「タイムカプセルを開封します」その新聞広告から集まった1970年キッズたち。
世紀末を超えて、何事もなく迎えた2000年代で、彼らはある者は会社をリストラされることにおびえ、ある者はバブル崩壊で夫の仕事がうまくいかなくなってから、夫婦の関係もおかしくなり、ある者は売れっ子塾講師から緩やかな下り坂を迎える、そんな40代になろうとしている。
気乗りしないままに、小学6年生の時に埋めたタイムカプセルを掘り起こす現場に集まった「たそがれ族」は、キッズたちが卒業の後、怨恨で殺された当時担任の手紙をタイムカプセルから拾い出す。
「今の私と同じ年になったあなた達は幸せですか?」
過去からの問いかけに反発しながらも、過去の自分が埋めた未来への贈り物に戸惑うキッズたちの一週間を重松清「トワイライト」は描く。
「タイムカプセルを開封します」と呼びかけたのは、そのクラスにたった一週間しかいなかった転校生で、今はB型肝炎で入退院を繰り返す男。
無理も出来なく、訪れるはずの死と向き合うその男は更に10年後の自分たちへのタイムカプセルを埋めたいという。
「未来とは叶わなかった夢」と開き直るキッズたちは、自分たちの思い描いた未来には、緑がなかったなぁと思うようになり、10年後の自分たちへ希望を繋ぐようになる。
さながら一昔前のトレンディドラマ風な物語展開に、同時代の痛みを感じ、シンボライズに描かれる万博の太陽の塔のミニチュアに、僕より数年だけ若い「新人類」との共通項を感じた。
そして、この重松清「トワイライト」を電車通勤の最中、僕より一回り若い福山雅治の歌を聴きながら読むと、青臭く突っ張っていた若い頃やしたり顔で今を見ようとする自分が見えてきて、トワイライトの今を無理に走ることないよなぁと思いもする。
一昔前のトレンディドラマの主人公たちは今、幸せなのだろうか?無理して生きていないだろうか?と。
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