ふとした話し合いから、子供の頃、体育の授業でいつも見学に廻されていた想い出が蘇ってきた。
利き手が不自由であるがために、上肢を使う鉄棒や跳び箱、野球、バレーボールなどではいつも見学に廻されていた。
出来ないのだから仕方ない。そう割り切っても、愉しげに運動をする同級生たちが羨ましかった。
出来ないのだから出来るようになりたいと、半開きにしかならない利き手の指を伸ばすリハビリを見学中にしたこともあったけど、脳性麻痺の後遺症である利き手は頑なに指を伸ばすことを拒み続けた。
やけどで片手の指が使えなくなった野口英世の伝記を読み、憧れたこともあった。
母に頼んで、病院の先生に手術で利き手の指が開くようにならないか聴いたこともある。結果は、開くようにはなるけど、閉じなくなるよ。という答えだった。
握ったままでも少しは指を使える手が、開いたまま閉じなくなる。それは子供心にも恐怖だった。
体育の時間の見学は続いた。
大人になり、同じ学校だった奴に、そいつも何かで見学に廻された時に、いつも見学組の僕が先生からかばわれていたことを覚えていると聴かされた。
僕もまた別な見方をすれば、特別扱いだったのだろう。
そんな僕の愉しい体育の時間の記憶は上肢を使わなくてよいサッカーであり、徒競走だった。
みんなと一緒に動きたい。その気持ちが伝わったのか、学校時代、サッカーをしていた友人とよく遊んだ。
見学組の寂しさ、悔しさから得たものを大切にしたい。
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