映画『ブタがいた教室』で子供たちは「いのちの長さは誰が決めるの?」と議論をする。「殺すのと食べるのは違う」という意見も出る。
台本なしのやりとりを見聞きしながら、以前読んだ岡林信康の「バンザイなこっちゃ!」で紹介されるベトナム難民のボートピープルの父娘の話を思い出す。
ベトナム戦時下、戦火をまぬがれるために難民船でベトナムを脱出した父娘は飢えと渇きの極限の中、娘を残し、父は死んだという。その父の遺体を同じ飢えに苦しむ人々が食べ始めるのを娘は一部始終見、それがアメリカに渡った後、成長するにつれ、重いうつ病となりあらわれ、カウセリング治療により、死んだ父が「私を食べて生き延びるんだ。死ぬんじゃない」と皆を励ましているような光景を見、娘は立ち直ったという。
自然界では殺す事は食べる事であるのに、人間はいつしか殺す事と食べる事を分けて考えるようになってしまったのじゃないか。他の動物は無闇に殺し合いはせず、満腹時には獲物が目の前にいても襲わないと聞く。食べもしないのに殺すのは人間だけ。そんな話を幼い頃、学校で聴いた記憶がある。
映画『ブタがいた教室』に出てくる小学6年生は一クラス26人。原作「豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日」は一クラス32人、今50歳の僕の子供の頃は46人学級だったので約半分強の子供たちが「いのち」について語り合うけど、誰も飢えは知らない。
無闇に殺す事と殺したいのちを食べ頂く事の違い、それをもっとこの子等とともに知りたいと思いもし、二時間弱に描かれたこの命の授業900日の中、豚のPちゃんは子豚から大人の豚に成長していっている。一クラス26人の子供たちもよくは判らないけど撮影時間の間、大人になっているのだろう。それは「食べている」証でもある。
食糧自給率40%を切るのに、残飯として出される量は世界一という日本、妻夫木先生が「頂きますも言えない子供たち」と語るこの子等は大人たちとどう違う生き方が出来るのだろう。そんな事を思いながら、映画を観た。
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