映画「チェ二部作」は悪くはないけど、通してみるとゲバラの人生のポイント点のみを描いた感じがする。
人生の晴れ舞台で人民解放を果たし、国連で演説を打つ「28歳の革命」とキューバを後にボリビアにて貧者の争いの末に殺される「39歳 別れの手紙」
ここでゲバラの思想の核となるであろうアフリカ・コンゴの挫折が省かれているのが気に掛かる。
映画の帰り道、やはり「39歳 別れの手紙」を観た若者が一緒に観に行った女性に語っていた単に28歳、39歳で分けて観せる事への違和感が何となく納得出来る。
革命前夜と革命の闘いと革命後の演説の往復からなる「28歳の革命」はやはり観せるための手段にしか過ぎなかったのかも知れないと、「39歳 別れの手紙」を見終えて思いもするし。
「数多くのベトナムをつくるために」とアフリカ・コンゴからボリビアに入ったゲバラは、アメリカがソビエトとの冷戦にスパイとして暗躍させた元ナチスドイツ親衛隊のクラウス・バルビーをかくまうため、顧問として送り込んだボリビア政府軍に追い詰められ、殺される。(映画「敵こそ、我が友」に詳しい)
強者アメリカは表向き姿を見せず、貧しい国家、貧しい人民たちが利権を相争う世界でゲバラは殺される。
ゲバラの死後もなお、ハイチは独裁政権が続き、軍事政権だったブラジルでも言論弾圧が強まり、チリでも軍事国家が誕生し、青空の下、ラジオが「サンティアゴに雨が降っている」と世界に発信された。
ボリビアでは先住民の女たちの子宮摘出が行われ、それに対する怒りの映画集団ウカマウがゲリラ的に映画を撮り続ける。
キューバ革命50周年の節目はゲバラ死後40数年を振り返る時でもあり、「チェ二部作」で描かれなかった寂しき地球人の孤独な現代史を思い返したい。
「39歳 別れの手紙」のエンディングに流れるヌエバ・カンシオン(新しい歌)の母、メルセデス・ソーサの歌「バルデラーマ」(Balderrama)が4時間以上に及ぶ映画以上に今のラテンアメリカの悲劇を語っているのに、歌詞字幕はつけられなかった。
映画の中、村には病院がないという事は死ねという事だろうと繰り返し語るゲバラの言葉は、映画「10ミニッツ・オールダー」の中でヴィム・ヴェンダースが描いた「トローナからの12マイル」を挙げるまでもなく僻地医療が切り捨てられていく先進国といわれる国々に当てはまる事でもあるのだし。
「数多くのベトナムをつくるために」祖国か、死か。これらは今日のテーマだろうし、何故、怒らないと問うゲバラは今も生きていると思う。
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