バブル崩壊後に出版された『エンデの遺言』に、「昔、街の中心には教会(日本ならば神社仏閣)があったけれども、今は銀行がある」というような文句があったけれども、金が世界を牛耳る時代。
総理大臣であろうが、ホームレスであろうが、会社経営陣であろうが、フリーター若年層であろうが、お金のために動き回るご時世。
世界恐慌が始まっているとも云われるのに、どこ吹く風のジャパン・マネーはアメリカ企業買収に奔走しているそうで、アメリカで起こっている事を愛するわが祖国でも再燃させようと「ブーム」と「危機」の違いも見境なしにはしゃぐ企業投資家たちはまるで少年のよう。
自分の老いを思い、若きを振り返る辛棄疾の詞を読み返すと、老いる事を忌み嫌い、若作りの爺婆たちが、看取ってくれるはずの若者たちを押しのけ、ピーターパン・シンドロームにはしゃぎ廻っているみたいで、馬鹿みたい。
極楽望んで、地獄を作る高齢化社会の行く末は、便利機器に老いを忘れて、孤独死するのだろう。
レジ袋も有料化が始まり、社会負担はみんなのもの、社会福祉は自己努力が強まる政治無風の秋風の日々、「天涼好個秋(天高く、涼しくて気持ちのよい秋だね)」というしかないのだろうね。
少年不識愁滋味,愛上層樓。
愛上層樓,爲賦新詞強説愁。而今識盡愁滋味,欲説還休。
欲説還休,却道天涼好個秋。
少年の頃は愁いの味わいを識らず、
高い塔に上り、色事をいたずらに好みもした。
高い塔に上る事で、欲を満たしてもいたけれども、
新しい詞を作るために、無理矢理、愁いを装った。
年長けた今は、様々な愁いを味わい、知り尽くし、
愁いを説こうとしなくなった。
愁いは言葉で言い表せぬもの、
あえて云うなら「天高く、涼しくて気持ちのよい秋だね」と云うしかないだろう。