職場で読んでおきなさいと提供された大谷強さん(関西学院大学教授)の「障害者の権利と政策」サイト資料を読んでいると、「権利主体としての障害者市民」にて、 2006年12月13日にニューヨークで採択され、2007年9月28日にニューヨークで日本も署名した「障害者の権利に関する条約(外務省訳)」が「国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている」と指摘されている。
条約の仮訳文章は日本障害フォーラム(JDF)でも「障害のある人の権利に関する条約(川島聡=長瀬修 仮訳)」として掲載されており、何が「国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている」のか読み比べてみたくなった。
障害者を別枠として施策を組んできた日本社会のおかしさがもしかしたら、読めるのかも知れない。
高度成長期に「エコノミックアニマル」と海外から称され、通勤電車を「奴隷船」と揶揄された日本のシステムはそのおかしさに判らぬまま、今を迎えたという。
「奴隷船」とは障害持つ者は海に放り棄て、健康な者は身動き出来ないまでこき使う黒人奴隷を新大陸に運ぶ船の事であるらしい。
知的障害の子供の詩から作られたという「チューリップのアップリケ」などを歌った岡林信康の歌から当時の世相をなぞっていけば、「金で買われた奴隷」(「くそくらえ節」)は「何人子供を作るのかをきめるのは給料で二人じゃない」(「性と文化の革命」)社会で、一緒になって、「おもちゃのように この星をいじく」(「毛のないエテ公」)り、今に至ったようである。
障害者の権利に関する条約の原文もあるようなので、語学に自信があれば、訳文と比較もしてみたいけれども。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿