「長江哀歌」のジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の作品を始めて劇場で見た。
「長江哀歌」の二番煎じといわれ、何故、役者を使わないでドキュメントとしなかったのかなどの批判をネットで見るけど、「四川のうた」はおそらく個々人がその想い出を語るにはいろんな障害がありすぎるから役者に語らせたのじゃないだろうか?
三国志の舞台となった四川省の成都。そこに50年に及ぶ国営の軍需工場があり、それが取り壊されようとしている。その工場に勤めた人々の思い出話は中国の栄華衰退の軌跡を浮き上がらせ、体制社会から個人の時代に移行しようとする国の今を描き出す。
リストラされた女工、子供と生き別れになった女性、山口百恵のテレビドラマと自分の初恋を重ね合わせる社長室副主任、工場のアイドル的な存在として持て囃され、気がつけば熟年になってしまった女性労働者、母が働く姿など知らずに育った女の子が汗水垂らし働く母の姿を見、両親に新しく高級な街「二十四城」に部屋を買ってあげると気負う女の子。
成都、消えゆくものを携えながらも
生涯、私が誇りとするには充分なのだ
歴史の重みに逃げることなく、自分の立ち位置を見失うまいとする人々がいる事を描いたジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の作為はうまいなぁと思う。
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