難民を食い物にするプア・ホワイトがいるけれども、日本の中流家庭といわれる人々はローン地獄のプア・ホワイトと何も変わらない。

ささやかな暮らしを「人の不幸」で保っている。「休暇」の刑務官が結婚相手の連れ子がおねしょをし、かばうように抱きしめるその手つきは、吊された死刑囚がもがき苦しむのを支えるその手つきと同じもの。

「今」を描いた二本の映画を見終え、予約していた本が貸し出し準備出来たと図書館からの知らせに、受け取りコーナーに行って、借りた小沢昭一の本を地下鉄の中で読み始める。

「民衆が棄てた放浪の芸能」を「つまらないから滅びたんですよ」と切り捨てながら、滅びた日本の放浪の芸能に執拗に食い下がっていく小沢昭一は、おそらくプア・ホワイト、プア・日本人たちの心の奥底にあるものを知ろうとしたのだろうと思う。

昔々、東京は大雪積もる街だったとか、やがて、札幌も今の東京のように雪のない街になるのかも知れない。雪の中繰り広げられた「忠臣蔵」や「二・二六事件」が今の東京とは無関係な感じするように、「札幌雪まつり」も昔話になるような。

走らずに今年、生き抜いた事を思い返せるようなそんな年の瀬になればそれでいいと思う。

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