とある対談で、セーフティネットの構造の具体的な内容を知った。
セーフティネットの構造は社会のリスク予防
セーフティネットとは貧困による疫病の流行や治安の悪化などの社会のリスクを最小限に食い止め、生きる上で必要不可欠であるお金が特定の場所に滞ることなく、社会全体に行き渡り、「お金がお金を生む」システムを維持させるシステムであり、セーフティネットが破壊されると南米や東南アジアに顕著な格差によるスラム街や欧米の社会問題となっている越境難民のような問題が起きるとされている。
セーフティネットの構造は最も判りやすいパターンとしては、まずは「就労」による生活資金の獲得であり、「就労」が困難である場合、年金や失業保険などの「社会保険」による生活資金の獲得が用意されており、それも当てはまらなければ、生活保護による「公的扶助」による生活資金の獲得が用意され、憲法で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」を営めるとされている。
民間企業から始まった戦後のセーフティネット
しかし、日本の戦後社会は敗戦時の経済復興の時も「政治」はほとんど機能せずに、民間企業の週休もろくにない過酷な労働の中、生きる上で不可欠の「衣食住」のうち、社員寮などの「住」環境は提供されはしていたものの、低賃金で、ボロボロの「衣服」と栄養価値の乏しい「食生活」の中、働く事を強いられ、将来の生活資金となる年金や医療制度も勤める会社が用意した「積立金」や企業の掛かり付けの病院を利用するなど、企業依存の度合いが非情に強かったと戦後を生き抜いた両親や親戚から聴かされもした。
今の社会制度が確立した1970年代あたりから公的な社会保障の掛け金により、行政所管が潤い初め、日本は世界中でも類を見ない「国民総中流社会」を実現させ、山谷、釜が崎など日雇い労働の溜まり場や出稼ぎ労働、季節労働はあっても、貧しい者だけが住み着くスラム街は生まれずに、近隣の人たちが顔を合わせ、貧困が起きにくい社会を形成していった国である。
格差社会の始まりとワーキング・プア
けれども、バブル崩壊のあたりから、後に経団連と一体となる日経連が「新時代の『日本的経営』」を提案する。ホワイトカラーの長期蓄積能力活用型、技術者の高度専門能力活用型、そして、雇用柔軟型という今で云うワーキング・プア層を生み出すきっかけを作り、今日では37%非正規雇用率にまでなっていると云われている。
生きる上での最低保障である生活保護も、その制度を必要としている人たちの15%から20%くらいしか、受給されていないという実態報告もあるそうで、残り8割くらいの人々は「健康で文化的な最低限度の生活」をも営む権利を得ていないと云う。
実際、1980年代に札幌市白石区で、生活の困窮した母子家庭の女性が生活保護申請を提出した際、「働く気持ちがあれば、働ける」と水商売を暗に勧められ、生活保護を受けられずに餓死する事件がありもしたし、2000年代に入ってからも、障害者が働く施設で、仕事を身につけるための訓練と称して、ワーキング・プアを強いられた例もあった。
セーフティネットの下支えである生活保護と就労という社会システムの根幹部分が破壊されつつある今、その間にある年金や医療などの不祥事は、この国が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有した国家であるかどうかを問う大切な問題だと思うのだが。