ここ数日で一気に秋めいてきたこの頃、暑い盛りから読み始めていた重松清の「スポーツを「読む」」を読み終えた。
タイトルの「スポーツを「読む」」にあまりスポーツ・ニュースに関心のない僕としては、食指がわかなかったのだけど、重松清、文庫化、新書化、読破を目指す物としては好き嫌いはいけないと読んでみた。
プロスポーツに関する重松清の文章は小説の中でしばしばくどい位に書かれていたりするから、そのたぐいなら、つまらないだろうと思いきや、スポーツ・ライター指南であり、専門にスポーツ記事を書き連ねるライターだけではなく、著名人が書いたスポーツにまつわる記事も考察しており、スポーツからのぞき見る著名人の世界観やその題材となったプロスポーツの世界の逸話、はたまた、スポーツから見えてくる日本のお国事情など、なかなか読み応えがあり、面白かった。
それにしても、ここに挙げられたライター陣で、寺山修司、三島由紀夫、開高健、山口瞳、大橋巨泉、阿久悠、梶原一騎などの個性の強烈なことには今さらながら、恐れ入る。
「昭和」が面白かったのは著名人の個性のしのぎ合いがあったからなのだろうと思うし、その題材となったスポーツ界も、長島、王、金田から野茂、イチローに続いた野球や力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木のプロレスなどなど花形選手を世に送り出したから題材にもなり得たのだろう。
文化の衰えが社会の衰えでもあるからこそ、重松清は今のライター志望の指南として、「スポーツを「読む」」を書いたのだろう。
スポーツする者の原動力は観客の声援であり、観客(ライター)の原動力はスポーツ選手の頑張りなのだろうから。どの世界にも云えることだけど。
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