ベトナムに蒔かれた枯れ葉剤のその後を追いかけたドキュメント映画『花はどこへいった』を観に行った時の事。
僕がチケットを受付で貰っていると、年老いたお婆ちゃんがチケットの手続きをしようと、受付の女の子に話しかけてきました。受付の女の子は「ちょっと待って下さいね」というと、何を勘違いしたのか、そのお婆ちゃんはすたすたと今来たところを引き返し、劇場から出て行こうとします。女の子は大きな声で、「お婆ちゃん!」というけれども、どうも聞こえていない様子。女の子は受付手続き途中の僕に「すみません」というように頭を下げ、お婆ちゃんを呼び戻しに走っていきました。
そんなお婆ちゃんが観たいと思った映画は枯れ葉剤の影響を受け、産まれた子供たちが成長していっている事を描いた映画でした。
あのお婆ちゃんのように耳が遠くなっても、人には「心」があり、知りたい気持ちがあるのだろうと、奇形として産まれた子供たちが生きたいがためにパソコンを覚え、働こうとする姿を観て、思いました。
これを働く事が生き甲斐なのだと見ちゃったら、おそらく楽隠居なさっているお婆ちゃんの「心」は無意味になり、知りたい気持ちも無駄になってしまう。
枯れ葉剤を蒔いたアメリカ政府とそれを作った企業はその責任を取らず、ベトナムの現状調査もなされていないというし、枯れ葉剤を蒔き、亡くなった米兵もいるという。
生きるという事がなんであるか忘れたくないとあのお婆ちゃんを思い返し、思ったりするのです。
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