2008-10-23

智恵子抄 Chieko sho

なんとなく、高村光太郎の「智恵子抄」の一節である「智恵子は東京に空が無いといふ」の意味が判ってきたような気がする。

若年性アルツハイマーになっても受け入れる施設もないという日本には互いが向き合える社会がない。

転んだ者は自分で立ち上がらなければ、転んだままの社会。それは「空がない」という事なのだろう。

こんな話を聴いた。

父親が高齢となり、子供たちは自分の家庭を守るのが精一杯で、施設に預けた時、父親の財産管理をどうするか、話し合われ、父は準禁治産者にされ、財産管理は子供らに託された。

親の名誉より財産の管理を重んじる世論が介護保険を生んだとも聞く。

この国には空がない。そう思う。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

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