2008-12-12

父の命日 Anniversary of father's death

昨日の昼から降り始めた雪で、12月なのに地面が見えていた街並みもすっかり雪化粧してしまった。

9年前の今日は日曜日で、その年は今年とは正反対の例年になく雪の多い年で、その日も朝から雪が降りしきっていた。

僕は出勤時間に間に合わなくなるので、軽く玄関前の雪を横にどけて、歩けるところを確保して出かけた。

職場で父の訃報を聴いたのはその日の昼だった。

父は僕が出かけた後、玄関前の雪を綺麗に片付け、居間に戻った時に、ひどく疲れた様子で、母に横になるように言われて、ストーブの横に横になり、亡くなった。

食生活が豊かになり、糖尿に悩み苦しんだ父は自己管理出来ないために、母の食事療法に逆らい続け、母はその看病疲れで、自律神経をおかしくもし、共に看病しあうようになって、ようやく食事療法を受け入れるようになったけれども、時すでに遅く、糖尿は進行し、飲む薬の数は半端なく多くなっていた。

血糖が下がり、具合悪くなる事も何度もあり、職場に迷惑かける場合も多々あって、仕事を変えざるおえない場面も何度もあった。

若い頃は血気盛んで、戦時中は志願兵として入隊したものの、敗戦となり、肩で風斬る兵隊帰りとしていたずらに腕に刺青など入れもしたけれど、30歳代で脊椎カリエスを患い、生死をさまよった人生を送った人も経済成長の羽振りの良さに何とか乗れたけれども、都合よく騙されて、職を転々とした人生後半だった。

夜の警備の仕事で定年を迎えた時、父は飲めばすぐに赤くなるのに、缶ビールを買ってきて、ひとり自分の定年退職を祝って、男泣きした。

仕事を辞めた後、騙されてばかりで友だちもいなく、人付き合いも下手な父は家でゴロゴロするようになったけれども、自律神経を患い、買い物にも一人で出歩けない母の付き添いとして一緒に出かける機会は増えた。

亡くなる数ヶ月前から父は、人恋しがるようになり、先に寝ようとする母を引き留め、一緒にテレビを夜中遅くまで付き合わせもしたという。

涙もろく、一人になる事を怖がるようになった父は急性心不全で亡くなった。

残された母は突然の死の知らせに、身震いし、激しい自律神経の拒否反応が出たけれども、父の死を受け止められるようになった。

享年71歳。時代の流れに翻弄されて生きた父はあっけなく死に、家の玄関先はまるで父自身の死に道のように綺麗に歩けるようになっていた。

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