明け方、酔っぱらった若者たちの一人が通行人とすれ違いざま、滑って転び、「おら!喧嘩売ってンのかぁ!」とわめいていた。そばにいた者がその若者を立ち上がらせても、正気失ったそいつはまだ息巻いている。その光景を遠巻きに見ていた僕に、そばにいた者は「すみません」と頭を下げた。
人目を気にする者に、酔った勢いで息巻く者。その姿が何となく愛おしく思えた。
人から聴いた話で、昨今、人員整理のリストラをした企業が残った社員のボーナス額を増額支給したというのを聞いたけれども、そういう企業の経理感覚ってよく判らない。
別なところで、社員の慰安に経費を使いすぎ、業務で交通機関のない早朝から来客整理をするアルバイトの交通費が出せなくなり、「経費削減で」と言い訳する企業の管理職の話も耳にした。
なんかそれぞれ気が弱い者がへまを隠すための嘘をついているようで、何か哀れで、先の酔っぱらった若者たちの場の繕いに似たものを感じてしまう。
気弱な者たちが威勢を張る事で生き延びる時代は、「日の丸弁当」など見向きもしない飽食過食の時代でもあるのに、心は確実に飢えているのじゃないだろうか。
そんな状況を理解出来ずに、公共機関の経費削減で、現場の状況を把握することなく、競争入札で契約社会に移行させようとする人事院勧告などは、社会を更にギスギスしたものにしていくだろう。
馴れ合いが見落としがちの配慮をフォロー・アップし、日本文化を創り上げてきた事も顧みずに。
この時代が千代に八千代に、苔のむすまで、なんて土台、頭の中の屁理屈だろう。
労働人口激減で、外国人労働の緩和策も議論されているというこの国の政治に「日の丸、君が代」が泣いている。
そのうち、スペイン語で歌われる「星条旗よ、永遠に」のように、「君が代」も労働出稼ぎの外国人に歌われるのだろう。
ひょうたん島日本の年寄りたちは若者たちに「格差」「死刑」を与えるだけで、日本人は萎縮していくだけだろう。
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