福祉の議論をすると必ず出てくる「当事者からの声」が大事というテーゼ。当事者って誰なのだろうか?
今、当事者である人とこれから病気や怪我、または老いて、当事者になる人と、当事者意識が必要なのはどちらなのだろうか?なんか昔のセクト主義的な感じがして、「当事者からの声」と聞くと虫ずが走る。
小児ガンで今を生きるしかない子供たちを撮影続ける『風のかたち』を見たいと思うのも、「当事者からの声」を聞きたい自分がいるからだろう。
当事者がどのように生きているかの語り部がいなく、「当事者からの声」をネタに当事者不在の福祉を展開したから、社会保障、医療制度、雇用問題などセーフネットががたがたになったんじゃないだろうか?
「当事者からの声」を聴き、伝える当事者がいないのが今の社会のような気がする。
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