外は湿った雪が風に舞う荒れた天気。
やらなきゃやらなきゃで月日が過ぎた今年の青色申告用の帳簿づけを年の瀬、大晦日に部屋に籠もってやり終えた。
収支の動きを貯金通帳に追っていくと、今年一年の自分の生活が思い出され、面白かった。
この後、見落としチェックとか手間暇かかる作業があるけれど、ひとまず体裁はこれで整った。
散らかり放しの部屋の整理や小物の整理などやらなきゃならない事は山ほどあるけれど、急ぐ人生でもなし、煩悩の鐘の音の如く、散らかった物の山でも数えましょうか。(笑)
外は湿った雪が風に舞う荒れた天気。
やらなきゃやらなきゃで月日が過ぎた今年の青色申告用の帳簿づけを年の瀬、大晦日に部屋に籠もってやり終えた。
収支の動きを貯金通帳に追っていくと、今年一年の自分の生活が思い出され、面白かった。
この後、見落としチェックとか手間暇かかる作業があるけれど、ひとまず体裁はこれで整った。
散らかり放しの部屋の整理や小物の整理などやらなきゃならない事は山ほどあるけれど、急ぐ人生でもなし、煩悩の鐘の音の如く、散らかった物の山でも数えましょうか。(笑)
明け方、酔っぱらった若者たちの一人が通行人とすれ違いざま、滑って転び、「おら!喧嘩売ってンのかぁ!」とわめいていた。そばにいた者がその若者を立ち上がらせても、正気失ったそいつはまだ息巻いている。その光景を遠巻きに見ていた僕に、そばにいた者は「すみません」と頭を下げた。
人目を気にする者に、酔った勢いで息巻く者。その姿が何となく愛おしく思えた。
人から聴いた話で、昨今、人員整理のリストラをした企業が残った社員のボーナス額を増額支給したというのを聞いたけれども、そういう企業の経理感覚ってよく判らない。
別なところで、社員の慰安に経費を使いすぎ、業務で交通機関のない早朝から来客整理をするアルバイトの交通費が出せなくなり、「経費削減で」と言い訳する企業の管理職の話も耳にした。
なんかそれぞれ気が弱い者がへまを隠すための嘘をついているようで、何か哀れで、先の酔っぱらった若者たちの場の繕いに似たものを感じてしまう。
気弱な者たちが威勢を張る事で生き延びる時代は、「日の丸弁当」など見向きもしない飽食過食の時代でもあるのに、心は確実に飢えているのじゃないだろうか。
そんな状況を理解出来ずに、公共機関の経費削減で、現場の状況を把握することなく、競争入札で契約社会に移行させようとする人事院勧告などは、社会を更にギスギスしたものにしていくだろう。
馴れ合いが見落としがちの配慮をフォロー・アップし、日本文化を創り上げてきた事も顧みずに。
この時代が千代に八千代に、苔のむすまで、なんて土台、頭の中の屁理屈だろう。
労働人口激減で、外国人労働の緩和策も議論されているというこの国の政治に「日の丸、君が代」が泣いている。
そのうち、スペイン語で歌われる「星条旗よ、永遠に」のように、「君が代」も労働出稼ぎの外国人に歌われるのだろう。
ひょうたん島日本の年寄りたちは若者たちに「格差」「死刑」を与えるだけで、日本人は萎縮していくだけだろう。
玄関に吹き付けられた雪模様
クリスマスの聖夜から降りしきっていた淡雪は一夜明け、膝まで埋まる積雪になった。
夜中に季節はずれの雷鳴がとどろき、風も強かったから覚悟はしていたけれど、玄関をふさぐ雪の重みはサンタクロースの贈り物のようで、やっと来た白い季節を思わせる。
けれども、この数年、冬の来訪を告げる雪は湿った春の雪で、雪かきをするには重すぎる。
北海道は本州とは違い、亜寒帯で、積もる雪は湿気を含まないサラサラ雪。東北地方の湿った雪とは違い、積もった雪を道端に除けて、歩く道を確保出来る雪と小学校で教えられた記憶がある。
10年ほど前なら、湿った雪が降り始めるのは2月の雪まつり後で、湿った重い雪をかく事が春を招く作業だったのだけど、この頃は年前から湿った雪が降り積もる。
温暖化の影響ともいわれる積もった雪の表面が解けて凍るアイスバーンの冬道ととも、北海道の冬は、僕の幼い頃に比べ、確実に気候異変が進んでいる。
サラサラ雪だから雪を道端に除けて、歩く道をつける習慣があった北海道も、この重く湿った雪が降り続けるようになると、東北の雪対策と聞く、雪を踏み固め、歩けるようにするようになるのかも知れない。
そんな生活に根ざした生きる知恵は、肥大化し、ローカルニュースが軽んじられるマスメディアや税金消化しか頭にない行政の死角で生き続けている。
「人の前に道はない、人が道を作るのだ」そんな言葉が思い出される。
降っては解ける今年の雪。凍土にならぬままに、クリスマスになり、街はホワイト・クリスマスならぬ、雪解け水のシャーベット・クリスマス。
昼の暖かさと夜の寒さの変動が大きいだけ、降った雪は解けて、氷り、アイスバーンになる。
路面に流れた雪解け水は薄く氷り、見た目も判らないブラック・アイスバーンになり、人々を油断させ、転ばせる。
どこもかしこもクリスマスソングが流れ、売り子たちが一家団欒の演出にとケーキやチキンを売る光景とは裏腹に帰りを急ぐ人たちは足下が心配げ。
「クリスマスソングを歌うように、今日だけ愛してよ」
中島みゆきが「クリスマスソングを歌うように」を歌った頃は、浮かれ景気でわいていた時代だっったけれども、そんな時代すら知らない子供たちが成人している今は自分の足下が心配げで人の事も週刊誌的にしか見られなくなったような時。
クリスマスを理由におとぎ話。そんな物も聞けぬまま、聖夜を迎える。
今年最後の祝日、面倒ながら、年賀状の宛名印刷をし始めたところ、前々から電源を入れるたびにエラー音を鳴らしていたうちのプリンター、Canon BJ-M70が印刷半ばで、エラー解除が出来ない状態に陥ってしまった。
昨年にも同じエラーが起こり、ちょうどその時はプリンターを使わなきゃならない必要性があったので、インクの残りもあった事からヤフオクにて、同じ機種を落札し、今まで使ってきていた。
けれども、昨年と同じエラーなのと、ネットでCanon BJ-M70のトラブル報告として、このエラーが話題になっているという話を思い出し、ネットを調べてみると、「廃インク満杯エラー」というものらしい。
インクジェット機には目詰まり防止のため、インクを吐出する仕組みがあるらしく、それを溜めるのが廃インクというものらしいけど、取扱説明書では、メーカーに修理をして貰えとあるだけで、その修理費が1万円弱するらしい。
同じ現象で困った方々の掲示板の報告やブログ記事を調べると、英語のサイトにエラー回避の操作方法が書かれたページがあるとの事で、そのページに飛ぶと、以下の対処法が書かれてあった。
翻訳サイト頼りに、見よう見まねで、いじっていると、Canon BJ-M70の隠しコマンドがいろいろあるのは判ってきたけれども、エラーの回避はなかなか出来ない。
せっかくの祝日、こんな事で一日無駄にしたくはないと、別な日に残りの印刷をと思いもするけど、やはりなんとか出来ないかと、思い巡らす。
その時、昨年エラー発生で動かなくなった同機種を廃棄せずに残してあった事を思い出し、探し出して、見よう見まね、試してみると、あら不思議、エラー音はあっさり解除され、プリンターとしてお役目果たしてくれました。
また、いつ何時、エラー音が発生するか気がかりなので、年賀状とその他印刷しなきゃならない物をとりあえず印刷したけれど、ユーザーでも操作可能なエラー回避の操作くらいメーカー側で、あくまで自己責任でもいいから、記して欲しい物。
修理費代とかいうケチなところで利ざや稼ぐ時代じゃないでしょうにね。
思い切って、あたらいプリンターをとも思うけど、省スペースタイプが新機種には見あたらなくなり、置き場所にも困るという悩みもあり、家庭向け商品の選択の幅がなくなっているようで、ここらも気がかり。
そういえば、職場のプリンターも便利さ追求の多機能性に入れ替えたら、消費電力が多くなり、環境エコロジーも忘れられている商品開発にあきれた思いもありましたっけ。
人に優しいものはいつの間にか、金食い虫の機械に化けているのでしょう。
新聞広告で、「師走だけれども、走る気がしない」というのがあり、笑ってしまいましたが、本当に変な年の瀬。北国札幌でこんなに雨降る師走も珍しんじゃないだろうか。週間予報ではクリスマス寒波が控えているらしいけれども。
昨日、今日と休みだったので、昨日はかなり久々の映画館のはしごをし、札幌駅前の蠍座で、結婚間近の刑務官が死刑囚の刑執行時の「支え役」を自ら名乗り出て、新婚旅行の休暇を貰う「休暇」を観、シアター・キノで、ケーン・ローチの新作「この自由な世界で」を観る。ケーン・ローチは現代を描いてこそ威力を発揮する監督であり、追い詰められ、身勝手が許される事が自由と思い違いするプア・ホワイトのエゴイズムをしつこく追い続ける。「ばれなきゃ何をやってもいい」の裏側は「自由の代償」があり、更なる「ばれなきゃ何をやってもいい」に繋がっていく。
そんな流れの延長線上にはきっと過ちを犯し、服役する「休暇」の服役囚がおり、その服役囚と毎日を過ごす刑務官がいる。
人種のるつぼにある欧米は移民、難民と隣り合う暮らしがあり、過酷なワーキング・プアである移民、難民を食い物にするプア・ホワイトがいるけれども、日本の中流家庭といわれる人々はローン地獄のプア・ホワイトと何も変わらない。
ささやかな暮らしを「人の不幸」で保っている。「休暇」の刑務官が結婚相手の連れ子がおねしょをし、かばうように抱きしめるその手つきは、吊された死刑囚がもがき苦しむのを支えるその手つきと同じもの。
「今」を描いた二本の映画を見終え、予約していた本が貸し出し準備出来たと図書館からの知らせに、受け取りコーナーに行って、借りた小沢昭一の本を地下鉄の中で読み始める。
「民衆が棄てた放浪の芸能」を「つまらないから滅びたんですよ」と切り捨てながら、滅びた日本の放浪の芸能に執拗に食い下がっていく小沢昭一は、おそらくプア・ホワイト、プア・日本人たちの心の奥底にあるものを知ろうとしたのだろうと思う。
昔々、東京は大雪積もる街だったとか、やがて、札幌も今の東京のように雪のない街になるのかも知れない。雪の中繰り広げられた「忠臣蔵」や「二・二六事件」が今の東京とは無関係な感じするように、「札幌雪まつり」も昔話になるような。
走らずに今年、生き抜いた事を思い返せるようなそんな年の瀬になればそれでいいと思う。
年末の慌ただしさからなのか、職場では体調を崩してのお休みの人が多い。中にはインフルエンザに罹った人もおり、疲れからダウンし、病気をもらうケースも多いみたい。
職場に出てきているのは、僕を含め一定年齢以上の方達で、一説によく聞く、まだ日本が貧しかった時代に生まれ、食べる物も我慢を強いられた世代がほとんどのような気もする。
飽食の時代しか知らない若者達は、本来人間に備わった周辺に対する自己防衛や自然治癒などというものを備えずに大きくなってきているようで、なんだか怖い。
片や便利さに自分を忘れたかのような高齢世代は、自信過多となり、自動車運転時に他の車との距離感を取るのを忘れたりしているようだし、札幌市内でも最も高齢化の進んだ地域の銭湯では湯船の中で「そそう」をしてしまい、風呂のお湯を全部抜いての大掃除がなされ、新たにお湯を入れる場面に何度か出くわしている。そういえば、スーパーなどでの通路が買い物かごをスーパー備え付けの手押しの台車に乗せて、買い物する老若男女で、交通渋滞なんか日常茶飯事だったなぁと思ったりする。
便利さを追い求めた日本はもしかして、一番肝心の基礎体力をなくしているのかも知れない。
これから60代に向かう団塊世代5年間の人口が10代以下の人口よりやや少ないという今の日本、これから数年後にはそのままスライドすると思うと、かなり恐ろしいとも思うのだけど。
年末行事の始まり、眺めのいいホテルでの忘年会Part1が無事終わり、50代、60代のお姉さまたち170名もご満悦の「ニホンノミカタ」も盛り上がりました。
アルコールも入ったので、やはり今日は疲れを癒すスーパー銭湯は我慢して、真っ直ぐご帰宅。明日の仕事はきついかも知れない。
しかしながら、来週、再来週と年忘れは続くので、これはまだまだ序盤戦。
体調整え、残りの年忘れに備えなければ。
年越しの時は放心状態になっているかも知れないけれど。
昨日の昼から降り始めた雪で、12月なのに地面が見えていた街並みもすっかり雪化粧してしまった。
9年前の今日は日曜日で、その年は今年とは正反対の例年になく雪の多い年で、その日も朝から雪が降りしきっていた。
僕は出勤時間に間に合わなくなるので、軽く玄関前の雪を横にどけて、歩けるところを確保して出かけた。
職場で父の訃報を聴いたのはその日の昼だった。
父は僕が出かけた後、玄関前の雪を綺麗に片付け、居間に戻った時に、ひどく疲れた様子で、母に横になるように言われて、ストーブの横に横になり、亡くなった。
食生活が豊かになり、糖尿に悩み苦しんだ父は自己管理出来ないために、母の食事療法に逆らい続け、母はその看病疲れで、自律神経をおかしくもし、共に看病しあうようになって、ようやく食事療法を受け入れるようになったけれども、時すでに遅く、糖尿は進行し、飲む薬の数は半端なく多くなっていた。
血糖が下がり、具合悪くなる事も何度もあり、職場に迷惑かける場合も多々あって、仕事を変えざるおえない場面も何度もあった。
若い頃は血気盛んで、戦時中は志願兵として入隊したものの、敗戦となり、肩で風斬る兵隊帰りとしていたずらに腕に刺青など入れもしたけれど、30歳代で脊椎カリエスを患い、生死をさまよった人生を送った人も経済成長の羽振りの良さに何とか乗れたけれども、都合よく騙されて、職を転々とした人生後半だった。
夜の警備の仕事で定年を迎えた時、父は飲めばすぐに赤くなるのに、缶ビールを買ってきて、ひとり自分の定年退職を祝って、男泣きした。
仕事を辞めた後、騙されてばかりで友だちもいなく、人付き合いも下手な父は家でゴロゴロするようになったけれども、自律神経を患い、買い物にも一人で出歩けない母の付き添いとして一緒に出かける機会は増えた。
亡くなる数ヶ月前から父は、人恋しがるようになり、先に寝ようとする母を引き留め、一緒にテレビを夜中遅くまで付き合わせもしたという。
涙もろく、一人になる事を怖がるようになった父は急性心不全で亡くなった。
残された母は突然の死の知らせに、身震いし、激しい自律神経の拒否反応が出たけれども、父の死を受け止められるようになった。
享年71歳。時代の流れに翻弄されて生きた父はあっけなく死に、家の玄関先はまるで父自身の死に道のように綺麗に歩けるようになっていた。
毎年恒例の職場の年忘れ忘年会もいよいよ来週。今年も50代、60代の熟女パワー170名あまりが日頃のうっぷん晴らしを繰り広げるフィーバー・ナイト。
その裏方を務めて、早三年。生け贄となる職員さんたちの「もっともっと」が「やめてくれ、助けてくれ」に変わる瞬間を拝める時に、その年一年の御利益を貰えたようで、怖い物見たさがすっかり癖になっている。
二年前の所長の花魁道中では、その衣装作りに旦那、子供がずっとカップ麺で晩飯を堪え忍んでいたという悲話を聴かされ、同情の涙を流し、忘年会翌日、所長が中央のお偉いさんの接待にお供をした時、靴下を脱いだら、足の指のマニキュアが残っていて大恥かいたという余談にまたまた笑いの涙をした物。
今年の出し物は所長の独演「ベルサイユのばら」と三年前のレイザーラモンHG以来の流行もの、「矢島美容室」。
「矢島美容室」がどんなものなのか、よく知らなかったから、YouTubeでチェックして見て、なんとなく来週の嵐の風景が目に浮かんでくる。
しかし、この興奮から、「崖の上のポニョ」の替え歌「ズボンの上のポニョ」へとなだれ込むシナリオの展開は未だに想像はつかないけれど、それを押し切る熟女パワーはなんとなく目に見えてくる。
ところで、「ニホンノミカタ」とは「日本の味方」なのだろうか?「日本の見方」なのだろうか?高齢化にっぽんの嵐は近い。
人の生き死にを軽んじる風潮の流れの中、テレビタレントが生み出した流行語で、一時期、よく使われ、よく聴かれた「死ねばいいのに」という言葉。その流行語が流行るずっと昔、本気で「死ねばいいのに」と口にした従弟がいた。
その従弟の事を思い、まだ若かった僕は映画のシナリオ作法の通信講座で与えられた課題のひとつとして、その従弟をモデルとして、シナリオを作ってみたりもした。それから30年経った今、その作品「門出」を携帯小説として、載せてみたくなった。
その従弟の父は事業に失敗し、酒浸りとなり、従弟の母、僕からすれば叔母を殴る蹴るの暴力をふるっていた。
四人兄弟の長男であったまだ中学生の従弟はそんな父を憎み、父が暴れるたびに、父に殴りかかっていった。
父の方も事業の失敗の痛手が大きくなるにつれ、ますます暴力はエスカレートし、従弟の母の首に手をかけるまでになった時、従弟は父を突き倒し、その首に手をかけた。
身内が集まり、止めに入ったこの一件を振り返り、後に従弟は「俺、親父を殺そうとしたんだよな。」と思い返していた。
その従弟もバブル期が終わった頃、経営していた飲み屋も負債がかさみ、飲み過ぎから肝炎となり、40歳の若さで亡くなり、従弟を偲ぶ仲間はmixiでコミュニティなぞ開いて、偲んでいたりする。
家族に暴れることなく、逆にわが子を溺愛しすぎた従弟が死んだ後、従弟の末っ子は可愛がってくれた父がいない寂しさからちょっとだけ非行に走ったりもした。
従弟が「死ねばいいのに」と思った父親は叔母と別れ、今も気まぐれに子供たちの前に顔を出す。
四人兄弟の末の双子姉妹は、その父が顔を出すと、今も条件反射的に震えが来るという。
本気で「死ねばいいのに」と思った人間の気持ちはたやすく「死ねばいいのに」といえるほど気楽ではなく、「死ねばいいのに」と口にした気持ちはいつまでも懺悔のようにつきまとう。
歳月を重ねるほどにそう思えてくる。
ベトナムに蒔かれた枯れ葉剤のその後を追いかけたドキュメント映画『花はどこへいった』を観に行った時の事。
僕がチケットを受付で貰っていると、年老いたお婆ちゃんがチケットの手続きをしようと、受付の女の子に話しかけてきました。受付の女の子は「ちょっと待って下さいね」というと、何を勘違いしたのか、そのお婆ちゃんはすたすたと今来たところを引き返し、劇場から出て行こうとします。女の子は大きな声で、「お婆ちゃん!」というけれども、どうも聞こえていない様子。女の子は受付手続き途中の僕に「すみません」というように頭を下げ、お婆ちゃんを呼び戻しに走っていきました。
そんなお婆ちゃんが観たいと思った映画は枯れ葉剤の影響を受け、産まれた子供たちが成長していっている事を描いた映画でした。
あのお婆ちゃんのように耳が遠くなっても、人には「心」があり、知りたい気持ちがあるのだろうと、奇形として産まれた子供たちが生きたいがためにパソコンを覚え、働こうとする姿を観て、思いました。
これを働く事が生き甲斐なのだと見ちゃったら、おそらく楽隠居なさっているお婆ちゃんの「心」は無意味になり、知りたい気持ちも無駄になってしまう。
枯れ葉剤を蒔いたアメリカ政府とそれを作った企業はその責任を取らず、ベトナムの現状調査もなされていないというし、枯れ葉剤を蒔き、亡くなった米兵もいるという。
生きるという事がなんであるか忘れたくないとあのお婆ちゃんを思い返し、思ったりするのです。