昔お世話になった元HBCテレビのデレクターの守分寿男さんから絵の個展を開くという葉書をいただき、ギャラリー大通り美術館に見に出かけてみた。
絵心にはとんと疎い方なので、判るかなと不安でもあったけど、会場入り口に「絵」を書かれた動機を記された守分さんの色紙が飾られ、それに並んで、石仏を描かれた絵の数々が壁に飾られてあった。
独り身の地蔵様、夫婦か、親子か、兄弟か、あるいは心おきなく一緒にいられる者同士なのか、二人身の地蔵様。お顔は笑い地蔵に、泣き地蔵、怒り地蔵に、哀れみ地蔵。自然に朽ちたのか、人の手にかかり傷んだのか、欠けた地蔵の姿はその地に生き抜く人々の身なりに似てくるようにも思えてくる。
昔、下手な映画のシナリオの習作を見て貰った時に、登場人物、みんなそれぞれ想いは違うと思うよと助言下さった時と同じく、石仏を描いた守分さんの筆遣いはそれぞれの顔にこだわっているように思えた。
十勝岳の夏と冬の景色の横、四季の石仏として、恐山の夏の石仏が飾られており、それを見た時、数年前に亡くなった友人が晩年、仏像巡りに旅をしていたという話を思い出した。
一番印象に残った石仏画は合掌された石仏の絵。無心になる時、人は仏となるという。
地蔵は転じて閻魔となって、人の行いを振り返させる。地獄業は仏の道。
残念ながら、守分さんにはお逢い出来なかったけれども、今もなお、様々な顔を追い続けていられるのだろうなぁと思う。
守分さんの石仏紹介の色紙
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