昨夜からの冬の雨は明け方の今も続いている。
天気予報ではこの雨が雪に変わり、風を伴い吹雪になるという。
荒れ模様が早く収まるように、嵐にならないように願う気持ちはこんな天気にならなきゃ判らないのだろうか?
先日観たドキュメント映画『花はどこへいった』もそんなような映画。
ゲリラの隠れやすい森林を枯らすだけで、人体に影響はないとして、蒔かれたベトナム戦争時の枯れ葉剤は、その中に含まれていた猛毒のダイオキシンの影響で、戦後のベトナムで奇形児が生まれ続けている。
奇形として生まれ、家族の支えで必死に生きる子供たちの姿を追い続けたこの映画は終わりなき戦争を描いていた。
人体に影響はないとして、日本でも使われていたダイオキシンはもしかすると1970年代以降、聴かれるようになったアトピー性皮膚炎、無数にあるアレルギーの一因になっているのかも知れない。
ヨーロッパでは社会が起因する障害として、対策が語られるこれらアトピー、アレルギーも、勤労が可能かどうかを障害認定とする日本では障害要因とされる事はまずない。
国際基準では国民の10%が行動を妨げられている障害者とされているのに、日本の障害認定は国民の5%にすぎない。
荒れ模様が早く収まるように、嵐にならないように願う当事者の気持ちは遙かなるベトナムの地と同じく、環境破壊をさせた社会はスローワークにならずに、自分たちの努力でハードワークに生きる事を求める。
「花はどこへいった」は「人はどこへいった」なのだろうし、壊されるままに自然は変わるのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿