週末に届いた岡林信康のライブアルバム3枚を携帯に入れ、まずは「あんぐら音楽祭 岡林信康リサイタル」を聴いている。1969年当時の岡林さんの心境や会場の雰囲気がリアルに聞こえてくる。
岡林さんが「作らなければよかった」という「友よ」でコンサートは始まり、デビュー間もない頃の岡林さんは高石友也にかなり影響されていたのだなと、合唱を求める歌い方や選曲から思う。ただ、曲の合間に語られる語りで、岡林さんのスタンスはよく判り、それが面白くもある。その一部をご紹介。
日本の満州開拓という名の大陸侵略の時に、貧しい東北の兄弟の事を歌った「もずが枯木で」を歌う際、「反戦」というのは嘘だと思うと語り、自分の生活に引き寄せて、戦争は嫌だと云っていかなきゃ駄目だと思うと、語り、流れ歩く出稼ぎ労働者の話から田舎に残された女たちの話、部落の話と流れ進み、「山谷ブルース」を歌う際に、岡林は山谷を売り物にして喰っているという批判をする人がいる。その人は山谷を知らない人だと岡林さんは言い切る。
働けど、働けど、楽にならなく、奥さんにも家を出て行かれた父親と暮らす知的障害の子供の詩に曲をつけた「チューリップのアップリケ」を歌い、貧しさは貧しい人が頑張らないから駄目だと思っていたけれど、貧しい人を作り出す社会がおかしいと思うようになったし、子供にこんな思いをさせちゃ駄目だと、ボブ・ディランの歌「戦争の親玉」の訳詞を歌う。
「笑わば笑え」笑うタイミングが判らなく、笑う客たちにぼそっとつぶやく岡林さんのピュアさが心打たれる。
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