思い通りにならなかった日々の想い出を書き綴った重松清、お得意の少年グラフィティ。
アポロ13号や万博やオイルショックやスポ根マンガなどなど今、40代のおじさんたちが子供だった頃、いろんな人たちと別れた思い出話は、生きていく寂しさと寂しさを想い出に持つ人の物語。
重松清本人は親の転勤で何度も引っ越し、別れを繰り返した人らしいけど、「半パン・デイズ」の主人公であるヒロ君ことヒロシは小学校に入る前、東京から田舎の港町に親の都合で移り住み、そこで小学校時代を過ごす。
引っ越し間際、入れ替わるように東京に引っ越していく年上のヨウイチ君と新しい生活の不安を分け合い、小学校に入り立ての頃、クラスメートに標準語を喋るのはテレビに出ている人間みたいだとからかわれ、仲間はずれのウソつき小僧、上田君と仕方なく遊んでいたけど、からかわれるのが嫌で、「勇気」を見せるのと引き替えに、上田君をひとりぼっちにさせてしまった想い出。
ヒロシマのゲンバクで身内を一杯亡くし、一杯位牌を持っているチンコばばあと一緒に暮らす事になり、白内障になり、目が見えなくなって、亡くなるまで付き添った想い出も出来、引っ越し当初から遊んでくれた伯父さんのところで働くシュンペイさんが母親がひとり暮らす田舎に咲く牡丹の花を腕に刺青し、周りから白い目で見られ、かばってくれた伯父さんのところにも入れなくなった想い出も出来た。
身体が不自由で、小学一年の頃はクラスメートみんながかばったタッちゃんも高学年になるに連れ、学力アップについてこられず、クラスの中で浮いた存在になっているのが嫌で、かばいはするものの、かばうタッちゃんを疎ましく思えてきた小学四年、タッちゃんは養護学校に転校していった。
少しずつ大人の言葉が分かり初め、年下の存在も気に掛かり始め、友だちにライバル意識を持ち、「半パン・デイズ」の小学時代は後半に向かう。
その事を覚えている事が誇りなように、重松清は主人公を取り巻く人たちを生き生きと描く。
「あの頃」の奴らに会いたいかというと別に会いたくはないけれど、忘れたくはない想い出として、自分がただ見送る事しか出来なかった頃の事を思い返す。
出来ない事を覚えている人ほどいろんなものが見えてくる。そんな語りかけを続ける重松清の本を僕は読みふける。
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