CP者(脳性麻痺者)としてどのような内容なのか、気になっていた映画『おそいひと』を観てきた。
上映前、上映館の発行しているリーフレットに書かれてある「当たりまえなことだが障がい者がみんな『人格者』であろうはずがない」という記載を議論するお客の話が聞こえ、やはり館主さんの紹介文は議論になるのだなぁとほくそ笑み、相対論的な『人格者』などどうでもよいと思うワタクシは久々の劇場鑑賞に映画以外の「ノイズ」が聞こえてくる面白さをまずは堪能した。
映画『おそいひと』は公式サイトや主演者のサイトでも書かれているように、前半のドキュメントぽい描写はユーモアもあり、住田さんの酒好き、女好きの生活ぶりがみずみずしく感じられ、助言される福永年久さんの言葉の重みなどもずっしりされていた。
関西の障がい者解放運動は雑誌『そよ風のように街に出よう』でよく知っていたので、性の問題の描写なんかは障がい者の性を赤裸々に綴った『ラブ』『私は女』を思い出しもした。
介護の女子大生・敦子が「普通に生まれたかった?」と聴くと「殺すぞ」とボイスマシーンで返答する住田さん。
だんだん敦子に夢中になる住田さんに「全部、受け入れるな。身体が参って、寝たきりになるぞ」と忠告する福永さん。
映画はドキュメントからドラマにダイナミックに移る時、障がい者解放運動の生みの親である横塚晃一さんのドキュメント映画『さようならCP』を思い出し始めた。
「見られる」立場の障がい者がカメラを構え、「見る」側に立とうとする時、「見られる」コンプレックスに押し潰される事を描いた映画『さようならCP』同様、敦子の反撃はビデオを回して、住田さんを襲う。
「障がい者だって、同じやろ!」と叫ぶ敦子への逆襲は敦子にではなく、社会に向かい、通り魔殺人となっていく。
鬱屈した殺人動機は、横塚晃一さんが解放運動を始めた横浜の障害児殺人事件で、同情の余地ありと無罪放免された母に対し、「母よ!殺すな!」と抗議活動はじめ、「障害者殺しの思想」を提示していったものの裏返しのように思われ、どんな状況にあるにせよ、殺人は罪とするエンディングまで緊張を引っ張っていく。
「障がい者だって、同じやろ!」は「健常者だって、同じやろ!」だろう。
障害者だけの劇団「態変」のエキストラとしても活躍されたという住田さんはおそらくそこまで思っているだろう。
完成した時、東京の映画祭でプレミア上映されたけど、「障害者に対する偏見や誤解を与える」、「差別を助長する」といった様々な批判が集中し、世界各国での高い評価の後、凱旋興業と相成ったこの映画で、生身の障がい者を知るきっかけになればいいですね。
『人格者』ではないワタクシはひとつ年上の住田さんと自分の障がいを見比べ、身体障がいといっても身体の不自由さは違うのねと、人体の神秘を観察してしまったけれど。
- OhmyNews : 障がい者だって、健常者だって、同じやろ!