うちの近所の小さな公園が囲いが施され、その前に「ユニバーサルデザインの公園づくり事業」なる看板が掲げられていた。
公園のユニバーサルデザインってなんだろうといろいろ思いを巡らせ、子供たちがぶつかっても怪我をしない遊具やみんながくつろげるベンチなどを配置するのかなと思い、ネットで検索すると、札幌市のユニバーサルデザインの公園づくり事業は、「出入口の整備や園路の段差解消・手摺の設置、ベンチなどの休憩施設、身障者対応型トイレの新設・改築などを行う。」としている。
検索結果で「みんなのユニバーサルデザインの公園」なるサイトがあることも知り、観てみると、車いすで遊べる遊具の設計や高さに配慮した水飲み場なども紹介されており、究極のユニバーサルデザインは緑に囲まれたくつろぎの空間であるといっているサイトもある。
そして、ユニバーサルデザインからユニバーサルシステムへの移行を求める声も聞かれ、ユニバーサルの解釈の深まりが感じられた。
読んでいる「教育とはなんだ」でも、マイノリティを認めていかなければ、学級崩壊、学校崩壊、地域崩壊、家庭崩壊は加速していくだろうとする意見もあり、何を持ってマイノリティなのかよりも、個々人の縛りをなくすことがマイノリティなのじゃないかというような話も出てきていた。
社会が個々人を縛らずに個々人の個性を伸ばせる環境が「ユニバーサルデザイン」なのかも知れないと思った。
札幌の街中では今、ユニバーサルデザインの舗道の改装工事も行われており、「ユニバーサルデザイン」流行のご時世、「ユニバーサルデザイン」のコンセプトを知ることが大切なんじゃないかと感じたりもする。
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