アンダーグラウンドな文化活動の事を「アングラ」と呼び、持て囃された時代があった。
メジャーも「アングラ」の中から新鮮なものを探し求め、売れっ子を生み出しもしていった時代、札幌には使われていない煉瓦造りの倉庫を利用した「駅裏八号倉庫」が生まれ、小樽には小林多喜二の小説のモデルにもなった「海猫屋」が暗黒舞踏の拠点として使われるなど、関心ある人が集まり、舞台と客席の距離をなくして、創作する文化であった。
それはどさまわりから生まれた芸能が、ストリートパフォーマンスとなり、芝居小屋となり、恵み銭が木戸銭に変わり、商業ベースが確立されていくとともに、遮断された舞台と客席の距離を取り戻す活動であった。
アングラ文化が活発な頃に、大学生だった僕は「駅裏八号倉庫」でフィルムを借りてきて、上映会をしたり、「海猫屋」に友だちとライブを観に行ったりしたものだ。
「海猫屋」をライブ拠点として活動していた佐々木好の歌を聴きに行ったのもその頃で、内省的な歌は運河の街、小樽によく似合っていたし、一曲歌う事になるまばらな拍手も彼女の歌に似合っていた。
「出逢った人の数、別れた人の数引いて、
後向けた人の方が沢山いるなどと」
忘れてしまいたいような事をわざわざ歌う佐々木好の歌声は忘れてはいけない事のように、耳に残り、一緒に行った友だちとその魅力について、帰りの電車の中、よく語り合いもした。
人の弱さとずるさを歌うその歌は強くならなければ生きられないかのような社会で、弱い人間はずるくなって、生き延びる事を暗に示していた。
この頃、プレミアついた佐々木好の廃盤CDがオークションなどで競り合われているのを見つける。おそらくはそんなアンダーグラウンドな世界の冷ややかだったけれども、ぬくもりある人間の息づかいを、人権すら理解出来ない今の社会の中、懐かしむようにその頃を知る人達が競り合っているのだろう。
「優しそうに見えるけど、言葉だけですあの人も。
気が弱そうに見えるけど、見えるだけですあの人も。」「人のずるさも天気も同じような物だから」
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